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悪魔の森

遠い昔のお話です。
昼でもお日様がどこにあるのか分からない様な暗いおどろおどろしい森を1人の女の子がタッタタッタと軽い足取りで進んでいました。
女の子は白いワンピースに紫陽花色の頭巾を被り右手にはバスケットを持って、暗い森の中で彼女が陽の光そのものであるかの様な笑顔で蝶の様に跳ね回りながら森の中を進みました。

森を進む中で、女の子は一際暗い所へ目が向きました。
女の子が近寄って見てみるとそこには人の様なナニカがいました。

そいつの肌は炭の様に灰の混じった黒い肌で全身の火傷跡がうっすら赤みがかっていました。
顔には耳も鼻も無く、瞼の無い目から獣の様な鋭い黒目の瞳が青白く光っていました。
それは酷くやせ細っていましたが暗闇の中で眼だけが光っているのでずっと大きく見えました。
悪魔は黙って見つめながら近寄る女の子に向かって不機嫌そうに尋ねました。

「人の子か、オレになんの用だ」

女の子は興味のあまり無表情でナニカを見つめていましたが、にこりと笑顔で丁寧に答えました。

「私はパルケと申します。西の村に母と住んでいて病弱な母の為に薬草を買いに東の村へ行く途中に森の中であなたを見つけました。
あなたはなんという方ですか」

パルケのかしこまった対応と笑顔に一瞬面を食らったナニカでしたが、すぐにまた瞼の無い眼で睨みつけこう言いました。

「俺は悪魔さ、願いを叶える代わりにそれに応じて代金を取り立てる。さぁお前の願いを言ってみろ」

パルケは悪魔の脅すような言い方には構う事無く少し考えると、申し訳無さそうに答えました

「あの、実は母の病気を治して頂きたいのですが、あまりお金がありません」

「なんだそんな事か、いいか、代金と言っても悪魔なんだから人間の金なんぞには興味が無いそうだな...薬草を買いに行くと言ったな、買ったら俺に持って来い」

半分呆れながら悪魔は代金を提示し、パルケを森の東へと向かわせます。
パルケは先程以上ににこやかな笑顔で森を東に駆けました。

空では日が傾いて森の暗闇がその薄気味悪さと共に濃くなる頃、パルケはバスケットいっぱいに薬草を入れて悪魔の元へ戻って来ました。

「どうぞ」

「おう」

悪魔はパルケがそっと差し出したバスケットから薬草を掴み取ると底に真っ赤でとても美味しそうなリンゴがあることに気が付きました。

「そのリンゴも是非どうぞ」

パルケはにこりと微笑みかけますが、悪魔はふぅんと鼻でため息を1つついて首を横に振ります。

「俺は薬草しか頼んでおらん、そのリンゴは自分の母にでもくれてやれ、ほらいったいった、二度と来るなよ」

悪魔が追い払う様に手を振ると、パルケは丁寧に一礼をして森の西の方へと走り去りました。

次の日のこと、パルケはまた昨日と同じ様にバスケットを片手に森の中をタッタタッタと進んでいました。
その足は先日の悪魔のもとへと向かっていました。

悪魔のいたところまであともう少しというところで彼女の傍の茂みがガサガサガサッと激しく動きました。
パルケは一瞬ギョッと驚きましたが、すぐに茂みを覗き込む様にして尋ねます。

「そこにどなたかいらっしゃるんですか?」

すると、茂みの中からぬらりと黒く大きな影が現れました。
その姿は影そのものなのでぼやけていて、顔は目も口も耳も無く、背はとても高く近くにあった背の高い木の枝の上にある小鳥の巣に頭が届きそうな程でした。
手足は柳の枝のように細長くその先からはもっと細い指の様なものが出ていました。
影はその細い右腕を左胸にあて一礼し、こう言葉を続けました。

「こんにちは可愛いお嬢さん、私は悪魔。困ったことや願い事はありませんか、私が叶えて差し上げましょう」

なんと、パルケは2日続けて違う悪魔と出会ってしまったのです。
しかも今そこにいる"影の悪魔"は昨日あった"黒い悪魔"よりもずっと社交的で人当たりが良いものでした。

「こんにちは悪魔さん、私はパルケです。あなたはこの先にいる黒い悪魔さんのお友達なの」

パルケの問に影の悪魔は首を傾げながら細い指先で顎をカリカリと掻く様子をしばらく見せると閃いたとでもいうかのように手をポンッと叩きました。

「あぁ彼ですか、彼とは腐れ縁の様なものですが、それがどうか」

「黒い悪魔さんは昨日、母の病気を治してくれたので、お礼がしたいのです」

「あぁ...そういうことですか」

影の悪魔は呆れる様に首を振ると、その細長い両手で彼女の肩を優しく掴み、言い聞かせる様に言葉を紡ぎました。

「いいですかパルケ、悪魔の力というのは病1つ治す程度のものではないのです。あらゆる難病を治すどころか病に冒されぬ身体にすることだってできるのです。あなたは騙されているのですパルケ、でも大丈夫私が...」

