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ミュージカル『ドン・ジュアン』 下界に解き放たれた真彩希帆の圧倒的存在感。その他諸々感想

遅ればせながら、10月末に観劇したミュージカル『ドン・ジュアン』の感想を記そうと思う。

赤坂ACTシアター前の大看板

観劇の目的は、もちろん真彩希帆だ。今作が真彩ちゃんの宝塚退団後一発目のミュージカルの仕事である。

ジャニーズの方が主演ということで、ファンクラブ等に入っていない身分ではなかなかチケットを取るのが難しかったが、なんとか一枚だけ手に入れることができた。

藤ヶ谷太輔が初めてミュージカルに挑み、主演を務めたミュージカル『ドン・ジュアン』は、2019年8月~10月にTBS赤坂ACTシアター他にて上演、タイトルロールである稀代のプレイボーイを大胆に、かつ繊細に表現し高評価のうち幕を下ろしました。今秋、待望の再演が決定、名うての色男が帰ってきます!

 本作は、モリエールの戯曲であり、モーツァルト作のオペラ『ドン・ジョヴァンニ』などでヨーロッパを中心に広く知られる「ドン・ジュアン伝説」を、フェリックス・グレイの作曲による情熱溢れる名曲でミュージカル化した作品です。2004年にカナダで初演され、その後パリや韓国でも上演。フレンチミュージカルとして大好評を博し、2016年に宝塚歌劇で日本初上演された際も大きな話題を呼びました。

公式HPより

日本では、宝塚歌劇団の雪組で、まさに真彩ちゃんとトップコンビとして相手役であった望海風斗さん主演で上演していた作品。映像ではあるが私も観たことがあり、望海さん演じるドンジュアンのえげつない程のお色気と圧倒的歌唱力で、これは何を見させられているのだ……!と思った記憶がある。それほど望海さんの色男っぷりは絶品だった。

物語の概要を振り返っておくと、ざっとこんな感じ。

物語の舞台はスペイン、アンダルシア。毎夜、欲望の赴くままに女と酒を求め続けて放蕩の限りを尽くす色男、ドン・ジュアン。そんな稀代の色男がいつしか、「真実の愛」によって変貌していく…。

 今作では、貴族の生まれでありながら、快楽を求め続けて悪徳の限りを尽くしていた主人公、ドン・ジュアンが、真実の愛によっていかに変貌していったのか、その変わりゆくさまを軸に、描きます。

公式HPより


望海×真彩トップコンビ政権下の雪組公演には本当に足繁く通い、トップになる以前から素晴らしかったお二人が、どこまでも天高く上を目指して芸の道を邁進して行かれるお姿を私はこの目で見てきた。

望海さんのとんでもない向上心に着いていかねば!と食らいついて努力を重ねてきた真彩ちゃんの、個人としての巣立ちの一歩。私としても(勝手に)自信と安心感はあったけれど、やはり宝塚と外部ミュージカルではだいぶ雰囲気も違うため、どうなるのだろうと少しソワソワもしていた。

しかしそのソワソワは、真彩ちゃん演じるヒロインのマリアが登場するなり払拭された。

在団時から変わらない、清々しく透き通る圧倒的歌唱を劇場空間中に響き渡らせ、会場中が驚きの渦に。恐らく宝塚ファン以外の人の方が多くいたであろうけれど、幕間などで周囲の観客が「ヒロインの人の歌声がすごい」と口々に言うのを聞き、勝手にとても誇らしい気持ちになった。

芝居の方でも、彫刻家の仕事が大好きで石との対話までできてしまう真っ直ぐなマリアという女性を、真彩ちゃんの持ち前の芸事に対する真っ直ぐさや直向きさを投影し、見事に演じ切っていた。

マリアには恋人がいるにも関わらず、ドン・ジュアンに出会うなり互いにぐんぐんと惹かれあってしまうという設定だったが、恋人に対する表現とドン・ジュアンに対する表現を巧みに演じ分けていて、ドン・ジュアンに対するそれの方が本能的なものであることがヒシヒシと伝わった。

