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【#短編小説】怪談 刀包丁

 ここは黒ゆり峠。
 襤褸ぼろを着た女が、背筋の伸びた女を呼び止めた。

「なんだ」
「えへへ……いひひ」

 襤褸の女は愛想笑いとも卑屈笑いともとれる笑みを見せ、姿勢の良い女は哀れみとも蔑みともとれる表情かおを見せた。

「喋らぬなら、行くぞ」
「いひひ、いひひ。お侍さん、お名前は」
「先に名乗れ。礼を知らぬ凡人め」
「へえ、私は、野茨子のいばらこと申します」
「ノイバラ……変わった名前だな。私は猪鹿堂 木瓜いのしかどう きうりという。見ての通り花神様はながみさまより帯刀をゆるされた苗字持ちだ。だからノイバラコ、それを、しまえ。凡人が追剥をするには相手が悪すぎる」

 野茨子の震える手が握っているのは、錆びた安包丁。

「お侍さん相手に追剥なんて、する、つもりは、いひひ、ないですよ。いひひ、ほら……お侍さんなら、介錯、してくれると思って」
「おい! やめろ!」

 野茨子が、己の手で己の腹に包丁を突き立てた。

「がっ……あ」
「おい! それ以上包丁を動かすんじゃあない!」
「いひひ……キウリさん、優しいですね」

 襤褸の内側から赤い血が染み出して零れる。

「いいか、絶対に動かすな。それ以上切れば、花神様も匙を……」

 今ここで包丁を抜くのは危険だ。
 これまで何人も斬ってきた木瓜は、野茨子を死なせまいと必死に話しかけた。

「いいんですよ……キウリさん。私みたいなのは生きていることが……」

 駆け寄ったが、身体に触れて止めることはできない。
 下手に刺激し力を込められて、はらわたの傷が酷くなれば――絶対に――助けられない。

「飯を食う金なら私が出してやる! 仕事なら私が口をきいてやる! だから!」
「別に貧乏で死のうってわけじゃあないですよ、キウリさん」
「あ?」

 木瓜の顔面に、熱が走った。

「動かないで! 手を後ろで組んでくださいキウリさん。じゃないと右の目もやりますよ?」
「……貴様っ」

 木瓜は気づく、左目を刺されたことに。

「キウリさんは覚えていないかもしれませんがね、私は、あんたが殺した佃煮屋の親父の娘ですよ。覚えてます? つぶ貝の佃煮が売りの佃煮屋」
「復讐……か」
「いんや、親父を殺してくれたのは感謝してます。あいつは毎日、私を叩きましたし。商売人の娘の癖に勘定できず感情ばかりやりやがるって…………ああ、すみません。お侍さんの散り際に言葉遊びをするのは、いささか礼に欠いとりますね。おっと、手ぇ、組んだままにしてくださいよ。じゃないとキウリさん、なんも見えなくなりますからね」

 半分になった木瓜の視界の半分以上を占めるのは、野茨子がしっかりと構えた錆び包丁。近すぎてぼけてはいるが、紛れもない刃物である。

「返事をしないなら、私の喋りを続けさせてもらいますよキウリさん。感情ってのはね、物の語りのことですよ。私はそろばんはまるでだめ、でも、童話をつくって近所の餓鬼に聞かすのは好きだったんです。まあ、当時は私も餓鬼だったんですけど、それでもいつか、役者が演る物を書きたいだなんて憧れながら物の語りをしていたんです。だから、商売以外の道をゆるさぬ親父を殺してくれて、嬉しかったですよ」
「なら……なぜ私の光を奪おうとする」
「呪詛です」
「狂うているのか」

 野茨子は包丁を構えたまま微動だにせず。

「呪詛をかけたのはあんたですよ、キウリさん。あんたが私に、呪詛かけたんです」
「私はまじないごとなどやらん!」
「比喩です。学のあるあんたならわかるでしょう。あんたが、親父を殺したときに私に向かって吐いた言葉がね、いつしか呪詛になり私を苦しめたんです」
「私は貴様に……なんと言った」

 木瓜の背に、じわり、じわりと種のような汗粒が膨らんでいく。

「凡人――――あんたは私にそう、言いました」
「……それだけ……?」
「ええ。それだけです。私が親父の首がゴロンと転がるのを見て小便を漏らしたから、そう言ったんでしょうけど」
「そんなことは、覚えておらん」
「お侍さんにとっては首が落ちるなんぞあたりまえ、平気で当然なことですもんねぇ。そうでなきゃ、人を斬る仕事なんて、やってられないでしょうし」
「…………」

