見出し画像

旅先で行った古民家カフェでのこと

Vol.012
小豆島から今治に行く途中、多度津で電車の時間調整の途中、街歩きで見つけた古民家カフェに行く。
とても落ち着くケースもあれば、時にやたらと落ち着かないこともある。
そういう場合はどうするか? もう行かなければいいだけだ。
それだけのことなので、文句も言うことはない。

矯正できない価値観とか

そもそも価値観は自分の観念と他人の観念がある。
自分の価値観はどうにでもなる。だって自分のものだから。
自分次第で譲らないこともできるし、修正することもできる。
したがって、他人の価値観は他人のものなのである。
同じく他人も譲れないものもあるし、修正するものもある。
なのでその観念に基づく価値観というのは他人が矯正するものではないし、強制するものでもない。
なので、そういう価値観もあると理解して知っておくことだけで十分だと思う。
自分に合えば共感し、合わなければそれはそれだ。

ノスタルジーの価値観

生まれも育ちも東京の私としては、地方都市の古民家には憧れすらある。
木造の温かい雰囲気で、ノスタルジー性を誘うもの。このノスタルジー性に私は特に惹かれる。ノスタルジーという誰もがそれぞれの価値観にもつ昔を懐かしむ感覚だ。なので、昔に帰ってきたという勝手な一人称で、その場所がどこであろうと、その人の知っている昔にその場所が帰ることになる気がする。そして知らない場所でも自分の居場所のような錯覚を覚える。なので自分の昔に帰るから、「おかえり」と言ってもらえるような勝手な要求すら心に付いて回る。

カフェではかき氷、メロンソーダー、カフェオレとかいろいろあるけど、それもそれで、あの時のあの味をまた楽しめる! と思ってしまうが、そこは正直そんなに。むしろ今時代の方が美味しくいただけるかもしれない。
しかし昭和のオレンヂジュースはまた飲みたいと思う。あのシロップを水で割っただけのオレンジ風味という名のジュース。

他人の価値観を受け入れる

今回入った古民家カフェは、J-POPが激しく流れるカフェだった。
正直私には全く合わない感覚だった。
むしろ違和感というか、居心地の悪さを感じた。
耳を塞げば完璧なあの時の古き良き時代だったのにと愚痴さえも言いたくなった。
なんでこんな悠久の古民家の時間をサイケデリックにしちゃったんだろうと。
でもそれは他人と自分の価値観の違いであって、逆にこのサイケデリックな方を楽しめる人もいるのだろう。
なのでその他人の価値観を体験したというように考えれば苦でもなかった。

芸術喫茶 清水温泉というところ。
湯船がテーブルと椅子席になってて、なかなかサイケデリック。

最後、お店を出る前にそのサイケデリックな古民家カフェのトイレを借りた。
そこはちょっとヨーロッパのキッチュなインテリアでまとまっており、トイレの音楽はミュゼットであった。ばっちり私の感性にもハマった時、メインのカフェの演出について再びうなづけた私がいた。

最後にもう一度店内を見渡し、音楽とともに楽しむと、これはひとつのアートだと感じた。
そして最後に、ここのオーナーとは気が合うかもしれないとすら思うのだった。
また多度津でトランジットしよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?