松村沙友理篇 制作日記No.43〈赤じい②〉
2021年5月27日(木)
お疲れ様です。いたがきブログです。
乃木坂46メンバーの卒業後を妄想した短篇小説を書いています。
現在は松村沙友理篇を執筆中で、完成した所までを無料で公開しています。
#振り向けば青春 略して #ふりはる
本日は昨日の続きをば。
がんで亡くなった親戚の“赤じい”のお話です。
【昨日の記事】松村沙友理篇 制作日記No.42〈赤じい①〉
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▼お見舞い
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入院中の“赤じい”のところへ家族で1度だけお見舞いに行きました。
僕らは四人兄弟で、当時は全員小学生以下だったので、あまり迷惑にならないように“赤じい”の容態が比較的安定している時にお邪魔したんだと思います。
とはいえ痩せ細って肌の色は悪く、帽子を取ると抗がん剤の副作用で毛が抜け落ちて頭蓋骨に皮が張られた感じになってました。
幼心に「ああ。これが死に向かってる人間なんだな」と思いました。
そんな僕をよそに、“赤じい”がうちのお父ちゃんになにやら話してたんです。
「いまこの本を読んでるんだけどね、この著者の立てようとしてるロジックと、俺が昔書いた本のアプローチがピッタリ重なる部分があるんだよ。」
そんな感じのことを言ってたと思います。
詳しい内容は覚えてませんが、すごく楽しそうに話していました。
それまで“赤じい”とお父ちゃんがそんな話をしているのを見たことが無かったので、当時は呆気に取られるだけでした。
今ならわかります。あれはとにかく誰かに話したくてたまらなかった目でした。
その顔を見たとき、「この人は生きてるな」って感覚的に思ったんです。
しかしその後も喉から全身に転移したがんは抑えられず、最期は自宅で息をひきとりました。
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▼葬式
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告別式の後、火葬までの待ち時間にそれぞれが“赤じい”との思い出を話す時間がありました。
(#うちは一家を代表してお父ちゃんがしゃべってました)
それまでイジワルで怖いイメージだった“赤じい”のユーモラスな一面とか、学生時代の優等生エピソードを聞いて、僕は“赤じい”のことを全然知らなかったんだなぁと寂しくなりました。
そして最後は、普段とてもハツラツとしている“赤じい”の奥さまのスピーチ。
最初はいつもの明るい感じでしゃべっていたのが、少しずつ感情が溢れてきて、僕は生まれてはじめて嗚咽する人を見ました。
“赤じい”が死の間際に言ったのは、「愛してる」だったそうです。
あの“赤じい”が最期に言った言葉が「愛してる」だったこと、そしてそれを奥さんが声を詰まらせながら話していたあの瞬間が忘れられません。
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▼そして小説へ...
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苦しい闘病の中でも大好きなモノに目を輝かせることが出来て、いろんな人の愛を受けて、愛する人を思いながら死んだ“赤じい”は、
間違いなく「生きていた」し、これからも「生き続ける」んだと思います。
死にゆく人たちが皆そうであればいいのになぁ。
執筆はまだまだ進んでいませんが、松村沙友理篇には何となく「救済」という側面も感じていて、その根底にはこの願いがあるんだと思います。
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実はこの「“赤じい”の死」に関する僕の思いは家族にも話したことがありません。
こうして文章にしたのも初めてです。
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【執筆風景】https://www.showroom-live.com/room/profile?room_id=354242
では、また後ほどお会いしましょう。
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