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ITADAKI THE FINAL 主催者インタビュー〜音楽の力を信じてきたボスの17年〜


今年2月、『ITADAKI THE FINAL』という文字を目にして驚いた人も少なくないでしょう。
17年の歴史に幕を閉じることを宣言したITADAKI。
大好きな場所がなくなってしまうのは悲しいけど、最後も思いっきり楽しんで最高の空間にしたい!と盛り上げてくれるみなさんの姿を見て、改めて最高のフェスだなと感じました。

しかし、やはりこの人に直接話を聞かないと終われない。そう、ITADAKIの主催者である通称・ボスです。
普段あまり表に出ないボスですが、今回インタビューのお願いしたところ、意外にもすんなりOKのお返事が!
開催準備の迫る中、最後の開催となった理由やこれまで〜今年の開催に込めた想いを聞いてきました。
(インタビュアー:くのまい)

しょぼくなって終わるのは嫌だ!

―“FINAL”というタイトルを見て、正直すごくびっくりしました。今回で最後にするという話は、いつ頃に決まっていたんですか?

11月か12月ごろかな。年末あたりには、「次をFINALにしよう」という話をみんなにしていたね。

―率直に、なぜ今年で“FINAL”にしようと思ったのか理由を聞いてもいいですか?

大前提として、“俺が前に立ってやるのはこれが最後”という意味での“FINAL”ね。体力も落ちてきたし、自分と自分の仲間で、自信持って本当にいいパーティー作れるぞ!って言えるのは、このぐらいが限界かなって感じてきたんだ。だから、俺が徐々に抜けていくのか、すっぱりやめるのか、どっちがいいんだろうなって、ずっと考えていた。

ITADAKIは、俺らがやっていたライブハウス・BOOM BOOM-BASHが終わることになって、次の場所が見つからなかったとき、それまでのお客さんや出演してくれたアーティストに、「俺たちまだやってるよ!」って示したいという思いで始めたんだ。

その頃に話していたのが「とにかく3年頑張ろう」ってことだった。3年続けば、きっとその先もやっていけると思ったからね。それが、40歳の時。
そして、3年続けることができたら次は「10年続いたらいいな」と思うようになって、10周年も迎えることができた。その時の俺は50歳。ギリギリいけるな!って感じたけど、自分だけじゃなく周りの年齢を考えて、これからどうするかって考え始めるわけだ。でも、まだ50だし、体も動いたから、もうちょっといけるなと思ったよ。ただ、それ以降は自分の体力が落ちていくのをすごく感じたんだ。特に本番2日間を終えるとめちゃめちゃ実感するわけ(笑)。準備期間もずっと太陽の下にいて、頭も使って、ハプニングもあって、すごく体力消耗するんだよ。昔は終わって3日くらい寝れば回復して、「もっとこうすればよかった」「来年はもっとこうしたい!」って悔しさが出てくるんだけど、だんだん1週間かかるようになって、今は1週間経っても体が回復しなくなってきた。ひょっとして、体力のレベルが一段落ちたんじゃね?って感じる年が続いていたんだ。

俺、基本動いちゃう人なのね。自分で歩いて、いろんなポジションの人に声かけて、モチベーションを上げる。それができなくなってきて、じゃあ、いつまで俺はみんなを楽しませることができるのかなって考えたら、前みたいに「もう1年やろう!」って気軽に言えなくなった。それでそろそろかなって思ったんだよ。これが素直な理由。

―なるほど。

そこから「どこで終わろうか?」と思っていたところでコロナが来た。でも、コロナがなかったらもっと早くやめていたと思うな。みんなにクラウドファンディングで助けていただいたから、ちゃんと開催できる環境で1回やって、落とし前つけたかったんだ。2022年はマスクをしてやったけど、それは自分のやりたいこととは違った。もちろん、開催できたこと自体は嬉しかったんだけどね。そして、2023年は台風で中止。

だから、完全な状態で開催するのは今年が5年ぶりなんだよ。そういう意味でも、今年ちゃんとした状態でやって終わりたいと思ってさ。最後ぐらいドカンと楽しんで、「またやりたいね!」って気持ちにならないと終わりづらいんだよ(笑)。

俺はラインナップもお客さんもスタッフも含めて、自分たちが作るITADAKIの世界観にすごく自信があった。「(ITADAKIを)知らない人が来ても、全員やっつけてやる!」ってよく言ってたんだけどさ(笑)。そんな果てしないモチベーションがあったけど、今はそれをもう証明し切った感じなんだよね。だから、これ以上何を証明したらいいのかなって思う。毎年同じことを繰り返していくことは、自分の中でモチベーションにならないから。
しょぼくなって終わるのは嫌だなって思うわけ!フェスやイベントではいくらでもある話だよ。いつの間にかなくなっちゃうのがほとんどだから、今まで「これで終わります」って終わったフェスってあんまない。だからこうして「最後だよ」って言ってやれるのは幸せなんじゃないかなって思うんだ。そして、いつか「ITADAKIの最後はよかったよね」って言ってもらえるような終わり方にしたい。それならやる意味はあると思ったんだ。

―ITADAKIを終えることに関して、1番心に引っかかったものってなんでしたか?

