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生協の白樺さん

僕はここ6年ほど、プロ野球の観戦を趣味にしている。

野球は快活なスポーツだ。日々の鬱屈とした気分を紛らわすために野球を観るのかもしれないし、或いはうだつの上がらない自分に対する代償行為なのかもしれない。とにかく僕は就職をして以降、急に野球観戦にのめり込むようになった。

昨今はネット配信があるから容易に全試合の中継を自宅で楽しむこともできる。もちろん僕も配信を見るけれど、それでも出来るだけ球場に足を運んで野球を観たいと思っている。
球場のゲートをくぐり、広大なグラウンドが目に飛び込んできた瞬間の高揚感。選手のプレーに呼応する歓声とため息。現地観戦で味わう感動は何ものにも代え難いからだ。

しかし野球観戦をしようと思い立った当初、僕は一つの問題に直面した。それは「行きたい試合のチケットが簡単に手に入らない」ということだ。
週末になんとなく野球を観たいなあと思い、とりあえず家から近い東京ドームのチケットを買おうとするが、人気の巨人戦は土日の試合のほとんどが完売している。当日券で購入できるのはせいぜい立見席くらいだ。

そこで土日の他の球場のチケットを調べてみると、横浜スタジアムは大抵が完売、神宮球場も残席わずかであることが多かった。その一方で、西武ドームと千葉マリンの試合は比較的容易にチケットを買うことができた。
しかし千葉は自宅から遠いので、消去法で西武ドームの試合を観に行くようになった。そうして僕は埼玉西武ライオンズを応援するようになった。

「会いに行けるアイドル」というコンセプトで一世を風靡したアイドルグループがあったが、野球観戦も同じく、それが「観に行ける試合」でないと意味がない。
今でこそライオンズ以外の球団を応援する気は起きないけれど、巨人戦のチケットが簡単に手に入っていれば僕は巨人ファンになっていたかもしれない。そうすればわざわざ埼玉の陸の孤島に通う必要もなかった。
何かを好きになるきっかけなんて、適当なものだ。



2016年の秋。プロ野球観戦が日課になりつつあった頃、当時勤めていた会社の生活協同組合を通して東京ドームで開催される巨人対DeNAのクライマックスシリーズのチケットを買いませんか?という案内が来た。
僕はセリーグには然程関心がなかったが、人気の巨人戦の、しかもポストシーズンの試合のチケットを自分の職場で手軽に購入できるということに驚いた。
僕は早速生協に頼んでチケットを手に入れ、岐阜県に住んでいるベイスターズファンの友人を東京に呼び寄せて一緒に観戦することにした。

それはDeNAベイスターズにとって球団史上初のクライマックスシリーズだった。遠方の地で暗黒時代からベイスターズを応援し続けてきた友人は、東京ドームで熱き星たちの初戦の勝利を見届け、感極まって涙を流していた。
そして満足げに岐阜に帰っていく友人を見送りながら、案外やるじゃん、俺の会社。と僕は心の中でガッツポーズした。

生協の窓口は、白樺さん(仮名)という40代くらいの契約社員の女性が一人で担当していた。
僕は社内の小部屋にある生協を訪ね、貴重な試合を観ることができて友人が喜んでいました。とお礼を伝えた。

白樺さんも野球が好きらしく、試合の様子はテレビで見ていたとのことだった。
「代走の鈴木が牽制で刺されたのは驚きましたね!東京ドーム開催の試合は手配できるので、またご利用ください。」

その後、僕はしばしば白樺さんにチケットの手配を頼むようになった。その度に白樺さんは手腕を発揮し、貴重な試合のチケットを確保してくれた。
例えば2017年のWBCでは、プレイガイドではすぐに売り切れてしまった外野応援席の前列のチケットを3試合分手配してくれた。僕は気合を入れて侍ジャパン全選手の応援歌を覚えて、声を枯らして応援した。特に2次ラウンドのオランダ戦の、延長12回、夜0時近くにまで及んだ死闘は一生忘れられないと思う。(小林誠司が最後のキャッチャーフライを掴んだ瞬間に後楽園駅まで猛ダッシュして終電で帰った。)

