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Vertical SaaSのスケールさせないスケール戦略【Vol.2】

※本記事はイタンジ前CEO 野口 真平の記事です

前回、Vertical SaaS(業界特化型SaaS)のスケール戦略についてイタンジの事例を用いて、「顧客にフォーカス」することの重要性について述べました。予想外に多くの企業の方から好意的な反響をいただいたため、今回はVertical SaaSのスケール戦略において、同様に重要な「機能にフォーカス」することについて解説していきます。

繰り返しになりますが、Vertical SaaSは、顧客のアナログな課題が「深い」ため、追加していく新規プロダクトのポテンシャルが大きいと言えます。

前回の記事では、初期にデジタルに得意でないSMBを対象にすると、採算が合わず拡販できなかったものの、ユニットエコノミクスを改善することで次第にターゲットできるようになったと説明しました。これには、CACの改善だけでなく、LTV(顧客単価 * 粗利 / チャーンレート)を向上させていくことが必要不可欠であり、そのための直接的かつ大きな影響力があるのが、新規プロダクトを増やしてクロスセル(顧客が購入しようとしている商品に組み合わせて別の商品を提案し、購入を検討してもらうこと)していくことです。


機能にフォーカス

イタンジの事例をあげると、賃貸取引における入居申込と契約を電子化する「申込受付くん」と「電子契約くん」はUI・UX面でシナジーがあり、データが共通化されています。「申込受付くん」を導入している顧客にとっては、他のサービスを利用するより「電子契約くん」を利用するメリットが大きいといえます。
また、逆に「電子契約くん」が、新しいエントリーポイントとなることもあり、新規獲得ペースも加速していきます。

こうして、「申込受付くん」を利用している既存顧客に対して「電子契約くん」をクロスセルし双方の導入が進むと、イタンジにとって顧客単価が高まるだけでなく、より深くカスタマーサクセスに貢献でき、結果、チャーンレートの改善や、その他のプロダクト展開にも影響します。

実際、「電子契約くん」は提供開始から1年半程度で導入社数500社を超え、賃貸仲介会社の利用率がNo.1となっています。

従来、アナログな側面のある不動産業界で、このようなスピード感でDXが進行することは難しいとされていました。しかし、カスタマーサクセスが実現している既存プロダクトとのシナジー効果があるとなると、顧客は新しいサービスに対しても期待してくれます。そうなると、サービス導入のハードルは下がり、かつ、導入時の効率も上がっていきます。

このように、クロスセルはVertical SaaSの成長に直結しているといっても過言ではありません。クロスセルを効率よく進めていくためには、Vertical SaaS特有のメソッドがあり、それらを踏まえてイタンジが「顧客にフォーカス」とあわせて実践してきたのが「機能にフォーカス」することです。

機能にフォーカスするメリット

なぜ、始めから1つのプロダクトを多機能な状態で提供するのではなく、わざわざソリューション範囲を狭めて、段階的にプロダクトを増やしていくべきなのか?という観点で説明します。

もちろん、初期から機能を充実させ、ソリューション範囲を広げて提供していくことも可能です。たとえ開発リソースがなくても受託開発的な進め方もありますし、その方が初期から収益性を高めていける可能性があるので、必ずしもその進め方を否定している訳ではありません。

一見すると、大手企業が初期の主要なターゲットになりやすい状況では、多機能なサービスの方がPMF(Product Market Fit=顧客の課題を満足させる製品を提供し、それが適切な市場に受け入れられている状態)しやすそうに見え、つい、最初からソリューション範囲を広げて開発していきたくなります。

しかし、SMBも含めた産業内での独占的なシェアを短期間で獲得してスケールすることを目指すのであれば、「機能にフォーカス」することを重要視するメリットがいくつかあります。

1つは、特定の業務に選択と集中することにより、その部分に関して「品質の高い」プロダクトにしていけるという点です。他には、不動産業界でデジタル化していく際に障壁となっていた、サービス導入に伴う顧客の「導入負荷」を将来に分散させることができる点です。さらに、段階的にカスタマーサクセスを実施していくことで「DXへの期待値」を引き上げながら導入を進めていける点も大きなメリットと言えます。
これらによりイタンジは、DXへの抵抗を和らげながら、多くの不動産会社へサービスを広めていけたのではないかと思います。