一緒に手伝ってくれた仲間かな。初開催から17年やってる奴もいるし、ここ2、3年で入ってきた超フレッシュな夢と希望に満ち溢れてる奴もいる。でも、そうなるとそれぞれの立場でテンションも違うんだよね。「そろそろ俺もいっぱいいっぱいでさ」って話すと「うんうん」って分かってくれる人もいるし、「まだまだこれからだ!」って思ってくれていた人もいる。
でも、どっかで終わんなきゃいけないからね。終わるんだったら、背伸びするんじゃなくて、俺らしいパーティーができたらいい。そのためには、今年が潮時なんじゃないかなって思ったんだ。
別にこれで全てが終わりじゃないから。基本、1回やめるけど、俺は根本的に音楽は好きだし、人を集めてなんかやるのは得意なんだ。昔からそういうのしかやったことないからな(笑)。だから、やりたくなったらまたやるかもしれない。俺じゃない誰かがやってもいいし。その可能性は残しときたいな。

音楽の力は世界を変える

―では、そんな最後の開催のラインナップはどう決めていったのか教えてください。

いつもは新しいお客さんに少しでも多く来てもらえるように考えるけど、今回に関してはもう新しい客は関係ないね(笑)。オールドファンを納得させるラインナップで、わかりやすく振り切ろうと思ったよ。だから作りやすかったな。「最後だから」って言ったらみんな「出たい」って言ってくれて、むしろお断りするくらい。びっくりして電話くれた人もいっぱいいたよ。

―今回「MUSIC IS THE ANSWER」というサブタイトルが付いていますよね。ここにはどんな想いを込めたんですか?

“やっぱ音楽だよね”ってことかな。最終的に音楽がかかったら全部変わるんだよ。俺は散々ライブハウスで実験してきたから、 “こういう会場で、こういう音楽を流して、こうやって演出したら、お客さんはこうなる”みたいなものはわかっているんだ。
だから、季節の調子いい時にみんなの気分をオープンにしていい音を届けたら、世界が変わるぞってみんなに見せたかった。ITADAKIって、そういう“音楽の力”をずっと信じてプレゼントしてきたんだよ。だから最後のキャッチコピーは“それが答えだ”っていうのをつけたかったんだ。

―“最高の空間で最高の音楽を楽しむ”ってITADAKIの根本ですもんね。そんな空間を作るために、ボスがこれまで大事にしていたことってなんですか?

まずは、ゴミゴミしすぎないこと。ITADAKIを始めた当初は、パーティーって“24時間やってなんぼ”みたいな感じだったんだよ。みんな朝まで踊ってさ。みんな、自分たちがやりたいことがあって、そこに合わせてイベントを作っていく感じだった。でも、俺40歳だったから、ちゃんと自分の居場所があって、座れて、 調子いい時に前へ出て楽しめるのがいいなって思ったんだよね。だから、余裕のある会場作りをしたかった。そのためにはトイレの数もケチっちゃいけない。そうやって、お客さんのことを考えて作っているフェスってあんまりなかったんだ。

例えば、朝お客さんが駐車場に入ってきたときに、そこで「おはよう!」「楽しみにしててよ!」っていうだけで、相手の心の状態は変わるわけ。俺、お店やってたから、そういう一言で相手の気持ちが変わるんだってことはずっと感じてた。だから、スタッフ全員がお客さんを楽しませる、笑顔にするってこともすごく大事にしていたね。

―スタッフみんなの気持ちをひとつにすることってすごく大変なことだと思うんですが、ボスはどんなことを心がけていましたか?

