短編伝奇小説「斬るのは簡単」

原稿用紙で20枚くらいです。

「斬るのは簡単」

 日向太一が我に返ると、そこは鬱蒼とした森の中だった。
 車を停めたのが、たしか山梨のどこか、山中の道路脇だったから、ここはやはり山梨なのだろう。でもまさか富士樹海ということもないはずだ。もし樹海だったらまず助からないと太一は思った。そして彼は死んでしまいたいわけではなかった。
 ただただなんとなく道を逸れてしまいたかった。都内から山梨県まで車を飛ばしたのにも、はっきりした理由はなかった。それこそ道なりに進んでいたら、いつのまにか山梨に入っていた。案内標識を見てここが山梨だと知った。その案内標識が目に入ったとき、なんだか自分もそのほかのものごともぜんぶ滑稽な気がした。
 それから適当に道を選んで走らせていると、山の中だった。辺りは薄暗かった。薄暗い中に、蛍が光っていた。蛍ではなかったかもしれないが、なにか点々と黄緑色の光が飛び回っていた。道の脇に車を停めて、光が多く密集しているところへ歩き出した。
 記憶は定かではないが、けっこうな距離を歩いた。小さな川(あるいは川ともいえない水の流れ)も渡ったかもしれない。光の点々は途中までとても多かったが、追っていくうちに少なくなってしまった。いまはとにかく真っ暗な森の中だった。つまり蛍の通り道を外れ、いまや完全に見失ったのだ。たとえ全力で叫んだところで、だれも聴く人はいないはずだ。
 太一は途方にくれた。背筋に悪寒が走った。見通しの立たない現状に、ひどく狼狽した。だがすぐに、自分が我に返った理由は蛍を見失ったことだけではないことに気がついた。
 どこか見当のつかないところから、食べ物の匂いがただよってきていた。太一はひどく腹が減っていたので、それを美味そうに感じた。腹がしぼられるようにひどく鳴った。なにがどこにあるにせよ、無性に食べたくなった。
 スマホを取り出して、灯りにした。山の中の森にしては、平坦な地形だった。誰かが平らにならしたのかもしれない。食事の匂いがするということは、当然、この近くに集落があるはずだ。人の痕跡を探しながら、とにかく慎重に進んだ。猪なんかを驚かせて襲われたら絶望的だ。太一はアウトドア派というわけではなかったが、それくらいの知識は持ち合わせていた。
 15分ほど歩いた時、また光を見つけた。黄色い光だった。遠くの民家からこぼれる灯りだと気づいたとき、太一はまっさきになにか食べられることに喜んだ。念頭にまず食うことがあった。とにかくあとの問題はそっちのけにされていた。民家を目指して小走りで行くと、だんだん匂いも濃厚になってきた。わかるのは味噌汁かそんな感じの匂いだった。温かい味噌汁を思い浮かべたとき、太一はいまさらひどく寒い夜だと気づいた。
 まだ食事の匂いが漂ってきた。どんな食べ物が待っているのか、太一は興味津々だった。民家に近づくにつれて、暖かさも感じられるようになった。もしかしたら、ここで一晩過ごすこともできるかもしれない。ただ、太一はその前に人の存在を確認したかった。彼は自分が迷子になったことを誰かに伝え、助けを求めたかった。心の中で祈りながら、太一は民家へと近づいていった。
 それは古風で堂々とした家屋で、幻のようにそこに建っていた。太一は門扉を叩いた。
「ごめんください。ごめんください」
 無礼を感じながらもかまわずそうしていると、しばらくして、誰かが家から出てきた。
「はい、どちらさまでしょう」
 若い女性の声だった。
「どうも、道に迷ってしまって。どうか今晩だけでも泊めていただけませんでしょうか。せめて食事だけでも。しばらく何も食べていないんです」
 声はしばらく止んだ後、やさしく告げた。
「もちろん大丈夫ですよ。お食事をご用意いたしますので、どうぞお入りください」
 太一はほっと胸をなでおろすと、お礼を言いながら家に入っていった。
 この出会いが、彼の迷子の旅にとって一縷の救いとなることを知る由もなかった。
 この家の主らしい女性は、楚々として控えめな雰囲気だが、きびきびした動きと言葉を持った人だった。長瀬絹子という名前で、山の中のこの一軒家で一人暮らしていた。一人暮らしと知って、太一は宿泊を遠慮しようとしたが、何も気にせず、ぜひ泊って行くべきだ、この辺りの夜はひどく冷えるから、と勧められた。
「一人には広すぎる家なので、お休みになる部屋はいくらでもありますよ」
「かたじけないです。それでは、お言葉に甘えて」
 囲炉裏のある部屋で、食事が出た。味噌汁と思ったのは猪の肉が入った鍋で、こんな量を一人で食べる気だったのかと太一は意外に思った。猪の肉といっても、癖は少なく、味が濃い。噛み応えがあって、心地よい弾力を感じながら夢中で頬張った。
「肉はお好きですか」
「ええ。でもこんな美味しいのは初めてです」
「そうですか。よかった。猪は臭くて食べられない人もいますからね」
「とんでもない。めちゃくちゃ旨いですよ」
「ふふふ」
 絹子は微笑した。
「この家に来る人はいるんですか」
「たまに、日向さんのように、迷った人が来ますよ」
「へえ。やっぱり、世をはかなんでですか」
「日向さんは、世をはかなんでこんな山奥まで来たんですか」
「いえ、そういうわけじゃないんですが。ダメだ、お酒が回ってきちゃったかな」
 出てくる酒も妙に美味いのだった。
「そんなに飲みたくなるような酒は、ここに来て初めて飲むんですか?」絹子が笑いながら尋ねた。
「ええ、本当に美味しいですね。こんな酒を飲みながら、こんな風景を見れるのは、人生で初めてです」
 太一は満足そうに頷きながら言った。
「それはよかった。たまには贅沢をしてもいいですよ。世の中、暗くて辛いことばかりじゃないですから」
 絹子の言葉に、太一は少しだけ心が軽くなったように感じた。
 彼女との出会いは、ただの迷子の旅路を救われただけではなく、何か特別なものを感じさせるものだった。しかし、その予感の正体はまだつかみかねた。
 寝所は広かった。そして暖かかった。すでに部屋の真ん中に布団が敷かれていた。ポツンと横になった。
 太一は考えた。寝所に向かう途中、寒い長い廊下を歩いていると、妙な気配がした。それは廊下を曲がったところにある一室が、視界の隅に見えた時だった。あれはなんだろう。ゾクゾクするような、それでいて崇高なような、妙な印象をその部屋から感じた。明日になったら長瀬さんに聞いてみよう。太一は熟睡した。

