AI戦略と中等教育/数学のすり合わせ ~AI教育に必要な数学基礎をどう学ばせるのがよいか~

なぜ数学教育が問題になったか

発端は


政府のAI戦略において、全大学生にAIの初等教育を行うことになった。

教育関係者の中で,、中等教育/数学とAIの初等教育のギャップがないか、接続がうまくいくだろうか、ということが心配されている。

ここでは、どのようなギャップが心配であるかを説明し、そしてその解決方法として、到達度プロファイリングと補充教育を提案したい。

前半の「なぜ人工知能を学ぶのか?」と「AI教育で何を教えるのか?」はAIについてわかっている人は、読み飛ばしていい。その後の「中等教育/数学とのすりあわせ」以後が本論である。

ではなぜ人工知能を学ぶのか?

まず人工知能についてよくある誤解を解いておく必要がある。

第一の誤解は「機械学習」や「人工知能」に普通の「学習」や「知能」に相当する万能性を期待することだ。人工知能はあくまで「人工」のもので、一定の目的をもった計算である。現在確立している技術は亀の子算よりは相当進歩はしているが、やはり特定の目的のための計算であるから、限定した問題しか解けないし、限定した性能しかもっていない。

第二の誤解は、現在のAIは「単純な」AIであり、たいした仕事ができないという誤解である。すでに囲碁や将棋では人間を凌駕した。「単純な」AIでも現在人間がおこなっている多くの仕事を代替できるのである。

ちょうど、蒸気機関が筋肉をおきかえ、コンピュータが機械的な人間による定型業務をおきかえたのと同じで、AIはきちんとAIに向いた課題を選びうまくおぜん立てして与えれば、そうとうな範囲で人間の業務を代替できる。それは、

1. 定型的学習とその適用

2. 定型的識別、監視、制御

3. 定型的調整

といった分野だろう。これらの分野では相当広く業務を分担できるはずだ。

「定型的な」ということをいいかえれば、コンテキストが一様であるということである。部品の傷の発見や、最適な荷物の運送経路の策定などはもはや人間がおこなわなくてよい。医学的症状から病気や治療法を探すのも人工知能の独壇場となるだろう。コンテキストが一様だからだ。暴走した自動車がなぜ暴走したのかを調査したり、おなかが痛いので助けてほしいと、お店に人が入ってきた人に正しく対応することを、近い将来にAIに期待することはできないだろうと予想する。それらは先行するコンテキストがないからだ。

このようにAIができる仕事、できない仕事を正しく判断でき、AIにやらせるべき仕事を、適切なAIを使ってこなす人材が、AI人材ということになる。

AI人材の養成は、タクシー運転手の養成と、基本は同じである。AIも車も一定の機能をもっているから、それを把握して、目的に応じてどう使うかを学ぶことが目的だ。タクシー運転手が車を作る必要がないように、AI人材もAI自体を開発できる必要はない。必要なのは使う技術であり、AIの可能性と限界を正しく理解していることだ。

AI教育では何を教えるのか?

ではAIの可能性と限界を理解するにはどうするか。車の特性を理解するためにはその構造と仕組みを理解する必要があるように、AIの構想と仕組みを理解すればよい。

AIとは何か、人工知能とは何かという哲学論争を別として、現在のAIブームをけん引するのがDeep Learning、それも多層パーセプトロン(MLP)の応用の著しい発展であることは異論がないだろう。

いやというほどよく見せられるのが、この〇と線のネットワークである。これが2段(1層)なものが1950年代に提案された1層のパーセプトロン、3段(2層)になったものが1980年代にブームとなったニューラルネット、そして現在はこの段数に制限がなくなりこれを多層パーセプトロンと読んでいるわけである。これをどう呼ぶかはどうでもよい話であるが、技術そのものはそう発展してきた。また解決されてきたのは、この多層の計算ではなくて(それはそれほど難しくない数式であらわせる)、この接続の線、ここには数値が割り当てられているが、その数値をどう設定するか、という問題である。いってみれば鉄道ダイヤの設計と同じで、鉄道の時刻表を組むのが複雑な問題であるが、その通りに走るのはより単純な問題であるように、この接続線に対応する数値を設定することが、もっとも重要な問題である。それを「機械学習」といっているわけである。「機械学習」の技術がこの20年急速に進歩したわけだ。

AIの初等教育の標準的なコースではこの「機械学習」の主要な手法を半ダースほど習得し、それぞれに必要な準備(与えるデータ)、正しく学習させるための注意点、得意分野や不得意分野、どんな性質を持つか、結果の信頼性はどうか、などを学ぶ。

どんな数学を使うのか?

