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乃木坂46の楽曲を一日一曲語る。47日目『生まれたままで』

_______【この記事の構成】_______
▼今日のこばなし

本題の伏線になる時とならない時がある雑談

▼『○○』の基本データ
作編曲、歌唱メンバー、MV等の情報

▼『○○』を語る
愛と飛躍に溢れた考察

▼おわりに
総括とキメ台詞


▼今日のこばなし

「僕は「なんでちゃん」」

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筆者は昔から「なんで?」が口癖のクソガキだった。
目の前にはいつも「なんで?」と思うような不思議がいっぱいで、世界が輝いていたのだ。

しかし、大人になると少しづつ、
自分だけが引っ掛かっている間に周りがどんどん先へ行ってしまう感覚を覚え始めた。
それはだんだん「自分は世界から疎まれている」という感覚に変わっていき、気づけば筆者は孤独で内向的な人間になっていた。

そんな時、サルトルやハイデガーといった哲学者に出会った。
自分が疑問に思っていたようなことを、先人たちも同じように疑問に思い考えていたという事実が、筆者にとって救いだった。

哲学に出会い、世界が再び輝きだした。


▼『生まれたままで』の基本データ

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▼収録 / 発売日
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8thシングル『気づいたら片想い』Type-C / 2014年4月2日

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▼作詞 / 作曲 / 編曲
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秋元康 / 田中俊亮 / 鈴木裕明

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▼歌唱メンバー
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1期生:市來玲奈、伊藤寧々、伊藤万理華、井上小百合、衛藤美彩、川後陽菜、齋藤飛鳥、斎藤ちはる、斉藤優里、永島聖羅、中田花奈、中元日芽香、能條愛未、畠中清羅、星野みなみ、大和里菜
2期生:新内眞衣

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▼センター
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伊藤万理華

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▼MV(ミュージックビデオ)
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監督:久保茂昭


▼『生まれたままで』を語る

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・自由とはなにか

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『生まれたままで』を聴く時、筆者の脳裏には常にサルトルの実存主義がちらつく。

そして、そこから導かれるこの曲の主題はこうだ↓

人間は自由だ。では自由は希望か、あるいは絶望か?

というわけで、サルトルの思想に照らし合わせて『生まれたままで』の歌詞を考えてみよう。
(「サルトル?実存主義?」という方にもやさしい文章なのでご安心を)


・「実存は本質に先立つ」

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サルトルは、物と違って人間だけが「実存は本質に先立つ」と述べた。
コレがどういう意味かと言うと、倫理の資料集の説明がいちばん分かりやすいので引用させてもらおう↓

物であるペーパーナイフの存在は、職人が「紙を切るためのナイフ」という本質を目的として作ることで生まれる。つまり、ペーパーナイフの本質は実存に先立つ。しかし、人間はまず先に存在(実存)し、世界に姿を現した後で、自分で自分がどのような人間かという本質を決めていく。つまり、人間の存在としての実存は本質に先立つ。実存主義において「人間」の定義を決めることができないのは、人間は生まれた時は何者でもないからである。

- 出典:松本洋介ほか『テオーリア 最新倫理資料集 三訂版』(第一学習社、2016年)

例えば、えんぴつの本質は「紙に記述するための道具」である。
一方でえんぴつの実存とは、「机の上や筆箱の中に存在しているえんぴつそのもの」といった意味である。

えんぴつは、
紙に記述するという目的で作られ、(=本質)
いま机の上や筆箱の中に存在している。(=実存)

この本質→実存の順番が、「本質は実存に先立つ」ということである。

だが、人間はこの反対なのだ。
人間は、何の目的もなく何者でもない状態で誕生する。(=実存)
そこから生きていく中で、生きる目的や社会における自分の役割を決定していく。(=本質)

つまり人間だけは実存→本質の順番ということになる。
ゆえに「実存は本質に先立つ」のだ。

以上のことを意識しながら『生まれたままで』の歌詞を見ていこう。

夕焼けに染まった
コンビナート地帯は
燃え尽きた何かが
空に立ち上る

- 出典:『生まれたままで』/ 作詞:秋元康 作曲:田中俊亮

ここでコンビナートはの代表として描かれている。
明確な目的を持って作られ(本質)、いまこうして存在し、稼働しているのだ(実存)。
そしてこのとき「僕」は、「コンビナート地帯」という言葉の中にそこで働く労働者たちも含めている。