 その夜、太一の見た夢。
 戦国時代くらいの日本だ。おそらく山梨ではない広大な平野で、大軍勢が戦をしている。血に染まった旗がはためく。足軽の振るう、数千本の槍が交差する。みな大声で気合を叫んでいる。あちこちで首が取ったり取られたり。両軍、一歩も引かない。というより、太一にはどれが味方同士か敵同士なのかとんとわからない。
 明らかに強そうな武士が、一人大軍勢に打ち掛かり、敵をばっさばっさと斬り倒している。なぜか身なりは粗末で、甲冑も着けていない。しかし剣術は見事な腕前だ。いや、見事どころではない。異常に強い。一閃すれば、数人がころりと倒れていく。それにしても、いくら相手を斬っても、手にした刀は不思議と一向に刃が欠けない。雑兵では相手にならないとみて、これも強そうな武将がやってきた。
 敵武将は、何か叫んだ。例の武士はこっくりと頷くと、たちまちに打ち掛かった。武将は刀で受けたが、刀はぽっきりと折れ、脳天を鉢割れにされた。武将はもんどりうって倒れた。南無南無、と太一は念じた。あんな化け物みたいのを相手にしたら、かなわないだろう。
 だが、そのうち数千、数万の兵がその強すぎる武士に襲い掛かって、山のようにのしかかり、武士の姿は見えなくなった。南無南無、さすがの猛者もあれでは駄目だろう。と太一は思った。
 そこで目が覚めた。妙な気分だ。一晩で何百年も生きた気がする。