多機能で導入負荷が大きいプロダクトの失敗事例

逆のアプローチをして失敗した例として、イタンジが創業間もない頃、多機能なプロダクトをリリースして1社にも売れなかった事例をご紹介します。

そのプロダクトは、多機能で先進的ではありましたが、導入までに顧客が覚える内容が多い上に、データを旧システムから移行する必要がありました。そのため利用開始までの顧客の導入負荷が大きく、顧客にとっては「試しづらい」サービスでした。プロダクト自体は、既存の類似サービスにある機能を一通りカバーしており、さらにクラウド化し、UI・UX面での優位性を持って広げていく予定でしたが、「なぜクラウドであるべきなのか」を理解してもらうのも難しく、プロダクトへの期待よりも、使い慣れた操作画面から新しいものへ移り変わることへの抵抗が上回ってしまいました。

このプロダクトの失敗要因はいくつかありましたが、中でも大きかったのは2点、1点目は、多機能であることから顧客へ価値訴求するポイントが絞られておらず、サービス価値の合意形成が取りづらい仕様になっていたという点。2点目は、機能が多く影響範囲が広いため、導入時の負担が大きく、顧客の心理的ハードルが上がってしまった点です。そうなると、試していただくことすらできません。

前回の記事で述べたように、システム化へ苦手意識がある場合、サービスの説明をしても細かい仕様は理解されづらく、導入効果への期待は薄くなります。
機能が満遍なく搭載されていて導入に工数がかかるプロダクトは、一度入ったらなかなか退会されづらいという特徴もありますが、既存サービスとの違いが不明確であったり、機能説明が多くなってしまうと、サービスの価値に対する合意形成をとる難易度が上がっていきます。

そのため、簡単な操作方法で明らかな効果が期待できる「シンプルさ」が勝つ、という結果になります。

前述したイタンジで失敗してしまったプロダクトは、多機能にして導入判断の難易度が上がったとはいえ、大手企業の中には利用を検討してくれる企業がありました。
その時課題となったのは、ソリューション範囲が広がったため、大手のシステムベンダーと範囲が被ってしまい、それらと比較検討されてしまったことです。システムカスタマイズの対応力や、その時点での会社としての信頼や実績という観点で、当社は選んでいただけませんでした。
大手不動産会社様にとっては、大きな領域を、まだ知名度の低いベンチャー企業に任せることは不安が伴い、それよりも、取引実績のあるシステムベンダーや、名の知れた大手開発会社を選んだ方が信頼できると判断されてしまうのも今思えば当然でした。
結局そのプロダクトは1社にも利用されずにサービスを閉じました。

イタンジはその後、初期の信頼が得られていない段階では、多機能にするのではなく、様々な業務の中でも課題感の大きいポイントを見つけ、そこの機能にフォーカスすることで、部分的なソリューションフィットと、顧客の試しやすさを重視して進めていきました。
これにより、説明もシンプルになり顧客の理解を得やすく、また、顧客の導入時の心理的なハードルを下げることができ、サービスを拡大することができました。

実は現在、「過去1社にも利用されないままクローズした多機能なプロダクト」と殆ど同じソリューション範囲のプロダクトを展開しているのですが、現在はスムーズに顧客に受け入れていただいています。顧客からの信頼を得る前と後では、顧客の反応は全く違うものになるという教訓でもあります。

拡大のきっかけとなった初期プロダクト

不動産管理会社の業務内容を分解していくと、出稿管理、反響対応、内見管理、申込管理、契約管理、入居者管理、清算管理、退去管理など多岐に渡っており、当時の管理会社向けのシステムの多くは、それら全ての業務を統合して管理できるサービスが大半でした。

イタンジの「多機能なプロダクト」は、当時リプレイスはいただけませんでしたが、一方で、統合されたサービスでは解決できていない各業務ごとの課題があり、付加価値を生める部分が多いことにも気付きました。

その結果イタンジは、管理業務の中でも課題に感じている管理会社がひときわ多い反響対応業務にフォーカスした「ぶっかくん」という物件確認電話の自動応答システムでエントリーポイントを作っていくことにしたのです。

「ぶっかくん」は、従来、管理会社が担っていた反響対応業務を自動音声で返答するサービスです。当時、こういったサービスはなかったため、リリース当初は効果に対して懐疑的な管理会社が殆どでした。「人が電話対応しないことで問い合わせが減ってしまうのでは」などの懸念の言葉もいただきました。しかし、導入に必要なことは、電話番号を変えて、反響対応に必要な項目のデータをCSVで登録するだけというシンプルさで、早ければ即日から利用可能な運用となっていました。導入ステップを簡単にすることで、「手間があまりかからず、反響対応が本当に解決するなら一度試してみたい」という管理会社が現れ、徐々に実績ができています。

