幼い頃からずっと犬がいる暮らしを送って来た。
最初の犬は父親が当時働いていた職場に寄りついた野良犬で(まだ街中にも野良犬がいるような時代だった)可哀想だからと家に連れ帰って来た。二歳頃、雪の中で犬と遊ぶ写真があって、その記憶は自分の中にも残っている。

その子が亡くなるとすぐに新聞屋さんが犬を持って来た。(そういう時代だったのだ)雑種なのに長毛の、シェルティみたいな子だった。この子は私が成人するまで生きていて、その頃になるとひょいと犬を拾ったり、貰ったりするような環境ではなくなって来ていた。だから、しばらく犬のいない生活を送っていたのだが、運命の出会いが訪れる。

ある日、父親と母親と出かけた先で、今思えばどうしてと思うような田舎に突如ペットショップがオープンしていたのを気まぐれで覗いてみた。そこにこれまた何故か、バーニーズマウンテンドッグの子犬が売られていたのだ。その子に一目惚れした私は、父と母の有り金も全部出させて連れ帰って来た。(ちなみにしばらく後にそのペットショップに行ってみたら店がなくなっていた。今でもあの店は何だったんだろうと不思議に思っている)

当時、バーニーズマウンテンドッグに関しての私の知識は、大型犬でありフレンドリーで暑さに弱いらしい、という程度のものだった。大型犬を飼うのは初めてで、それがどれくらいの大きさになるのかも分かっていなかった。その子は有り難くもすくすくと育ち、育ちに育ち、五十キロを越えてしまった。
元々荷馬車を引く犬だから力が強い。リードを持ったまま田圃の中を引きずり回されたこともある。そのパワーを押さえようと、朝五時から散歩に出かけ、河川敷を走り回らせたり試行錯誤で、大変楽しかったけれど色々大変だった。

十年生きてくれた初代バニが亡くなったのは私が結婚して実家を出た後だった。バーニーズはとても好きだけど室内で飼うにはそれなりの大きさの家でないと難しい。もうバーニーズと触れ合うことはないだろうと思っていたが、父親が飼うと言い出した。
知り合いのトリマーさんに捜して貰った二代目バニは子犬の頃から病気の多い子で、色々手を尽くしたが八年で亡くなってしまった。これでもう…と思っていたら、哀しみに暮れていた父親が「俺の最後の犬だ」と言い出し、実家ではまたしてもバニを迎えることになった。(父の後は妹がバニマニアになっているので実家はエンドレスバニ状態である)

その頃、私は黒柴を飼い始めていた。ずっと犬が飼いたかったのだが、バーニーズは無理であるから、同じトライカラーの黒柴がいいなと思っていた。運命の出会いで迎えた黒柴…柴犬はバーニーズとは全然違う気質で、色々勉強になった。

第一にバニはデレデレだが、柴はツンデレだ。それを理解するまでに随分かかった。この子は犬なのにどうしてこんなに愛想がないのかと首を捻っていたが、柴犬とはそういうもので、うちの子はどうも愛想はいい方らしいとも分かった。

そして、その子が七歳の終わり頃。うちに最強のツンデレがやってきた。

猫である。

#ねこ #エッセイ

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