  太一は目を開けた。まだ薄暗い部屋の中で、夢の影が残っているような気がした。あの戦国時代の光景は、一体何だったのだろうか。そして、あの強すぎる武士は誰だったのだろうか。彼はただの夢の中の存在なのか、それとも何か特別な存在なのか。深く考え込む太一に、突然絹子が声をかけた。
「おはようございます。良いお休みでしたか?」
 太一は驚いて振り返った。
「絹子さん、こんな早い時間に起きているんですか?」
「ええ、朝御飯ができましたよ」
 太一はふと思い出した。
「絹子さん、昨日廊下を歩いていると、妙な気配を感じました。あれは何だったんですか?」
 絹子は微笑みながら言った。
「あれは、この家に住む者達が大切に守ってきたものです。あの部屋は神聖な場所であり、私たちが大事にしてきた秘密が隠されています」
 太一は興味津々で尋ねた。
「その秘密とは何ですか?」
 絹子は少し考え込んだ後、優しく語り始めた。
「刀ですよ。先祖伝来の名刀です。それも、べつに妖刀というわけではないんですが、普通の刀ではないんです」
 太一は昨晩の夢の猛者の刀だ、と直感した。
「ひょっとして、ご先祖は大きな戦に参加されたんですか」
「ええ、そうです。そこで信じがたいほどの敵を打ち倒して、見事な武功を挙げました。おかげで我が一族は今日まで安泰です。ホホホ」
 絹子は愉快そうに笑った。太一は可笑しいやら恐ろしいやらだった。
「それはすごいですねえ」とだけ言って、また囲炉裏の部屋で、朝飯を食べた。
 絹子の話を聞いて、太一はますます興味を持った。祖先が戦で活躍したなんて、自分には想像もつかないようなことだ。そして、昨晩の夢も頭から離れなかった。
 食事を終え、太一は思い切って尋ねた。
「絹子さん、その刀を見せてもらってもいいですか?」
 絹子は一瞬考え込んだ後、少し驚くような表情を浮かべながら頷いた。
「わかりました。でも、その刀に触れる時はくれぐれも注意してくださいね」
 太一は少し緊張しながらも興奮して部屋に入った。刀を見る前から、何か特別な力を感じていた。どんな形状や装飾が施されているのか、非常に楽しみだった。
 しかし、部屋に入ってみると、そこにはただの刀ではなく、まさに伝説の武器が立っていた。
 その刀の存在感は圧倒的であり、何百年もの歴史を感じさせる。刀身には細かな文様が彫り込まれており、光が当たると輝きを放つ。これが、昨晩夢で見た刀なのだと思うと、胸が高鳴った。
 太一は祖先の武勇伝を思い浮かべながら、その刀を手に取った。すると、何かの力が身体中に駆け巡り、心地よい熱さを感じた。
「これが、あの猛者の刀なんですね」と太一は興奮しながら呟いた。
 絹子は微笑みながら言った。
「そうです。それが私たちの一族の宝なんです」
 太一は祖先の勇気や力強さを感じながら、この先自分にどんな試練が待ち受けているのか考え込んだ。しかし、まだまだ解き明かされていない謎が多すぎる。この刀や絹子の話には、まだまだ秘密が隠されているようだった。
「長瀬万衛門というのが、この刀の使い手でした」
「ナガセマンエモン」
「万衛門は貧しい百姓の生まれで、幼時からいろいろな職を転々としました。ある時などは、鍛冶屋をしていたんです。そこで、刀の打ち方を学んで、この刀「矛盾」を生み出しました。そして矛盾片手に修羅の道へ……」
「矛盾なんて、面白い名前ですねえ。刀なのに」太一は軽く笑った。
「どうしてこのような名前を付けたのかは伝わっていません。でも、これほどの切れ味を持つ刀は天下に無二でしょう、ホホホ」
「どうしてそんな名刀の名が知られていないんだろう」
 太一は刀をあらためて眺めた。妙な印象は刀から発されている。矛盾か。確かになにか現実味がないような刀だ。
「それは、万衛門の最期と関わりがあるんです」
「え、やっぱり、発狂でもしたんですか」
「いえ、万衛門は……」