彼女はミュージカルの申し子だ。感情を爆発させて情熱的に歌い上げたり、母なる大地であるかのように全てを大きく優しく包み込むように歌ったりもする。音楽については素人の私からしても、楽曲自体今回かなり難しかったと思うが、見事な歌いこなしっぷりで腰を抜かした。彼女と私は同い年である。なぜこうも違うの!?と問いかけずにはいられないほどだ。

在団中から、真彩ちゃんはもっともっと高く、大きな舞台に立てる人だ、むしろそうでなければならないと思っていたけれど、間違いないと改めて確信した。彼女ならまだまだ行ける。この歌声、表現力の高さを、もっともっと多くの人に届けるべきだと強く感じた。


一方、稀代の色男 ドン・ジュアンを演じたのはKis-My-Ft2の藤ヶ谷太輔さん。

こんな色男この世に存在する!?と思うくらいとにかく毎日放蕩ざんまい。逆に感動するレベルの生命力。笑
(日本では最近だと、“紀州のドン・ファン”殺害事件でこの名を頻繁に聞くようになったけれど、その人とは一緒にしないで欲しいと切に願う。)

藤ヶ谷さんのドン・ジュアンは、これまでアイドルとして培ってこられたお色気が溢れており、こりゃファンの人には堪らんのだろうなぁ。真彩ちゃん嫉妬されちゃうなぁ。なんて客観的に分析(笑)

お芝居やダンスは十分にドン・ジュアンを表現されていた。愛に飢え、無自覚のうちに荒んでゆき、本物の愛情を誰より欲し続けていくという人間の本能が感じられた。

ただやはり気になってしまったのは、ヒロインとの歌唱力の差だ。完全に私個人の考えであり、藤ヶ谷さんをディスっているわけでは全くない。でも主演とヒロインの歌唱力の差が大きいというのは、見ている側としてはマイナスポイントが増えてしまうものだと思っている。

どういうことかと言うと、作品に入り込んでいても、上手い方が歌った後にそうでない方が歌うと、急に興醒めしてしまったり、作品の内容ではなくその歌唱力の差の部分が気になってしまって作品に集中できないという事態が発生してくる。デュエットソングであればその差が尚更引き立ってしまう。

主演やヒロインではない脇を固める方であればある程度許容できるものの、作品の主軸となって物語を展開する主演とヒロインにおいては、私はそこは譲れないと思っている。

人にはそれぞれ持ち味の違いというものがある。

真彩ちゃんは天性とも言える歌唱力の高さを持ち、好奇心旺盛な性質もあってかどんな役でもしっかり深掘って、自分のものとして表現できる能力がある。

一方の藤ヶ谷さんは、ドン・ジュアンの役については非常に合っていると感じた。普段バラエティー番組などでの様子からは、洞察力が高く相手の気持ちを感じ取ってあげられて、誰とでも円滑にコミュニケーションを取れる方であるとお見受けする。そんな性質を活かして、ドン・ジュアンというなかなかこの世にはいないタイプの難しい役を紐解き、演じ切ることができたのだろう。持ち前の色気も相まって、魅力的なドン・ジュアンに仕上がっていたと思う。

ただ、そうであるならば、ミュージカルではなくストレートプレイでドン・ジュアンを演じるのはどうだろう?と個人的には思った。その方がきっと彼の魅力がより引き立つだろう。

なので今回の作品に関しては、それぞれ他の相手役で見てみたいな、と言うのが正直なところだった。

(藤ヶ谷さんのファンの方、ご本人に対する否定の気持ちはないのだけれど、傷つけてしまっていたら申し訳ありません。)


こんな評論めいたことを言っているけれど、最後は号泣……。
結末はハッピーエンドとはいかないけれども、真実の愛を知ることができたという意味では、ドン・ジュアンもマリアも幸せだったんじゃないかな。

愛は状況により、嫉妬や憎悪を生み、心を引き裂かれたり、命すら奪われたりもする。そうはならないことが理想なのだけれど。人間の感情というものはとても深く、地球上で生きる生物の中で最も発達した感情を持つ人間ならではの、永遠のテーマだなと感じた。

自分のその時の状況や年齢によっても、見方が変わる作品かなと思うので、またどこかで再演されることがあればきっと観に行く。


↓真彩ちゃんと演出の生田先生との対談記事が非常に面白かったので、ご興味ある方は是非!!

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