「あの...でも...」

パルケがその勢いに圧倒されていると、影の悪魔の後ろから聞き覚えのある声が聞こえました。

「おい、何をしてる」

黒い悪魔が影の悪魔の背後で怒りに満ちた瞼の無い目で影の悪魔を睨みつけていました。

「やぁ君か、契約相手を騙すなんて関心しないな」

黒い悪魔もパルケよりずっと大きいですがそれでも影の悪魔の半分ほどしかありません。
影の悪魔は振り返ると文字通り見下しながら黒い悪魔に言いました。

黒い悪魔もじっと睨みつけたまま答えます。

「お前みたいなやつに嘘つき呼ばわりとはお笑いだな、たとえ病にならない身体にしたって命取られちゃおしまいだろう、さぁ消え失せろ。
それともここにお前の命を置いて行くか」

黒い悪魔が拳を握ると昨日の様な暗闇が悪魔の身体から溢れ、ピリピリと空気が震え、鳥や獣達はみな逃げおおせました。
あまりの迫力にパルケは尻もちをつきました。

「ふぅん、やれやれわかったよ今日のところは退かせて貰うよ、じゃあなお人好し」

影の悪魔は憎まれ口を吐いてすぅっと光に溶ける影の様に消えてしまいました。

影の悪魔は尻もちをついたままのパルケに手ものばさずに冷たく言い放ちました。

「何故またここへ来た。来るなと言った筈だが」

パルケはヒョコッと立ち上がると黒い悪魔をまっすぐ見つめて言いました。

「昨日はありがとう、母の病気もすっかり良くなりました。リンゴはお嫌いのようでしたので代わりに今日はお魚を持って来ました」

バスケットの中には立派なニジマスが3尾も入っていました。
黒い悪魔は断ろうかとも思いましたが、それが原因で毎日違う物を持って森に来られても困ると思い、仕方なく受け取ると、空になったバスケットに手をかざしました。
すると、悪魔の掌から麦が溢れて、バスケットに入っていきます。
バスケットが麦でいっぱいになる頃、悪魔が緩く拳を握り麦が止まりました。
悪魔は言います。

「お前の母は病が治ったとはいえ身体がおっつかないだろう、麦粥でも食えば元気が出るはずだ」

パルケは笑顔で悪魔に言います。

「ありがとう、明日も会いに来ていい」

悪魔は呆れ気味になって言いました。

「今度は何が欲しい」

パルケは首を横に振ります

「あなたとお話がしたいわ」

それからパルケは毎日黒い悪魔のもとへ行きました。
悪魔は最初こそ無視をしていたのですがある日パルケが機転を効かせてこう言いました。

「ねえ悪魔さん、お願いがあるの」

「やっとか、今日はなんだ」

悪魔は思わず聞いてしまいました。

「これから私がお話を1つする度にアナタもお話しを1つ聴かせて」

悪魔はしまったと思いました。
契約を結ばれてしまっては悪魔も逆らうことは出来ません。

それから2人は毎日色々な話をしました。
パルケは村の外れで見つけた綺麗な青い花の話や、森の途中で見かけた美しい蝶の話、日曜礼拝で聴いた神父の話等、日常の何気ない話をしました。
一方の悪魔の方はかつて相対した天を斬る剣豪との対決や、広大な砂に覆われた土地を船で渡る民、東の果て海を越えた先にあるイーハトヴという不思議に満ち溢れた土地のこと等広い世界の話をしました。
小さな村で暮らすパルケにとって悪魔の話はとても刺激的で魅力に溢れ、目をキラキラさせて悪魔の話を聴いていました。

それからどれだけの月日が経ったでしょうか、あれから随分と大きくなったパルケが悪魔に言いました。

「悪魔さん、私旅に出ようと思うの」

悪魔は瞼の無い目をギョッとさせて、まるで鳩が豆鉄砲をくらった様な顔しました。

「またまたいきなりだな」

パルケは陽の光も届かない暗い森の空を見上げながら恋する乙女の様な表情で言いました。

「あなたが私に広い世界について沢山教えてくれたから、私もそれを見てみたくなったの」

悪魔はそれを聞いてどっはっはっはっはと腹のそこから笑いました。

「俺は悪魔だぞ、俺の話なんて全部嘘、でまかせに決まっているだろう」

パルケは小さく、首を横に振ります。

「あなたは嘘をつくのが下手だからすぐにわかる、それにどうせこれから見に行くんだから嘘も本当も関係ないでしょう」

パルケの顔にあの幼さは無く、自信に満ち溢れていました。

悪魔はバツが悪そうに額をポリポリ掻くと真剣な表情で右手を差し出しました。

「パルケ、これは契約だ、お前が帰って来るまでここで待つ、だから必ず生きて帰って来い」

「...うん、勿論」

パルケはあの陽の光の様な笑顔で悪魔と握手を交わしました。

それから...長い.....長い年月が経ちました。
数千年を生きる悪魔にとって瞬きの様な日々もパルケを待つ彼にとっては永遠と思える程永く感じました。

そんなある日の事、1人の旅人の女性が、黒い悪魔のもとを訪れました。

「久しぶり、悪魔さん」

悪魔はこの暗い森の中で輝く陽の光の様な笑顔を忘れる筈がありませんでした。

「やっと帰ってきたか...待ちくたびれたぞ」

パルケはまたキラキラと笑うと、悪魔の隣に腰掛けて旅の話を始めました。

ですがそのお話はまた今度。

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