「AI」「機械学習」には多くの数学が使われる。全部ではない。主なものをあげる。

1. 代数の基礎
2. 線形代数
3. 関数
4. 等号、不等号
5. 統計(誤差、平均、分散、共分散)

このへんまではそもそも、どんな機能があるかを説明するのに必要だから、ほぼ必須といってよい。

そして動作をより深く理解するなら、さらに高度な数学を使う。

5. 固有値、固有ベクトル(線形代数)
6. 微分、積分
7. 数列、級数
8. 線形微分方程式
9. 解析

用語が不正確なので、ちょっと数学の先生におこられるかもしれないが、ようするにこういった少し高度な数学の予備知識があれば、より説明がしやすい。

たとえば、

「wordvec というのは言葉の意味をベクトルに変換する処理で...」

という説明が、ベクトルがわかっていればこれで終わりだが、ベクトルという言葉がわからなければ、まずここで「ベクトルとは何か」ということを説明しなければならない。

で、ご存知のように前回改定で、中等教育でベクトルを教えなくなってしまったので、ギャーとなり、ある年代からはAI教育の導入部では、もれなくベクトルを教える単元が必要になる、うへぇ〜、というわけである。

じゃぁ教えればいいじゃん、が、多くの問題が

必要なら、学べばよい。教えればよい。
というのは論理的帰結だが、実際的には非常に問題は大きい。
大学でAI初歩の教育で、中等教育/数学のばらつきを吸収するのは大きな問題があるのだ。どんな問題があるかあげてみよう。

1. 到達度がふぞろい

典型的なのはベクトル、行列がなくなってしまった問題。最新の履修要項でこれらが必修ではなくなってしまった。履修者の到達度がふぞろいなので、うっかりするとすでにわかっていることを、延々と説明することになる。ベクトル、固有ベクトル、固有値は演習を含め3~5単元になるだろうが、これを講義でやれば、すでにわかっている学生には時間の無駄だ。

2. 簡単に説明するのはむだ

わかっていない人のために、簡単に説明する、というのはさらに無駄だ。「わかっていない履修者は、理解能力も低い」のである。通常教えるより丁寧に時間をかけて教えないと理解できない。簡単に説明するのは、説明したといういいわけになるだけで、教育効果がない。

そもそもそんなに簡単に教えて使いこなせるものなら、削る必要はなかっただろっ!教えるのが大変だから削ったんだよねっ!

そんなものを、AIの初歩の教育のなかで、ついでに教えられるはずがない。しかもすでに教育された学生とそうでない学生が混在していることに配慮して教えるのは、英語、フランス語、日本語しかしゃべれない生徒を集めて授業をするようなものである。全員ただ不幸になるだけで、教育効果は期待できない。

3. 大学で教えさせるのは多分すごく非効率

これを大学で教える、というのも非常に無駄が多い。
大学教員は、AIで使う数学を教えるのが、どへただったりするからだ。
大学教員はこうした数学の基礎は「教えたことがない」。また、自分は難なく理解できたという人がほとんどなのでベクトル、行列を理解できないのがなぜかを理解できない。

理工系の教員の多くは、ベクトルって何ですかと聞かれても、

だってベクトルはベクトルだしなぁ

としか説明できない。そして、行列は教わっていません、などと言おうものなら、

行列教わってないの?ギョギョー!

