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コロナ菌?

「菌を持ち込まない!」みたいに言ってる人たちの話を聞きながら、「コロナはウイルスであって菌ではないのに…」と思い続けて1年半くらい経った。

ウイルスと菌は言葉の定義からして違う。このあたりの分野に明るいわけではないけれど、生物の授業で習った記憶がある。ウイルス君は生物の三要素である ①細胞膜がある ②自己増殖する ③代謝する を満たしてないので一般的に非生物とされてる…みたいな話だったと思う。

そんな前提知識もあり、コロナ禍トークをしているはずなのに菌という言葉で会話が進んでいくのはかなりの違和感があった。でも僕は大人なので、指摘なんてしないのです。


中学生くらいの僕はこういう「言葉の間違い」みたいなものを逐一訂正していた気がする。スイカは野菜だし雰囲気はふんいき、みたいな。自分が知っている言葉たちの間違った使い方に我慢ができなかったのだ。完全にイキっている。だけど、成長するにつれ「そんなに言葉の使い方にこだわるのは無意味じゃないか」と思うようになった。理由は3つ。


1つは、指摘されても嬉しくないこと。
普段の会話の中で「それは○○だよ」と指摘されたところで、された側は嬉しくない。誰が好き好んで会話中に言葉の使い方テストをしたいと思うのか。当たり前だ。配偶者を嫁と呼ぶ上司に「いやいやそこは妻ですよ」と指摘したところでボーナスが下がるだけなので、やめたほうがいい。


1つは、言葉の使い方が変化すること。
時代によって言葉の使い方が変わっているので、自分の知識が古い可能性がある。例えば「すっぴん」という言葉だけど、昔は「化粧をしていなくても美しいこと」を指してた。だけど今は広辞苑でも「化粧をしていないこと」とされてる。中学生の僕は、今すっぴんなのOLを見て「なんだこいつ」と思っていたのだけど、現代は「無化粧」の意がマジョリティになってる。


1つは、言葉の目的を理解したこと。
言葉はそもそも自分の考えを他人に伝えるためにあるのだ、と気づいた。コミュニケーションで大切なのはちゃんと伝わることであって、言葉の正しさじゃないのですね。いくら間違ってても、伝われば正義なのです。


…と大人なりに意識してはいるんだけど、やっぱり昨今の「コロナ菌」は気になってしまう。気質というかなんというか。
あえて言いはしないんですが、ウイルスと菌を区別せずに「99%殺菌!」とか謳ってる製品を脳死で買わないようにだけしてもらえればなーと思います。

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