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『グッバイ、ドン・グリーズ!』 の感想文

東京から少し離れた田舎町に暮らす少年・ロウマ。
周囲と上手く馴染むことができないロウマは、同じように浮いた存在であったトトと二人だけのチーム"ドン・グリーズ"を結成する。その関係はトトが東京の高校に進学して、離れ離れになっても変わらないはずだった。
「ねえ、世界を見下ろしてみたいと思わない?」
高校1年生の夏休み。それは新たに"ドン・グリーズ"に加わったドロップの何気ない一言から始まった。ドロップの言葉にのせられた結果、山火事の犯人に仕立て上げられてしまったロウマたちは、無実の証拠を求めて、空の彼方へと消えていったドローンを探しに行く羽目に。
ひと夏の小さな冒険は、やがて少年たちの“LIFE”生き方を一変させる大冒険へと発展していく。


以下ネタバレあり。









本作のテーマは、端的に言って「世界を広げる物語」だ。

主人公のロウマは狭い世界に生きており、遠くに行くことを避けている。普段の行動範囲は自転車で行ける距離だけ…という高校1年生だ。修学旅行や課外授業を除いては、自分の住む町からは出たことがないという。1番の友人であるトトに誘われても東京へは行かないし、トトとドロップの喧嘩で傷ついたとしても遠くには逃げない。また、ロウマの世界の狭さは物理的なものだけではない。クラスのSNSグループで囁かれた一時の噂くらいで、本気で逮捕されると考えてしまう。ロウマにとってはそれが世界の全てなのだ。
ロウマはほうれん草にユグドラシルという名をつける。ユグドラシルは北欧の神話に登場する世界樹だ。チボリの引越し先について調べ、そこで得た知識からなる男子中高生らしい発想。世界樹の枝葉はどこまでも伸び、遠く離れたアイルランドまでも届く。狭い世界に住むロウマだったが、遠く離れた場所に住む、好きな女の子を感じていたいと願ってしまうのだった。


トトは広い世界を知ろうとしている少年だ。中学生のトトは、狭い世界で生き続けるべきではないと考えていた。だから、原宿仕込みのヘアスタイルを見せびらかし、東京の生活を満喫している様子を見せる。引っ込み事案のロウマには、無理矢理にでも電話をかけさせるのだ。世界を広げ、頑張ることが正しいことだと思っているから。
田舎では優秀だったトトだが、東京では多くの人間のうちのひとりになってしまった。医者になることが正解だと信じていたが、広い世界を知って「本当に自分は医者になりたいのか(あるいは、なれるのか)」という疑問を抱いてしまった。実際に広い世界に出ようとしたことで傷ついてしまった。狭い世界を出ないロウマとは対照的な存在だが、世界を広げようとしても幸せにはなれなかった。


こんな2人の生き方を変えるのは、海外からやってきた少年ドロップと共に過ごしたひと夏の経験である。

ドロップは、アイスランドに住んでいたことを大したことではないと考えている。(ちなみにアイスランドは世界一位の医療大国である)
そんなドロップとの冒険を通して、ロウマとトトに「広い世界」がインストールされていく。ポジティブで真っ直ぐで、楽しみながら冒険をするドロップから、道を自分で作ること、時には逃げてもいいこと、諦めないこと、いろいろなことを受け取っていく。ここで得た経験が、今後の2人の人生を大きく変えることになる。

この辺りから、本作のこんな構図が見えてくる。

広い世界:ドロップ、チボリ
狭い世界:ロウマ、トト、クラスメイト

ドロップだけでなく、チボリも「広い世界」側の人間だ。アイルランドからニューヨークへと渡り、楽しそうに留学を繰り返している。ロウマにとってチボリは、好きな女の子であり、憧れでもあった。ロウマはドロップとの冒険を通して、手の届かない場所にいると思っていたチボリに接近し、彼女の見ていた景色を体感することになる。

チボリが撮った写真を眺めても、狭い世界に住むロウマは青い花にしか目がいかない。しかしドロップの言葉で、チボリが撮ったものがてんとう虫だったことに気がつく。彼女は青い花たちのなかで飛び立つ、赤色のてんとう虫に美しさを感じていた。この「青色の中の赤色」は、劇中で何度も強調されていた。山中ではロウマの服、スマホ、リュック、焚き火。激しい滝の中では電話ボックス、コーラなどがそれにあたる。一様な青は綺麗かもしれないが、そこから独立している赤もまた美しいのだ。チボリがてんとう虫を見つけるきっかけになったのは、青いジャージのクラスメイトたちの中に混じる、赤い服を着たロウマである。

ドン・グリーズのような浮いた存在だったとしても、見方が違えば美しくなる。とても仲の良いロウマとトトを見て、ドロップは「ドン・グリーズが羨ましい」と語る。東京ばな奈の包装はトトからみればゴミかもしれないけれど、ドロップからすると宝物なのだ。実際に、あの夏に一緒に過ごした時間は立派な宝物になった。後悔しながら進んだ間違いだらけの冒険だって、彼らにとってはのちに大切な宝物になる。


チボリはカメラを「瞬間を収めるもの」だと語る。自分が見たこと、感じたこと、広い世界の隅っこにある2度と訪れない瞬間を永遠にし、その瞬間が確かに存在したことを証明するものだと話す。

ドロップが残した宝物を探す旅で、ロウマは写真を撮り続ける。他の人から見るとなんでもなくて、世界の隅っこようなものだとしても、その瞬間を残し続ける。切りとったその瞬間を永遠にすることで、ドロップが生きていたことの証明となる。こうしてロウマが動き出したのは、ドロップとの出会いがあったからなのだから。


見慣れた町のすぐ外には、世界につながる扉があった。

それは初めてくぐったトンネルだったり、少し離れた空港だったり、あるいは電話だったりする。一歩踏み出してその扉を通れば、私たちの世界は広がっていく。チボリが住んでいるのもそう遠い場所ではない。最後のカット、広い世界を目にし両手を広げたロウマは「すぐそこじゃないか」と口に出す。彼らはもう、狭い世界で歓喜を制限された少年たちではない。グッバイ、ドン・グリーズ。

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