そんなコンビナートから立ち上る煙をわざわざ「燃え尽きた何か」と表現しているのは、きっと「僕」がこんなことを感じているからだろう↓

ただ社会の歯車として役割をこなすことの虚しさ、不自由さ

「僕」はこのことを学校でも感じていたのだろう。
だから「僕」は学校を辞めた。

学校 辞めたことは
今も後悔してない
問題なのはあまりに長い
命の残り

- 出典:『生まれたままで』/ 作詞:秋元康 作曲:田中俊亮

「僕」が学校を辞めたことを後悔していないのは、それが虚しさや不自由さから抜け出すためには正しい行為だったと信じているからだろう。

しかし、晴れて自由を手にした「僕」は
未来に希望を持つのではなく、あまりに長い命の残りを憂いている。

なぜだろう?
この答えは2番で見えてくるのだが、先に1番のサビにふれておこう。

生まれたまま
ずっと自由に生きられたら
今 どうしてるだろう?
真っ白だった羽も汚れてはいなかった
いくつの嘘
自分に言い続けたのかな?
誠実じゃない
僕はその分 大人になった

- 出典:『生まれたままで』/ 作詞:秋元康 作曲:田中俊亮

生まれた時は何者でもない自由な存在だった自分が、学校によってステレオタイプを押し付けられ、嘘にまみれた誠実でない大人に近づいていると「僕」は感じていた。

しかし、学校を辞めて再び実存に立ち返った「僕」は気づいた。
自由とは真っ白だ。すべて自分で選択しなければならない。
「僕」はずっと、この選択することから逃げていたのだと。

本当の自分に戻れたは良いが、これからどうしよう。
そんな気持ちで2番に続く。

定刻になったら
自転車が溢れて
ささやかなしあわせ
家まで届ける

連なった飲み屋の
その一角に帰ろう
母親の化粧は
涙の跡を隠してる

- 出典:『生まれたままで』/ 作詞:秋元康 作曲:田中俊亮

機械仕掛けのように定刻になると溢れる自転車の人々に対して、きっと今まで「僕」は「不自由で可哀想だな。自分はああなりたくないな」と思っていたであろう。

しかし、自由を手にしたはずの「僕」がその人並みの中で自分の空っぽさを感じている。
逆に、今まで虚しいと思っていた人々がささやかなしあわせの表情を浮かべていることに気づく。

それは母親に対しても同じ、あるいは一番当てはまるのかも知れない。
息子の養育費を稼ぐため飲み屋で身を粉にして働く母の姿に、おそらく「僕」は感謝しないといけないとは思いつつ、「何故こんな不自由な生き方を選んだのだろう」という哀れみの目を向けていたと思う。

しかし学校を辞めた「僕」が帰宅すると、直前まで息子のことで泣いていたであろう母が、それを化粧で隠し懸命に働いている。
それを見て「僕」はよりいっそう自分の空っぽさを感じただろう。


・「人間は自由の刑に処せられている」

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本質を取り払って実存に立ち返った「僕」が分かったこと...

自由とは真っ白でどんな未来も希望に満ちているのは確かだが、同時に自由とは選択と自己責任の途方もない道のりであること。

加えて、
どうやら責任と選択の連続を生き抜く覚悟が無いのなら、素直に社会の歯車として生きる方が幸せらしいということ。

「人間は自由の刑に処せられている」

人間は、望んで生まれてくるわけではないにもかかわらず、自分のすべての行為と選択に対して、自分で責任を負わなければならない。

- 出典:松本洋介ほか『テオーリア 最新倫理資料集 三訂版』(第一学習社、2016年)

人間は自由だ。
自由とは希望であり、自由とは悲しみである。


▼おわりに

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ちなみに、サルトルの主張はここからさらに「だからこそ我々は主体的・積極的に生きていかにゃならんのだ」と力強く続いていく。

『生まれたままで』のMVもどちらかと言えば「真っ白な未来への希望」という明るいテーマになっている。

では、また明日 stay tuned!



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