やってる意味をわかってもらうことだね。何もわからず作業みたいにやっていると、つまんなくなっちゃうからさ。
マップを入り口で渡すのだって、ただ配るだけじゃダメなんだ。マップ配って「トイレどこですか?」って聞かれたら意味ないだろ?だから、俺が見本になって「これ1枚で全部わかっちゃうからね!気をつけて楽しんできてよー!」とか言いながら何人かに配るわけ。すると、お客さんの顔が全然違うんだよ。それを他のスタッフに見てもらって、「お客さんを笑顔にしたらお前たちの勝ちだ!」って、自分のやることを知ってもらう。

自分たちが楽しいだけじゃダメだし、「儲かった!」で盛り上がれればいいけど、俺たちはそうじゃない。それよりもみんなが「楽しかった!」って言って、いい顔で帰ってくれないと楽しくなれないからさ。お客さんの笑顔があって、やっとうまい酒が飲めるんだよ(笑)。

―それをスタッフの方に伝えるために、ボスはずっと会場を回っているんですね。

そうそう。向こうから見たら一応ボスなわけだしね。ちょっと声かけたり、「やるぞー!」って何度も拳を突き上げながら歩いてるよ(笑)。でも、そこで顔色悪いやつに気づくこともあるし、何かトラブルに対応できることもある。この方法がいちばん間違いないんだよ。ひとりひとりお客さんもスタッフも違うから、全部一緒にってわけにはいかないからさ。そうしているうちに1日すぎていって、終わる頃にはちょっと死にそうになるけどね(笑)。足は曲がらないし、日焼けで肌は痛いし、腹は減るし!!!

アーティストをどれだけ本気にさせるかの勝負

―では、最高の音楽にはどんなこだわりがあるんですか?

元々のライブハウスはレゲエ箱だったけど、ITADAKIはジャンルレスにしようと思ったんだ。演歌でもクラシックでも、ぐっとくる奴ならなんでもいいじゃんって。売れてる、売れてないを基準すると、どっかで見たことあるラインナップになってしまう。それは嫌だなと思ってね。みんなが知らなくても、聴いてみたら「なるほど、ITADAKIがチョイスしただけあっていいね!」っていってくれるような音楽を届けたいなと思って、そういうラインナップを心がけてたな。無理だったけど、久石譲さん、井上陽水さん、坂本龍一さんとか、出てほしいアーティストはいっぱいいたよ。
最初は「パンクバンドなんか絶対に嫌だ!」って言ってたんだ(笑)。俺、世代的にそこより上だからさ。でも、東日本大震災のときに難波(章浩)くんのSNSをずっと見ていて、素敵な人だと思ったんだよね。そこから曲を聴いてみて、いいなと思って出演してもらったこともあったし、「DJスタイルは嫌だ!」ってことも言ってたけど、THA BLUE HERBならいいなと思った。そうやって少しずつ新しい音楽に広がっていったんだよね。だから、今は何がITADAKIっぽいのか、ぶっちゃけわかんないな(笑)。

―ITADAKIはブッキングの際、アーティストの方に直接会いに行って、出演のお願いをされているって聞きました。

そうだね。静岡っていう場所は東京に近いってこともあるけど、こっちは本番にアーティストをどれだけその気にさせるかの勝負だと思っているんだ(笑)。そのためにも、ちゃんと俺らの意図を伝えないといけない。
特に、キャンドルステージはそのアーティストのためだけに作るステージだから、何度も打ち合わせをしてるよ。でないと俺たちのわがままみたいになっちゃうから。アーティストにも一発やってやるぞ!っていう気分になってもらうために、自分たちの想いを伝えることは一生懸命やってきたかな。

―選ぶのが難しいとは思いますが、これまでで一番印象に残っているライブはどれですか?

これ、よく聞かれるんだよね〜(笑)。何が一番よかったか、その時によっても違うからコレって言えないよ。
でも、あえていうならダントツで2011年のGOMAちゃんだね。
(※2009年に交通事故で記憶障害を抱えて活動休止していたGOMAさんが、音楽活動を再開した最初のステージ)

会場にいた誰もが彼のステージに持っていかれて、みんなが泣いてた。あんな光景は見たことないし、多分二度と見れないなと思うよ。俺もかなりの想定をしていたけど、本番はほんとにドキドキしたんだよ。途中で倒れるかもしれないという緊迫感の中で、 GOMAちゃんがすげぇライブをやり終えた時の達成感は、言葉では説明できないよね。

しかも、シークレットだったんだよ?GOMAちゃんが出るってわからないはずなのに、あの日一番お客さんが集まってたな。「こんなに人いたの?!」ってくらい、どんどん集まってきて、最初は「誰だ?!」って言ってた人も最後には一緒に大号泣してさ。あれは音楽の域を超えてたよ。奇跡を見たって感じ。この世界には映画もすごい作品が色々あるけど、やっぱり音楽がナンバーワンだなって感じさせてくれた瞬間だったね。

