見出し画像

乃木坂46の楽曲を一日一曲語る。22日目『ここじゃないどこか』

_______【この記事の構成】_______
▼今日のこばなし

本題の伏線になる時とならない時がある雑談

▼『○○』の基本データ
作編曲、歌唱メンバー、MV等の情報

▼『○○』を語る
愛と飛躍に溢れた考察

▼おわりに
総括とキメ台詞



▼今日のこばなし

「切手のないおくりもの」

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

これまでの人生で、たくさんの歌に出会った。

しかし、その中で一番好きな曲を選べと言われたら、『切手のないおくりもの』と答えるだろう。

筆者は小学二年生の音楽でこの曲と出会った。
当時はなんとなくいい曲だな、としか思っていなかった。
ところが、
歳を重ね様々な経験をするにつけ、ふとこの曲を思い出し、その度に歌詞の意味を再発見するのである。

きっとこれからも、この曲は筆者の人生に寄り添ってくれるのだろう。
『切手のないおくりもの』は、その歌詞のありふれた真実を一生かけて味わう曲なのである。


▼『ここじゃないどこか』の基本データ

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

_______
▼収録 / 発売日
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

4thシングル『制服のマネキン』Type-B / 2012年12月19日

_________
▼作詞 / 作曲 / 編曲
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

秋元康 / 大藤史 / 京田誠一

________
▼歌唱メンバー
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

生田絵梨花、生駒里奈、星野みなみ

『制服のマネキン』でフロントメンバーを務める3人によるユニット。
3人の名字の頭文字を取って「生生星」(いくいほし)と呼ばれる。

______
▼センター
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

生駒里奈

________
▼うさぎのモフィ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

『ここじゃないどこか』は、TVアニメ『うさぎのモフィ』(NHK BSプレミアム)のEDテーマソングに使用された。

_____________
▼MV(ミュージックビデオ)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

監督:岡川太郎


▼『ここじゃないどこか』を語る

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

・空気よりも軽い曲

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

三匹の妖精が優しく背中を押してくれる、童謡のような温かみのある曲である。

「ふわふわ」や「マシュマロ」といった言葉が歌詞に出てくるくらいフッワフワな曲なので、『ここじゃないどこか』を集めたいなら上方置換法が最適だろう。


・内面世界としてのワタ畑

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

ふわふわのワタ畑
隠れてるから見つけて

- 出典:『ここじゃないどこか』/ 作詞:秋元康 作曲:大藤史

ホントは知ってる
早く見つけて欲しいって...

- 出典:『ここじゃないどこか』/ 作詞:秋元康 作曲:大藤史

「ふわふわのワタ畑」というのは心の中の安全地帯を表しているのではないだろうか。
ただしこれは、心安らぐ場所というより何も考えなくてもいい場所という意味合いが強い。

何も考えなくてよいのは気が楽だが、それは停滞と同義であると筆者は思う。
停滞が危険であることは、誰もが本能的に理解しているのではないだろうか。
ゆえに、自分の意志でワタ畑に隠れていながら、本当は誰かに見つけて欲しいと思っているのだ。


・客観を主観に取り込む

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

この曲は

「誰か」(歌い手)が「君」に語りかける

という構成になっている。


が、不思議なことに上記の①の歌詞は、完全に「君」主観である。

もちろん、「君」が「本当は早く見つけて欲しい」と思っていることを、「誰か」は見抜いている。だが、それにしても不自然さが拭えない。
一曲の中に意図的に「誰か」と「君」の両方の目線を入れ込んでいるとしか思えないのだ。

これによって生まれる効果を図解しよう。

内面世界その①

まず、内面世界とは「君」が外界と区別して認識している範囲、いわゆる自我である。
そして、内面世界において安全地帯であるワタ畑に身を隠し、思考停止しているのが現在の「君」の状態である。

では、ここに「君」に語りかけている「誰か」(歌い手)を書き足すとしたら、どの場所が適切だろうか。

筆者の考えはこうだ。

内面世界その2

「誰か」は外界から「君」を刺激しているのではなく、「君」の内部から「君」に働きかけているのである。

簡単に言うと、「誰か」は「君」でもあるのだ。
これは同一人物ということではない。
「誰か」の意識と「君」の意識の間に主客の区別がなくなり、「誰か」の主観が「君」の主観として「君」の内面に取り込まれているのである。

つまり、

「誰か」「君」へ呼びかける
見つけてほしい「君」隠れている「君」へ呼びかける

という対応関係になっているのである。


ここに「部屋の外のオカンより、心の中の推し」理論が成り立つ。

部屋の外のオカンに「学校へ行け」と何回言われても、それは外部からの刺激に過ぎない。
ゆえに、「うるせーよ」とますます閉じこもるばかりだ。

ところが性格や趣味嗜好の共感を重ねて自己の内面に取り込んだ推しに「頑張って」と言われると、それが内部に響き渡り素直に「うん、頑張る」と思えるのである。
推しの幸せが私の幸せであるように、
内なる推しからのエールは、自分で自分にエールを贈っていることと同義なのである。


愛とはぬくもり
一人ぼっちにさせないよ

- 出典:『ここじゃないどこか』/ 作詞:秋元康 作曲:大藤史

ここじゃないどこかへ踏み出すきっかけは何でも良いと思う。

でも、そうして広い世界を見た時に、ずっと部屋の外にいてくれたオカンの愛に感謝しなければならない。


▼おわりに

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

お母ちゃん、ありがとう。

では、また明日。 stay tuned!



頂いたお金は全て、次の記事のために使っています。