 このとき、絹子の話を聞きながら、太一の周りの景色が一変した。
 そこは、万衛門の臨終の場だった。昨晩に太一が寝ていたあの寝所で、太一と同じように部屋の真ん中でポツンと横になっている。周りを長瀬一族が囲み、見守っている。
「わしは……」低く芯のある声で万衛門が切り出した。
「わしは飽きた。ただ生きるのも、ただ死ぬのも面白うない。わしは地獄に落ちて鬼退治がしたい」
「おたわむれを」と一人が笑って言った。
 万衛門は刀を所望した。矛盾が来た。万衛門は確かな足取りでゆっくりと庭に出た。優しい日差しの中で、小鳥が鳴いている。山の方で桜の花が咲いていた。
 演武でもするのかな、と一同は眺めていた。
「でいやッ」
 万衛門は、地面を斬った。
 地は裂け、鳴動した。一同は混乱した。
「おたわむれをおお」
 万衛門、にっと笑って、
「では、さらば」
 矛盾を残し、裂け目に飛び込んでいった。
 一同、唖然と見ている前で、地面は再び閉じた。

「……というわけなのです、ホホホ」
 絹子が笑っている前で、太一も唖然としている。太一は万衛門の最期の瞬間を思い返し、その異様な出来事に言葉を失っていた。彼が地面を斬った瞬間、まるで自然界がその力に反応したかのように、大地が鳴動し、周囲に渾沌が広がった。絹子は万衛門の言葉を通じて、その選択の意味を説明しようとしているのだろうか。太一は驚きながらも、絹子の話に興味津々で耳を傾けていた。
「信じられない話ですね」と太一は呆然としながら言った。
「確かに、この刀や絹子の話にはまだまだ秘密が隠されているようです」と絹子は微笑みながら答えた。
 まだ解き明かされていない謎が多すぎる。この刀や絹子の話には、まだまだ秘密が隠されているようだった。
「……ますます面白い。名刀、矛盾。豪傑、長瀬万衛門。こんなに興奮したのは初めてだ。」
 太一は頭を下げて、懇願した。
「どうかなんでもしますから、しばらくこの家に置いてもらえませんか。いろいろとあなたの家の伝説を調べてみたい」
「それは喜んで受け入れます」と絹子は優しく微笑んだ。「あなたも、この家の一員として、きっと万衛門に歓迎されていますから」
 太一は深く頭を下げ、感謝の意を示した。彼はこの家に残り、長瀬一族の伝説や矛盾の秘密に迫ることができることに喜びを感じていた。太一は、矛盾の刀身から発せられる妙な魅力に引き込まれていた。絹子の話からも、この刀と長瀬万衛門の関係にはまだ解明されていない謎がありそうだった。
 そして、太一絹子の許可を得て矛盾を手に取り、その刀身をなめらかに振った。その刃は光を反射し、力強さと妖しさを同時に感じさせる。
「これから先も、この刀と共に歩んでいきたい」と太一は自然と呟いた。
 すると、庭で小鳥がしきりに鳴いている。二人が庭に出ると、地面が割れ裂けていた。
「まさか……万衛門なのか」
 太陽が山の稜線にかかり、紅に染まった空の下、長瀬家の古い庭には奇妙な静けさが漂っていた。しかし、その静寂は突然の地響きによって破られた。地面が割れ、深い裂け目から、一人の男が現れた。それは紛れもない長瀬万衛門、昔の戦の英雄であり、今は伝説の中の人物だった。
 万衛門の目は野生の獣のように輝き、彼は周囲を見渡した。彼の視線は一点にとどまり、その口元には野太い笑みが浮かぶ。彼の声は逢魔が時の静けさを切り裂いた。
「さて、久しぶりに地上の空気を吸うとするかな。もう一度、この世で暴れてみたいものだ」
 その言葉を聞いて、庭にいた太一は硬直した。彼は名刀・矛盾を手にしていた。この刀は、かつて万衛門自身が作り、数多の戦で使われたものだった。太一は刀を握りしめ、万衛門に向かって歩みを進めた。
「いや待ってください、長瀬万衛門どの。あなたの時代は終わった。もうこれ以上の乱暴狼藉は困ります」
 それを聞いた万衛門は太一を見下ろし、嘲るように笑った。
「ハッハ、若造が何を知ってる。昔のわしを知らないくせによくもそんな大それたことを言えるな」
 太一は答えず、ただ矛盾を構えた。夕日が刀身に反射し、その輝きはまるで命を宿しているかのようだった。二人の間に緊張が走り、周囲の空気が凍りつく。
 突然、万衛門が動いた。彼は素手で太一に襲いかかり、その動きは驚異的な速さだった。しかし、太一も負けてはいなかった。矛盾を振るい、万衛門の攻撃をかわし、反撃を試みた。刀と肉体のぶつかり合いは、まるで古の戦場を思わせる荒々しさだった。
 万衛門の力は圧倒的で、太一の技巧を上回っていた。彼の素手の一撃は重く、太一は何度も地に打ち付けられた。しかし、太一は諦めなかった。矛盾を手に、何度も立ち上がり、戦いを挑み続けた。
 二人の戦いは激しさを増していく中、太一は万衛門の身体に奇妙な変化を感じた。彼の肌からは闇のようなエネルギーが溢れ出し、その姿は次第に歪んでいった。万衛門の顔には苦痛が浮かび、その瞳は人ではなく化け物のような光を放っていた。
「何が起こっているんだ?」と太一は驚きながらも、さらなる攻撃を仕掛けた。
 すると、万衛門は一瞬足元に隙が生じた。太一はこれを見逃さず、矛盾を振り下ろし、刀身が万衛門の肉体に突き刺さった。
 その瞬間、とんでもない力が爆発し、庭全体が強力な衝撃波に包まれた。太一は地面に吹き飛ばされ、意識を失ってしまった。
 万衛門は大声で笑ながら、太一の前に立ちはだかった。
「面白い奴だ。お前のような若者がまだこの世にいるとは。ハッハ、とりあえずはもう充分だ。わしは地獄へ帰るぞ」
 言葉を残し、万衛門は地の裂け目に消えていった。太一は息を切らしながらも、彼の去り際を見つめていた。