この時、顧客へ提案する際にも「効果が出なかったら即やめてください」といったトークで提案していきました。

「ぶっかくん」は、導入が簡単な一方で、統合された賃貸管理システムから反響対応業務だけを切り離して、並行運用できることを前提に作られています。そのため、既存システムと「ぶっかくん」にデータの二重登録や二重のシステム運用が必要になります。それでもなお、システムごとリプレイスするよりは遥かに導入ハードルが低く、かつ、反響対応業務は全体の業務の中でもひときわ課題感が強かったためPMFすることができました。

このように、初期の、信頼性が低く、導入ハードルが高い状態の時こそ、課題となっている部分を見極め「機能にフォーカス」することで、既存システムの中に割って入ることができました。

機能にフォーカスしたデメリット

機能にフォーカスすることでデメリットもありました。「ぶっかくん」は反響対応業務に課題を持つ不動産会社に利用され始めましたが、その後、解約が急速に増えた時期がありました。理由は、競合が似たようなサービスを提供し始めたからでした。

その状態からチャーンレートを低くしていくには、効果を出すだけではなく、次なるプロダクトの芽を見つけて、クロスセルして、といった循環に入っていく必要があります。

カスタマーサクセスして評判が広まり始めると、他システム会社も「ぶっかくん」の存在に気付き、同じようなサービスを提供するようになったのです。既に機能が統合された不動産管理システムを展開しているシステム会社の場合、当然、当社よりも優位性が高くなります。

この時期、競合が一気に市場にサービスを広げようとする中で、イタンジは既存顧客のカスタマーサクセスに注力し、そこから得られた要望から、新規プロダクトの開発を進めました。その結果、クロスセルが進み、プロダクトの相乗効果が生まれて顧客の粘着性が高まり、チャーンレートが改善されていったのです。

まとめると、「機能にフォーカス」したことのデメリットは、ソリューション範囲が狭い分、競合にトレースされるのも早く、多機能なシステムと比べてスイッチングコストが低いため、競合が出現するとチャーンレートが悪化してしまうリスクがある点です。
また、初期から多機能で提供した時と比べて、 顧客単価を抑えて、将来的な高まりを見越してスタートしていくことでもあるので、その後に続くプロダクトがPMFしていかなければ、低い収益性のままで終わってしまいます。
そうならないように、カスタマーサクセスとクロスセルのサイクルを早く回していくことが重要です。

クロスセルで初めて価値が生まれる機能も

「機能にフォーカス」するメリットとデメリットについて話しましたが、結局はクロスセルのポテンシャル次第だと賛否が分かれるでしょう。

PMFさせていくことの難しさを知っている方にとっては、新規プロダクトのクロスセルを頼りにして進めていくことにリスクを感じるかもしれません。

仮にエントリーポイントを作れたとしても、結局その後が続かなければ、競争優位性は出せず、機能にフォーカスした価値が発揮されされないのは事実です。
しかし、イタンジは機能にフォーカスすることで、これまで10個ほどのプロダクトのうち大半をほとんど失敗することなくPMFさせてきました。それらの経験から「PMFの難易度はプロダクトレイヤーを重ねるごとに下がっていく」と実感しています。

カスタマーサクセスをすると、顧客の導入障壁は下がり、逆に期待値は上がります。さらに、顧客から得られる情報の密度が変わることで、PMFの確率があがります。

イタンジの事例だと、「ぶっかくん」が顧客に高い効果を実感してもらい信頼関係を構築できてきた頃、「どんな業務に課題を感じているか」についての解像度の高い情報を顧客から得られるケースが増えてきました。そういった情報の中に、反響対応に特化した「ぶっかくん」と親和性が高い、内見の予約管理に関するニーズがありました。取引の流れで見た時も、反響対応と内見の予約対応は一連の業務で実施されており、さらに開発要件としてもそれほど重くない内容でした。
また、顧客から要望をもらって開発することになるので、開発開始時点から受注を獲得できているような状態となります。
そのため次に「内見予約くん」という名前で内見予約のWEBシステムを提供したところ、大半の既存顧客にクロスセルできたのです。

「内見予約くん」は単体のプロダクトで提供した時に解決している業務課題はそれほど大きいものではなく、顧客にとっても優先度の高い要望でありませんでした。
実際に、このプロダクトは単体で販売しても、それだけに料金を払って利用する顧客は殆どいませんでした。仮にこの「内見予約くん」を最初のプロダクトとしていたら、PMFできずに終わっていたかもしれません。
つまり、「内見予約くん」は、「ぶっかくん」の顧客にクロスセルすることで初めて価値が見出されるプロダクトだったといえます。
「ぶっかくん」とのシナジーがあり、同じ管理画面で殆ど顧客側の負担が増えないという点が大きかったと感じます。

