アイドルファンの「アイドルは自分の子どもみたいな存在」って言う現象について考えてみた。

鴻上尚史さんが幸福のレッスンという本に『幸せになるためにはまず何が自分の幸せなのかを理解しなければならない。』『何が自分を幸せにするのかを決めなくてはならない。』と書いてる。まさにそのとおりだと思うのだが、この自分の幸福の決め方、という点でアイドルヲタクはかなりアクロバティックなことをやっている。『自分の幸福』=『他人の幸福』と決めているからだ。推しのあの子がうれしいことが、自分のうれしいこと。自分の幸せを、他人の幸せに完全に託してしまう覚悟が、どうも理解されづらいのかなと思う。

自分のヲタ話をした時に、単純に「気持ち悪いなおまえ」という反応ではなく「本当におまえそれで幸せなの?」という顔をする人は、どうもこの点でアイドルヲタクや人を応援する系のヲタクに対して共感できないと思っているのではないかと感じることがよくある。

自分の幸せを(アカの)他人の幸せに(一方的にかつ打算をなくして)託すという行為が、現代の自己決定主義をベースにした自由の概念や幸福を追求する権利というものを信じて生きている人にはどうも疑わしく感じられるらしい。

しかし、その対象が自分の子どもだったら、おそらく多くの人に納得される。子どもはあくまで自分の分身だからだ。自分の幸福と同一視できる、世の中で幸福の置換率が最も高いのが自分の子どもなのである。

ヲタクがよく「推しは自分の子どものような存在」というときの気持ちはきっとここから来ているのではないかなと思う。ヲタクにとって推しというのは(実際に子どもがいてもいなくても)自分の幸せを重ねられる稀有な存在なのだ。

これは子どもがいずれ経済的に自分を助けてくれるだろうという話ではなく、おそらく子どもができると多くの親はこういう気持ちを体感する瞬間があるのだろう。人類の素敵であり不思議な本能である。

昔は子どもだけじゃなくて、家族や夫婦というのもこの子どもと同じ対象として機能していたのかもしれない。個人主義と自己決定とその裏返しの自己責任で息が詰まりそうになる社会の逃げ場に、血縁という所与性はある緩衝材になってきたし、また逆に自由な個人の自己決定を拒否する存在として立ちはだかったりしていた。時代が進み、だんだんと個人主義が優勢になるにつれ、子ども以外に自分の幸福を託すことができる対象はなくなってしまったのではないか。

で、アイドルヲタクである。一周回って世の中で最も信用できなさそうな若い女の子という存在に自分の幸せを仮託することは一見アクロバティックに見えるだけでなく、実際かなりアクロバティックである。どんなにこちらが信じて時間とお金をつぎ込もうが、彼女たちはどこかでアイドルを卒業してしまうし、なんなら在籍中にもスキャンダルを起こしたり問題行動をしたり、ある時は突然活動休止をしたり、もうやりたい放題なのである。

そんな存在に自分の幸せを一方的に妄信的に仮託することに何の意味があるのか、本当に幸せなのか?と疑問視をするのは、とても当たり前のことに思える。だが、このアクロバティックな幸福の仮託を行う覚悟を持ち続けることこそが、個人主義からは生まれ得ない持続的な幸福を生み出す。

仏教の『利他』や、キリスト教における『博愛』という概念は、偽善と言われてしまうことも多いけれど、このまったく自分の関係ない人の幸せをまるで自分の幸せのことのように願ったり喜んだり実現に向けて行動できるという状態が、おそらく人間にとって最も自己の幸福を持続させ得る状態の一つなのではないかと思うし、実際そんな研究もあった気がする。個人主義が優勢になる時代、個人の幸福の最大化の総和が全体の幸福の最大化につながるという功利主義に基づいた経済学的幸福観がどんどんと浸透して行った結果、過度な競争が生まれ、公共という概念の必要性が高まっている、そんな現代においてこそ、違った幸福の形である「利他」をトレーニングする場としてアイドルを好きになるという行為がもっと広まっても良いのではないかと思う。

利益をまったく共有しない誰かに、自分の幸せや経済的な利益の一部分をかけることって、宗教以外にあまり行われないのではないか。アイドル好きが宗教的と言われる理由もここから来ているのではないかと思う。

子育てのように長期間責任を求められない状態で、とライトかつポータブルにこの「利他」の幸福を感じられるアイドル好きというのはある種幸せの発明なのではないかと思うくらいである。だが、世の中はこの「責任を持たないポータブルな幸せ」を追求する人に厳しいのである。アイドル好きにも、不倫にも、ニートにも、不労所得で生きる人にも、宗教にハマってる人にも、厳しい。幸福というのは相応の責任を負った上で追求するべし、そうでない幸福は早晩廃れるのである、という謎の価値観は一体どこを起源とするものなのだろうか。(現状の共同体の概念を大きく毀損する恐れがあるからでしょうね)

とにかくみんなアイドル好きに厳しいよ。かなしい。でも、村田寛奈ちゃんがいる限り僕は幸せです。ありがとう。




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