 目覚めた時、太一は自室で布団に横たわっていた。頭がぼんやりとしている中、彼は気づいた。庭での戦いや万衛門との闘いはまるで夢の中の出来事のように感じられた。
 夕闇が庭を包み込む中、絹子は優雅に笑いながら太一のそばに近づいた。彼女の笑顔には、いつもの落ち着きと深い静寂が感じられた。
「太一さん、よく戦いましたね。お見事」
 太一は矛盾を手にしたまま、息を整えながら彼女を見上げた。彼の顔には疲労の跡が濃く残っていたが、目には確かな光が宿っていた。
「お陰様で、なんとかひと段落ついたようです。戦いは終わりましたね」
「ホホホ、太一さん、もう、この家ですることはあまりないんじゃないですか。山を下って、日常の生活にお戻りになったらどうです」
 太一は、なんだか絹子がすべてを予知していて、体よくつかわれたような気がした。しかし悪い気はしなかった。
「万衛門がまた復活したら、私がお知らせします」
 太一は顔を上げ、少し驚いた表情を見せた。
「ああ、じゃあ私の住所を……」
 絹子は微笑みながら手を振った。
「けっこうです。夢で伝えますから。私にも少しはあるのですよ、そういう力が。ホホホ」
 太一は絹子の言葉に驚きながらも、彼女の特殊な力を信じることにした。彼は矛盾をそっと地面に置き、立ち上がった。
「それなら、安心しました。でも、本当に夢で伝えることができるんですね」
 絹子は優雅に笑いながら頷いた。
「ええ、もちろんです。私たち長瀬家には、代々伝わる特別な力がありますの」
「では、また、もしもの時に」
「ええ、さようなら」
 太一は深く息を吐き出し、山道を下り始めた。彼の心には、未来への期待と、過去の冒険に対する感謝が同居していた。そして彼は知っていた。もし万衛門が再び現れるなら、絹子が夢を通じて知らせてくれることを。
 その夜、太一は矛盾を大切にしまい、長瀬家を後にした。彼の心には、絹子との出会い、万衛門との戦い、そして未知の力に対する深い好奇心が残った。彼は自分の車を探しに行き、久しぶりにエンジンをかけたとき、新たな日常が始まることを感じていた。
 そんな思考の中で彼はふと、絹子の優雅な微笑みが浮かんだ。あんな特殊な力があるなんて信じられないけれど、何か特別なことが起こる予感もしてくる。彼は心の中で固く決めた。これから先も絹子の夢を信じ続けよう、そして自分自身の内に眠っている力に目覚めていく道を歩んでみようと。
 新たな日常が始まりつつある中、太一は未知への冒険と魔法のような力が待ち受けていることを予感しながら、運命の道を進んでいくのだった。

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