その後の新規プロダクトも同様に、既存プロダクトとのシナジーがある状態で、カスタマーサクセスのレベルが高まっていくことで、PMFの難易度が低い状態でサービスを展開することができました。

機能にフォーカスで業務の解像度が上がる

また、組織設計の観点で、「機能にフォーカス」することで開発やCSにもたらす影響を説明しておきたいと思います。
簡潔に言うと、機能にフォーカスすることで、業界未経験者でも高品質なサービスの創造や、カスタマーサクセスが可能になります。
なぜなら、必要とされる業務知識が狭まるため、短期間で「業務解像度」を高められるからです。(多機能であれば幅広い業務知識や専門性が必要とされます)

先にご紹介した「初期に失敗した多機能なプロダクト」を展開していた時は、提供する機能の数だけ知識が必要となりその量は膨大でした。短期間で広範囲な業務知識を得ながら開発する難易度は高かったため、満遍ない機能がありながらも、他サービスと差別化できるポイントを見出せずに終わってしまいました。

一方で、「ぶっかくん」の時のように機能がフォーカスされていれば、エンジニアは管理会社の反響対応業務だけに特化して業務知識を得ながら開発していくことができます。知識が必要な範囲が限られていれば、短期間で業務の解像度が高まります。

イタンジでは実際にエンジニアが不動産業務を経験したり、顧客に直接会いに行ったりすることがあり、これはユニークなスタイルかもしれません。機能にフォーカスし、PMFする前の段階では、きめ細かい仕様で他社と差別化できるかが勝負となりますので、事業規模が大きくなった現在でもこのスタイルは続けています。

組織のスケーラビリティに寄与する理由

機能にフォーカスすることは、組織のスケーラビリティを高め、SMBも含めた産業全体に拡販するフェーズで大きなメリットとなります。

高いITリテラシーと深い不動産業界知識を、最初からあわせ持つ人材を採用することは、現実的ではありません。
Vertical SaaS特有の課題ですが、スケールしていく段階で、質の高いサービスを提供するために必要な、産業知識をインプットする負担がボトルネックとなり、組織拡大のスピードが落ちることは珍しくありません。

イタンジの「申込受付くん」を例に挙げると、このサービスの営業やカスタマーサクセスをしていくのに必要な業務知識は、未経験者でも1〜3ヶ月程度の期間と定義しています。
プロダクト単位で業務が分解されているので、新しいメンバーが活躍するまでのスピードを最短化することができます。イタンジでは「反響」「内見予約」「申込」「契約」「更新退去」「精算管理」と、プロダクトごとに必要な業務知識もチームも分割されています。そうすることで、メンバーが活躍するまでのスピードを早めるだけでなく、例えば「契約」チームで言うと、エンジニアが電子契約に関する法律の動向を抑えながら開発をしたり、CSは顧客に法的な説明も含めて対応できたりと、サービスの質を高めていくことができるのです。

もちろん、分業してもチームを跨いだ連携は必要であり、クロスセルが進んだ状態ではプロダクトごとの分割が逆に課題を生むこともあります。
しかし、スケールしていくタイミングでは、組織の中で業界未経験者が急増していくため、それらのメンバーがすぐに活躍できるような環境構築できるかが成長を大きく左右します。そのため、機能にフォーカスし、それに適した分業のチーム編成ができていることは大きなメリットであると考えています。

まとめ

以上の通り、イタンジでは「機能にフォーカス」したことで、新規プロダクトを連続してPMFさせながら、クロスセルによって成長してきました。
この前提には、顧客をフォーカスすることで顧客からの信頼が積み上げていき、それによって顧客のデジタルへの価値感を短期的に変えられるという、Vertical SaaSならでは特徴があり、それを最大限に活かした戦略だと捉えています。

前回の「顧客をフォーカス」編も合わせて、本記事でお伝えした内容をまとめます。

Vertical SaaSでは、システムへの抵抗がある企業が多いうちにサービスを広げようすると、資本が無駄になりやすいため、初期はDXに積極的かつ業界内で影響力のある企業を見極めてカスタマーサクセスすることで、コストパフォーマンスを最大化できます。その間に産業のネットワークを利用して信用を築き、新規プロダクトを開発し、クロスセルを進めていく準備をしていきます。顧客の価値観が変わり、ユニットエコノミクスが高まったタイミングで、シェアの獲得とLTVの最大化を目がけて組織を拡大し、スケールを目指します。
つまり、「顧客と機能にフォーカス」することは、Vertical SaaSにおいて、短いタームで起こる顧客の価値観の変化を捉えて、資本を投下する場所とタイミングを見極める「選択と集中」の戦略と言えます。

ぜひご参考にしてください。



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