と、びっくり仰天してしまうのである。

ハンバーガ屋のメニューからチキンバーガーを削ってしまったら、注文があったからといって店員がチキンを買ってくるわけにはいかない。

例をあげる。たとえば、

説明: 「wordvec は単語をベクトルに変換します。ベクトルというのは複数の数を組みにしたものです。スカラー x=3.4。ベクトル x=(1.2, 2.4)。という感じ。つまり一つ一つの単語を数字の組で表すのです。」

せいぜいこんな説明であろう。ベクトルについて、こんな説明を追加するなら、ない方がはるかにましである。(1.2, 2.4)です、でいったい何が伝わるのだろう。

もちろん大学で学ぶメリットはある。「大学の講義で初めて数学が理解できた」「卒業研究などで使うようになって、勉強して、始めて数学がわかった」という人は多い。大学ではこれまでのように、建築、化学、電子回路、機械、経済学、医療など、具体的に解かなければならない問題があって、それに数学を使うことが多い。これまでのように、目的もなく抽象的な概念を学ぶのとちがって、「おー数学便利じゃん」「この定理見つけた人神だな」と感心することが多い。そこはメリット。しかし「基礎」がわかっておらず、どう計算してよいか、概念そのものがわかっていない場合は、数学を使って問題を解いてみることもできないから、「すごく便利」とはならないわけだ。

中等教育/数学のベクトルではもちろん記法と名称を教えるが、その上で、ベクトルと行列の関係、連立一次方程式との関係、線形空間の概念の基礎、逆行列、行列の乗算などの概念を、幾何学的理解とも統合して理解させる(理解させてほしい)のである。これらを統合的に理解して、思考の道具として使えるようになっていて、それで初めて「単語をベクトルで表す」、というアイデアの中心を理解できる。仮にベクトルという言葉を知っていてもこうした深い理解がなければ、線形代数の講義でそこを補完してもらった方がよい。受講者によって相当な「理解の幅」があることが問題であって、それは数分の補足説明で補えるような種類のものではないのである。

提案 - ICTによる到達度の可視化と中等教育再履修

ではどうするか?

僕は中等教育の現場に詳しいわけではないから、現実的かどうかは別として、提案は大きく3つからなる。

1. 中等教育/数学の到達度プロファイリング試験の提供

2. 中等教育プロファイリングにより履修条件を明示

3. 中等教育の再履修制度の創設と促進

これらについて説明し、どう解決に結びつくかを説明する。

1.中等教育/数学の到達度試験の提供

これは標準的 webテストによる中等教育の到達度の確認試験である。
いつでもネットで受験でき、これにより数学の各要素の理解の到達度を確認することができる。成績をつけるためのものではなく、どの概念が習得できているか、という多次元の尺度である。純粋にその概念を理解しているか、基礎的な能力を有しているかだけを確認するから難問奇問はない。項目毎の指数化により、数学理解のプロファイリングに使えるようにする。
ポイントは多次元尺度であることで、数学が得意、不得意、というような漠然とした能力ではなく、個々の概念が理解できているかいないかを、個別に評価する。

2. 中等教育プロファイリングに基づく履修条件を明示

簡単にいえば、受講に必要な数学理解をプロファイリングに従って明示するということである。
これによって受講者が、受講中に「わからない概念がでてきて学習が止まる」ということが避けられる。
もちろん履修条件は科目毎に異なる。「人工知能入門」であればそれほど高度な数学概念は必要がない。ベクトルと行列くらいは理解していることが望ましい、東医程度。「人工知能応用」、「人工知能の最適化」といった内容であれば、尤度や計算量も問題になるから、統計の概念や、固有値などの概念も理解していることを履修条件とすべきだろう。

プロファイリングは一度行えば、複数の人工知能科目で共用できるし、また人工知能以外の科目でも利用できるだろう。できるだけ多くの科目で利用すればそれらの科目の理解度も向上するし、受講者もプロファイリングにかかる時間的投資をより多く回収することができる。

3. 中等教育の再履修制度の創設と促進

中等教育/数学 の理解が不足した場合に利用できる、補充教育の制度を充実する。これには、遠隔授業と現在の中等教育機関(中学、高校)の利用が考えられる。遠隔授業もよいが、僕は出身高校が卒業生の再履修を認めるのがよいと思っている。

再履修は「わからない部分だけ」「受講に必要な部分」で十分である。だからたとえば出身校で再履修するとしても、その部分の講義のみ聞きにいってもよいし、あるいは録画してもらいそれを視聴するということも可能だ。

再履修にやよいことがいっぱいある

中等教育の仕事を増やしそう?