 解せぬ。
 なぜそれだけのことで人の目を刺せるのだと、木瓜は理解に苦しんだ。

「わからないでしょうねぇ。凡人以上のところにいるお侍さんには、凡人以下の人間が凡人と言われたときの気持ちは。実は私もね、最初は気にも留めなかったんです。親父殺されて、それどころじゃなかったんでね。でも、物乞いみたいな生活をしていると、だんだんと大きく育っていくんですよ。ああ、あのような仕打ちをされても、このような人生でも、あのお侍さんの中の私は凡人なのかと」
「言っていることが……わからん」

 じゅく……得体のしれない恐怖に、木瓜の体は小便を漏らしはじめる。

「でしょうねぇ。でも、あるんですそういうことが。実際にあったから、あんたは私に目をやられとるんです。ねぇ、教えてくれませんか? あの日、親父を殺されて小便を漏らして、親戚に騙され家をなくし、道端を我が家としなければならなかった私が、なぜ凡人でいなければならないのか。なぜ、凡人以下のままでいてはいけなかったのか」
「貴様の人生を……決めつけたつもりはない」

 袴が濡れて重くなっていく。

「じゃあ私はやっぱり、この世にいちゃあいけなかったってことでしょうか」
「違う!」
「あっ!」

 包丁に額をぶつけて叩き落した木瓜が、飛び退いて、野茨子から距離を取った。

「この世にいてはいけない人間など一人もいない! 私が貴様の親父を殺したのは悪党であったからだ!」
「ああ、やっぱお侍さんは怖いですねぇ。まさか、包丁に頭突きされるなんて思わんかったです。うん、たしかに、硬いおでこなら切れてもしれてますもんねぇ、さすが学がある人は――」
「黙れ」

 この、間違った人間を正してやらねばならぬ――額が少しだけ切れた木瓜は、静かに抜刀する。
 その隙に野茨子は、包丁を拾う。

「殺すんです?」
「いや、殺すつもりはない。だが、これ以上私への危害をゆるす気もない。包丁を捨てろ、ノイバラコ。私が貴様の人生を、世話してやる」
「襤褸包丁ですけど、一応、金出して買ったもんですよこれ」
「捨てろ」
「はいはい、そうします」

 野茨子は包丁をすぐ近くに落とし、ゆっくりと立ち上がり木瓜の顔を見つめた。
 背筋を伸ばしてみると木瓜との身長差は、ほぼ、零。

「一つ聞く、なぜ、腹を刺して平然としていられる」
「腸袋に鶏の血を詰めておいたんです。名付けて、ポンコツ剣。ポンコツだから刃が仇ではなく自分に向いてしまうんです。おもしろいでしょう」
「…………たしかにおもしろい」
「でしょう」
「実におもしろい。だが、貴様はいろいろと間違っている」
「なにがです?」

 風向きが変わり、木瓜の小便のにおいが野茨子の鼻をくすぐった。

「貴様は凡人以下などではない。凡人でもない。凡人以上、凡人以上の存在だ。そして凡人とは今小便で足袋まで濡らした私のほうだ。つまりはな、貴様はぜーんぶまちがっているのだ」
「…………」
「そうだろう。貴様が御託を並べなければ、私はとうに闇の中。二度とお侍さんぜんとすることはできん」
「…………」
「なんとか言ってみろ、貴様は物を語るのが好きなのだろう」
「……………………いひ」
「ふ……ふふふ、はははは!」

 しばらく二人は、大きな声で笑いあった。

「もう一つ教えろ」
「なんです?」
「貴様の仕込んだ腸袋は、なんの腸だ」
「人間……であってほしいんですか?」

 黒ゆり峠に、夜が来る。


 それから、ほどなくして。
 黒ゆり峠の入り口にある茶屋で、背筋の伸びた娘が働きだした。
 その娘はつくり話上手で、この山には目玉をくりぬく一つ目の妖怪が出るんですよなどと言い、旅人を驚かして笑うそうな。

 そして

 その笑顔がたいそう愛らしく、茶屋は随分と繁盛したそうな。


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