松村沙友理篇 制作日記No.42〈赤じい①〉
2021年5月26日(水)
お疲れ様です。いたがきブログです。
乃木坂46メンバーの卒業後を妄想した短篇小説を書いています。
現在は松村沙友理篇を執筆中で、完成した所までを無料で公開しています。
#振り向けば青春 略して #ふりはる
ここ数日、とある肺がん患者の男性が書いていたブログを読んでいます。(この話は制作日記No.39&40で綴りました)
今日もそのブログを読んでいたのですが、同時にもう何年も前にがんで亡くなった親戚の“赤じい”のことを考えていました。
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“赤じい”は母方の祖母のお兄さんにあたる親戚で、まだ元気だった頃は家に遊びに行ったりしていました。
どんな人かというと僕も幼かったので正確に覚えてはいませんが、「遊んでくれるしお金もくれる優しい親戚のおじさん」ではなかったのは確かです。
その頃の僕はとにかく人に怯えていたので、親戚との会話は○✕クイズのように感じていました。
この人が欲しい答えはコッチだろうなと毎回空気を読んで返事をして、なるべく波風を立てないことに必死でした。
そんな中にあって、“赤じい”はいちばん返事に困る人でした。
いつも笑いながらイジワルな言い方をしてくるんです。
今思えばそれはユーモアやアイロニーを含んだ“赤じい”らしい言葉だったのですが、当時はちょっと苦手というか話してるあいだずっと緊張してました。
この人は子供が嫌いだからわざとイジワルなことを言ってビビらせようとしてるのかなぁなんて思ってましたね。
(#まあ本当に子供が嫌いなら自分の家にガキを招くなんてしないだろうけど)
(#小学生の頭じゃそこまでは考えられなかった)
おまけに、“赤じい”の畳の部屋にはでっかい本棚があって、そこにぎっしり本が置かれてました。
自分でも本を出版しているらしく、知的好奇心旺盛な頭の良い人のオーラが滲み出ていました。
まとめると、
僕の中での“赤じい”は「答えにくい質問をしてくる賢くて怖い人」という印象でした。
それ以上のことは何も知りませんでした。
もっと知りたかったなと思った頃には、もう“赤じい”はこの世にいませんでした。
つづく
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ここ数日で、「“赤じい”の死」は自分が思っていた以上に僕の人生に影響を与えた出来事だったんだなと感じました。
で、改めて考えると、この出来事が松村沙友理篇の構想のきっかけのひとつになっていたことに後から気づきました。
だからね、
昔話してないで小説の続きを書けよ、とは言わないでくださいな。
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では、また後ほどお会いしましょう。
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