中等教育の再履修ということは、いったん卒業した生徒がまたもどってきて授業をうける、ということだ。もちろん無料で受け入れてもらう。
え~っ、卒業生を再度受け入れて教育するんだって?そんなまた、高校の教員の負荷を増やすことはやめてくれ、と思う先生がいるだろうか?
実は僕はそんなことはない、と思っている。再履修により、高校の教育はすごく楽になるはずだ。

実は中等教育の省力化につながる!

と思っている。実はここが一番期待しているところ。逆転の発想である。

もちろん想像であって、現実はあまくないかもしれないが、こういうシナリオを考えている。

たとえばある高校の数学の授業。次週からベクトル、行列を教える。
そこに、もし卒業生の希望者がいれば、再履修性が3人ほど加わることになる。

現役の生徒は関心を持つ

現役高校生は、なぜ卒業した学生がわざわざ授業に参加するのか、関心を持つだろう。そして、これから学ぶことは、ちゃんと理解しないと将来支障がある、ということがわかる。そして、その先輩がAIや医療を学ぶためにベクトルを学びにきたなら、AIや医療に進むには特にベクトル、行列が必須である、ということが強く印象付けられる。

教員にとっては、フィードバックが得られる

当然教員も学生も、今度は確実に理解するよう努めるだろう。そこで、教員も教え方に工夫をするはずだ。
「なんでわからなかったのか?どこがわかりにくいのか?」
と確認すれば授業改善の非常に有益な情報になる。余分なことは教える必要はないし、理解に必要なことはしっかり教えればよいのだ。

電子機器やプログラムの開発では、故障や不良がおきると、開発者や製造担当者のところに、不具合のある部品や製品が戻ってくる。原因をつきとめて、再発しない対策をとらされる。これと同じことを教育でも行えるようになるわけだ。結果、無駄がなく、生徒が関心をもつ教え方ができるようになる。

現役の生徒の意欲が高まり、授業が能率よく進むという算段だ。

出身校での再履修は以下のような利点があると考えている。

1. 出身校であればなじみもあり、気楽に受講できる。費用もかからない。

2. 出身校であるから、その生徒に最適な教授法がとれる。

3. 出身校の側は、教育成果の再確認が可能になる。教育品質の向上に役立つ。 <- これが有益

4. 現役の生徒に、現在学んでいる内容がどう使われるか、という視野を与える。

5. 以上のように多くの利点があるにもかかわらず、費用がかからない(必要なのは授業日程を公表し、聴講を受け入れだけ)。

まとめ - 創意工夫で乗り切ろう

高等教育でのAI初歩の教授はほんとうに困難な課題だ。政府の計画の無謀さ、欠陥を批判するのはたやすい。また今回生じると懸念される中等教育との整合性のギャップは、おそらく講義の工夫や学生の自助努力で補完できる範囲を超えている。不足する予備知識は最大でそれだけで1つの講義単位程度の時間を要する分量だからだ。

しかしこうした問題が顕在化したのは、むしろ好機ととらえるべきではないかと思う。中等教育と高等教育の不整合は、いまや全高等教育共通の問題だ。そのために教員も学生も多くの負担や無駄を強いられている。

フィンランドの中等教育では、学習者みずからが科目毎に落第を選択することができ、必要な達成度に至るまで自主的に履修をくりかえすことができ、そのことが学習意欲の向上と理解度の向上につながっているとされている。

現在、webテストなどの方法を使えば、数学については比較的パーツ毎の達成度を測定しやすい。だから必要なパーツのみを再履修すればよく、学習者の負担も少ないし、高等教育の側もプロファイルをしっかり指定することで受講者に、具体的に必要な予備知識を明示しやすくなる。

僕は中等教育の現場にそう詳しいわけではない。ここで示した提案は、もちろんかならずしも現実的な方法ではないかもしれないと思う。しかしいろいろ創意工夫をしてこうした問題に取り組むべきだと思う。

ICTやAIはすべてのデータを駆使して、最適化を図る技術である。教育においてICTやAIを積極的に活用し、みずから手本を示しつつAI人材教育を行ってこそ、教育効果もあがると思われる。








#COMEMO #NIKKEI


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