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バカになったのに

進学校の悲しみ、アホ不足。どうも毎オムです。

いや別に進学校と呼べるような学校行ってなかったけどね。自称進学校ってやつですね。

FF7でいうと、ソルジャークラス1st クラウドです。っていってるみたいなものです。

とはいえですよ、地元公立自称進学校あるあるだと思うんですけど、圧倒的アホ不足だ。。と入学当初は驚いたものだ。

私の地元の公立高校はすごく近距離にたくさん学校があり、東大とかバリバリ行く学校から、アホすぎて行き場がねぇ!みたいなやつが行くところまで幅広いバラエティーにとんだラインナップであった。

なので基本的に、背伸びをしない限り自分見合った高校にいけるという恵まれた土地に住んでいた。

その数ある高校のうち、上からtop3の高校に進学したのだが、ここがいわゆる自称進学校だった。

no2とno3の差が開きすぎているのだ。

しかも、私の住んでいたところは公立高校を2校受験できるのだが、組み合わせが決まっており、no2をうけるとno3が受けれないのだ。

つまり、no1に受からなかった銀メダリスト、no2の受験をあきらめた銅メダリスト、背のたけに合った選手、背伸びしてがんばって入った真面目君と幅広い選手がいるのだ。

しかし、校則がきびしいと噂されていたため(実際思ったよりきつくなかった)あえて避けて受験する人も多かった気がする。

私の代は今思えばはちゃめちゃな代で、例年よりアホだったわけだが、それでも真面目なのに勉強ができない類いの人がまあまあ入ってくるので、変な癖のつよいキャラもいてなんやこいつってやつも3割位いた。

私は幸いにも、no2を諦めて銅メダリストになる道を選んだのでへんなコンプレックスを持たずに入学したので、我が母校独特の癖のつよいキャラにはならなかったのだが、勉強ができると勘違いしてなめくさっていたため、中学のノリでいたらいつの間にか2年も浪人してしまうはめになった。

無知が最大の愚行とはこのことである。

余裕をもって入学したと勘違いしていただけのバカだったのである。

と、私のこう少し人をバカにしたような態度が仇となって返ってきて、自分が一番バカだったなぁと気づけたのはあの高校に入った最大の収穫かもしれない。

学校は学問を学ぶだけではないを実感した。


中学まではまともだったのに

実は本日はtheピーズというバンドの曲になぞって書いているのだが、まさにこのバカになったのにがすごく共感できる歌詞である。

私も、元もとすごくバカをしたかったが、うまくバカすることができず中2くらいでクラスが(今思えば)崩壊していたため、バカになるきっかけになった、というより無理してバカをするようになった。

ずいぶん無理してバカになった、バカになったのにー


という歌詞そのままだ。


そんな無理してバカになった私は、中3でも無理してバカになった状態を続け、高校にそのまま進学した。


高校に入ったとき、とても周りが静か、というか中学のときのバカな雰囲気がなくてギャップを感じた。

いや、たしかに色々な中学から来るので私の中学の雰囲気と同じはずはないのだが。

私の1年生のクラスは割と頭がよいが、前述したいわゆる拗らせたタイプの人が少なかったため明るいクラスであった。

が、中学のようなバカな明るさではない。

ちゃんとした青春の輝きを放つ明るさだ。

そこで私は第一の壁にぶつかった。

完全にクラスの楽しそうな輪に入り損ねたのだ。

言い訳すると、私は男子の並ぶ3列のうち、女子と隣になる列だった。


男 男 男 女 女 女


の列の真ん中だ。

楽しそうな輪は、もとから塾が同じだった人が多かったためか、左2列でできていた。

中学まで無理してバカになっていたため、楽しそうな輪には入りたいという欲望と、どう声をかけて輪にはいればいいんだ?とコミュ力のなさを痛感する4月を過ごした。

今思うとこの時期は1月位しか続かないのだが、私にはとても長い1か月だった。

前後の友人も(後々おもしろいやつだとわかったが)初めはあまり声をかけてもノリがよくなかったため、高校生活に不安しかなかった。

今でも仲良くしてくれている中学の友人に、友達できなさすぎてやばい!と真面目に相談するくらい焦っていた。

今思えば小者すぎるなぁとおもう。

しかし、私は小中同じで家の近い女性がたまたま同じ高校に進学したため、友人のいない私はその人と帰ることが多かった。(というより帰路が同じなので自然にそうならざるを得なかった)

当時は元々仲も良かったので特に気にもしてなかったのだが、端から見ると私は高校生活開始早々彼女と帰るかのように見えていたに違いない。

だが、これが救いとなった。

ある日、その楽しそうな輪の人達に声をかけられ、彼女??みたいなノリで話しかけられた。

勿論彼女ではない。

しかし、今まで(といっても一月ないくらいだが)こう冗談や自分のノリで話す機会?がなかったためこれはチャンスや!と思った私は初めて高校で自分らしく話しをすることができた。

これがきっかけで、私はクラスで自分を出せるようになり、打ち解けることに成功した。

今ではほとんど連絡をとっていないが、彼女には感謝しないとなーと思ったりする。

たしかに、中学とちがってアホ不足ではあった。

しかし、それは中学のときのアホであって、そこにはそこのアホがあった。

とても楽しい高校生活を送ることができたと今でも思っている。

ずいぶん無理してバカになった私は、無理をしなくてよくなったのでより自分らしさをだして高校生活を送れていたのかな?とおもう。

高校2年生以降も、独特のアホ(2,3年はほんとにアホなクラスだったわけだが)に囲まれとても楽しい青春を(高校卒業後も)過ごすことができた。

高校卒業後とは、浪人のことである。

アホすぎて浪人する人が多かったのだ。


勿論一年生のときの話は、時間がたてば解決した話かもしれないが、コミュ力もやしの私にとっては運と人に恵まれたのだ。

今日は思い出話になってしまいましたがこのへんで。

自堕落ばかりがモテすぎる

だったらおいらもっていい気になった

中学まではまともだった、まともだったのに

ずいぶん無理してバカになった、バカになったのに


結局無理なんてしなくてもよかったねって話でした!

毎オムでした。

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