ーそんな瞬間を味わっちゃうと、その魅力から抜け出せませんよね(笑)。

音楽って基本何かをしながら聴くことが多いじゃん。車の中だったり、酒を飲んでる時だったり。でも、照明とか演出を合わせて、音楽をメインに持ってくると、とんでもないことが起きる。そうやって、俺は今まで何人も音楽にはめていったんだから(笑)。家に誰か呼んで毎日やってることなんだけど、その究極がITADAKIだよね。
そうなるには、ただアゲりゃいいってもんじゃない。まったり音楽を聴いて過ごす時間もすごくいいからさ。それって大事なとこだと思ってるんだ。だから、タイムテーブルを作るのって、2枚組のアルバムを作ってる感じに近い。音の並びも自分たちなりにオリジナルで考えてるんだ。そういうことを考えているから、ほんと他のフェスには行かなくなったね〜。 変に影響されちゃうと、みんな同じようになっちゃうからさ。なるべく自分の中で妄想するようにしてるよ(笑)。

ITADAKIは未来に続いている

―ボスは今のフェスシーンをどう見ていますか?

“これをやりたい!”っていう主催者側の目的を感じにくくなったかもな。前は運営がスムーズにいっていなかったとしても、“こういうことやりたいんだろうな”って感じるフェスが多かったよ。俺らも、始めた頃は「制作」「舞台監督」なんて言葉、知らなかったからね。だから、転換時間もすごく無茶なことを言っていたと思う(笑)。でも、作りたいものがあるから、そのためにみんな苦労してたんだ。

―ファミリー向けのフェスも増えましたが、ITADAKIは初回から中学生以下を入場無料にして、その先駆けだったと思います。

ITADAKIを始めた頃、子供をタダで入れるイベントなんてなかったからね。たまたま俺に子供がいて、子供も連れてきたいと思ったからやったことなんだ。狭いところじゃ子供の耳には悪いなってことも考えて、今のITADAKIの環境はできてるからね。今は子供だけで1日2000人来るんだぜ?すごいよな〜。でもさ、子供がいると朗らかな雰囲気も出るし、大人もみんなちゃんとするんだ(笑)。若い頃に来ていたやつらが「年取ったら子供を連れてくるんだ!」って夢を持ってくれているし、街でいい選曲してるDJに「小さい頃からITADAKIに行ってました!」って言われたこともあったな。

ITADAKIって子供が多いけど、“子供向け音楽コンテンツ”はやってないんだよ。歌のお兄さんとか呼ばないし。大人も食らうような音楽に、子供も食らってくれるんだ。今年はキッズエリアでもライブをやるけど、それだって子供騙しじゃないからね。ガチタンバリンとピアニカの魔術師が、学校の授業で触るような楽器を面白くしてくれるよ。いい音楽なら子供はみんなちゃんと反応するから。子供に「踊りに行こうよ」って言われたら、幸せだろ?

―子供たちにも「最後のITADAKI最高だった!」って言ってもらいたいですね。

ITADAKIの影響を受けた子供がおっきくなって、知らないところでフェスやイベントを始め可能性もあるのかな。ITADAKIのままやらなくてもいいから、「俺だったらこういうのやりたい!」「俺だったらこうやる!」って、俺らにヒントを得て何か始めてくれたらいいな。その人がどこかで「昔、ITADAKIっていうフェスがあって、それに影響を受けて始めました!」って話を聞く日がきたら嬉しいよ。

―そう聞くとITADAKIって終わりじゃないんだなって思いますね。まだまだ未来が続いている感じがしました。では、ボスの未来はどうですか?これからやりたいことってあるんですか?

とりあえず、元気なうちに愛犬のふくちゃんと旅をしようと思う!国内の知り合いのとこ、まだ行ったことないとこ、いろんな場所を車で周りたいね。そのうちにまたふつふつとやりたいことが出てきて、「こんなことやってる場合じゃねえ!おい、やるぞ!」って帰ってくるかもしれないけどな(笑)。地道に続けていくって大事なことだけど、やっぱ大変なことでさ。1回こうやってブレイクすることによって、いろんな展開が生まれると思う。自分で言うのもなんだけど、17年よくやったんじゃない(笑)?

ボスの愛犬「ふくちゃん」

―本当にお疲れ様でした。最後に、当日来場するお客さんへ向けてメッセージをお願いします!

最高に楽しんで、心に焼き付けて、ITADAKIの話を肴にして何年も酒を飲んでほしいな!毎年言ってるけど、今年も自信満々だからね。マジでやるよ!


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