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プーチンの動員令が発せられたので、ロシアとモンゴル(タタール)についてちょっと考えてみた。

 モンゴル国のエルベグドルジ元大統領が、英語でプーチンに対して戦争停止を呼びかけ、同時にロシア国内のモンゴル系民族に向かって戦争と総動員を逃れてくるならば、モンゴルは受け入れると表明した。

Message from Elbegdorj Tsakhia, President of the World Mongol Federation
https://www.youtube.com/watch?v=q2qDzicmvxM&t=1s

 ウクライナが攻勢に出た。ドニエプル川東岸を占領していたロシア軍は総崩れになった。
 ロシアはこの敗北を認めず、大日本帝国のように作戦上の転身であるかのようにロシア国民を欺いている。
 プーチン大統領は予備役を含む30万人を新たに動員することを表明した。ロシア各地で男性が突如徴兵され、戦争を忌避するロシア人男性が突如国境に殺到して逃亡を試みると言う状態になっている。

 モンゴルの元大統領の発言はこれに対応したものだが、プーチンとしては怒り爆発だろう。
 ロシア国内のモンゴル系住民がモスクワ政府の指示に従わなければ、ロシアは内側から崩壊しかねない。

 インターネットの初期、タタールスタンやクリミアの野心家が中心となってサイバーモンゴルウルス運動と言うものがあった。 ソ連崩壊後、モンゴル系の自治共和国は独立が叶わなかったので、ネットで連絡組織を作り、モンゴル系ロシア国民の政治的連携を作るのが目的だった。
 その時は結局掛け声で終わったが、いよいよそれが生きる日が来たのかもしれない。

 モンゴル国の面積は日本の6倍。人口わずか300万人。 近年の経済は好調で、この20年で実質GDPが3倍に成長した。 ブリヤートやサハからの徴兵拒否者を何十万人でも受け入れられるだろう。
 モンゴル国は覚悟を決めたのかもしれない。
 あとはロシア国内のモンゴル人(タタール人)次第。とくにタタールスタン共和国の石油産業だ…

 ロシアは元々東ヨーロッパ平原の森林狩猟民族で、中世にヴァイキングの指導を受け入れて活動を活発化させた。
 その結果、キエフの街を中心に東ヨーロッパ平原に大きな勢力を持つようになった。これを古代ルーシと言う。
 しかし13世紀のモンゴル大帝国の成立でルーシの大半はモンゴルの支配下に収まり、以後、モンゴルの支配下となった地域がロシア、モンゴルの支配をはねのけてポーランド・リトアニアに支配された地域がウクライナとして其々の歴史を歩むことになった。
 ウクライナの向こうには大国オスマントルコが控えていたため、モンゴル帝国が衰退した後も、分裂し崩壊した大モンゴルウルスに代わるように拡大した。
 18世紀にピョートル1世が現れると、ルーシの西洋化が図られ、ルーシは国名をロシアにした。
 ピョートルは拡大政策をすすめ、海軍を創設してアゾフ海を支配すると、北方戦争でスウェーデンに勝利して新たな都サンクトペテルブルクを建設した。この間にウクライナのヘチマン国家への影響力を強めた。(まだウクライナを領有してはいない。)
 18世紀になるとエカテリーナ2世がクリミア汗国を併合して最終的にモンゴルの影響を脱した。ポーランドを分割してウクライナを領土化したのもエカテリーナだ。
 ロシアのヨーロッパ的近代化は脱モンゴル化に他ならず、15世紀にモスクワツァーリ国のイヴァン3世がモンゴルから自立して以来、300年かけてモンゴルに対するロシアの優位を完成させた。
 それがプーチンの戦争によって急激に揺らいでいる。プーチンの戦争はロシアの分裂を促し、大国ロシアを崩壊させ、モンゴル人(タタール人)がロシア人に対して主導権をとりもどす機会になるのかも知れない。
 モンゴル国に話を戻すと、モンゴル国をが建国したのは1911年。かつての大モンゴルではなく、ハルハ部族のみでの独立だった。ハルハ部族はチベット仏教の聖人ジェプツンダンパ・ホトク8世を君主として擁立し、ボグド・ハーンとして即位した。
 ボグド・ハーンの下でモンゴル国は内モンゴルやロシア領内のモンゴル人を含む大統一を考えたいたようだが果たせず、ボグド・ハーンの死とともにモンゴル国は共和制へ移行し、現在のハルハ部の領域で安定した。
 ボグド・ハーンの転生者(子孫ではない) ジェプツンタンパ9世は、モンゴル国が非共産化したことから和解し、2010年にモンゴル国籍を取得した。既にモンゴル国内に9世の転生者10世が現れてるそうだけど、誰だか明らかにされていない。
 ジェプツンタンパ9世と10世はサイバーモンゴルウルス運動と関係ないはずだが、ボグド・ハーン(ジェプツンタンパ8世)が現在のモンゴル国を建国し、その後継者である9世がモンゴル国(チベット人?)と和解しているわけで、10世(モンゴル人らしい)が誰か明らかになれば、ユーラシア大陸に散らばるモンゴル人(タタール人)統一のシンボルとして持ち上げられることはあるかも知れない。
 しかし、ボグド・ハーン時代に考えられていたようなモンゴルの大統一は無理だろう。 ロシア国内のタタール人は多くがムスリムで、ロシア語化してしまった人も多い。 そもそも13世紀のモンゴル大ウルスが広大すぎたせいで、旧ソ連のタタール人は散らばりすぎている。 しかも各モンゴル人国家間の経済格差も大きい。国家として大統一したとして、足の編みの揃わない飛地だらけになる。
 ただ、ロシア国内のモンゴル人国家を主権国家として独立させ、これらの国々でコモンウェルスを作って横の連帯を作ることは難しくない。現在ユーラシアに点在するモンゴル人国家はそれぞれの地域の実情にあわせて個別に発展し、必要に応じて助け合えば良い。
 この場合、ロシア人はどうなるのだろうか?
 結構な数のロシア人が「実は私はタタール人なんです」といって民族的自意識を変更するかもしれない。数百万人に及んでもおかしくない。ただしロシア人1億人に対して大勢といえる数ではない。
 プーチンのロシアは国民にロシア愛国主義を強要しているが、実際にはロシア国家を急激に破壊している。 プーチンの戦争によってロシア国民のロシア民族意識は分断され、ウクライナ人意識、モンゴル(タタール)人意識が強まるのではないか?
 下手をするとロシアはピョートル以前の状態まで後退するかも知れない。 実際わずか半年でウクライナ人はロシア人の兄弟民族ではなくなってしまった。同じように、ロシア国内のモンゴル(タタール)人がいつまでも無条件にロシア人の友でありつづけるとは思わないほうが良いだろう。

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