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外野席 侍ジャパンの応援

そのうち職場の上司から「部署のみんなで野球を観に行きたい」というリクエストを受けた僕は、白樺さんに頼んで巨人対西武の交流戦のチケットを10名分手配してもらった。
そのときは内野席の「前段に5人、後段に5人」を連番で手配するという見事な配慮で、さながら忘年会の名幹事のような仕事をしてくれた。

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巨人対西武の交流戦

一体どのような方法で席を確保していたのかはわからないが、白樺さんは急な枚数の追加や席の微調整にも機敏に対応してくれた。僕は真面目に仕事の電話をしているふりをしながら、内線で白樺さんと野球のチケットのやり取りをした。

試合の翌日に生協を訪ねては白樺さんに一喜一憂の感想を報告して、野球の雑談を交わすのが日課になった。僕の野球観戦ライフは生協の白樺さんによって支えられていたと言っても過言ではない。


しかし27歳の時、色々とあって僕は転職をすることにした。
自分で決めた選択なので後悔は無いが、会社を去る名残惜しさも相当なものがあった。
その名残惜しさの要因の一つには、もちろん生協の白樺さんの存在があった。

白樺さんは単なる野球のチケットを手配してくれる人ではなく、僕にとって野球談義が出来る貴重な存在だったからだ。


季節は2月だった。プロ野球は新しいシーズンに向けてキャンプインしていたが、今年の開幕戦が始まる頃には、僕はもう会社には居ない。

最後にもう一試合だけ、白樺さんに野球のチケットを手配してもらいたかった。東京ドーム開催の試合が、何か無いものか。

あった。45歳のイチローを擁するマリナーズとアスレチックスのMLB開幕戦が、3月に東京ドームで行われる。
開幕戦は仕事の兼ね合いがあり行くのが難しそうだが、開幕数日前の土曜日に「マリナーズ対巨人」のプレシーズンマッチが行われる予定だ。これだ。最後に白樺さんを頼ろう。

僕は早速白樺さんに内線をかけた。
「3月にマリナーズと巨人の試合があって、またチケットの手配をお願いしたいのですが…」

すると、白樺さんはいつになく淡々とした口調で答えた。

「うーん。難しいと思いますねえ。一応、調べてみますけど。」

一瞬、呆気にとられた。別の人が電話に出たのかとすらと思った。今までの白樺さんとはまるで様子の違う、そっけない返事だった。

しばらくすると折り返しの電話がかかってきた。白樺さんはまたしても淡々と言った。


「やっぱりチケット取れなさそうですね。チケットぴあとかだったら取れるんじゃないですか?」


なぜなんだ。どうしてしまったんだ白樺さん。
チケットぴあじゃなくて白樺さんに取ってほしかったんだよ、最後に。

それが白樺さんと交わした最後の会話になった。退職の挨拶をしなければと思っていたのだが、退職前にあまりにバタつきすぎて、最後までタイミングが合わず仕舞いだった。


ちなみに僕は本当にチケットぴあでその試合のチケットを取り、最初で最後になるイチローの勇姿を見届けた。その日のイチローはノーヒットだったが、一挙手一投足をこの目に焼き付けた。これまで白樺さんがチケットを手配してくれた東京ドームで。

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チケットぴあでチケットを確保したマリナーズの試合



あの日の白樺さんに何があったのかはわからない。一つ言えるのは、毎日仕事をしていれば色んな浮き沈みがあるということだ。365日明るく優しい人なんていないのだ。

チケットを取れなかったのは事実だろうし、白樺さんはいつも通りに仕事を全うしてくれた。ただ、少しだけいつもと様子が違っていただけのことだ。


B'zのLOVE PHANTOMの歌詞を引用するならば、
万能の君の幻を僕の中に作っていた
のだろう。きっと。


僕は今も野球観戦を続けている。

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