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ノートはアウトプットだって誰かが言ってた気がするけど、その人の名をノートに書いてなかったから忘れた

ノートは偉大。

ぼくは常日頃、勉強は嫌だし、仕事もしたくないと思っている。
もう32歳であるが、未だにこんなことを言っている。昔は30を越えたらもっと責任感とか、大人びているとか、そういう幻想を抱いていた時期もあった。はて、思ってたんと違うな。

それどころか、10代の時は全く興味を示さなかった「運動」とか「オシャレ」とかを始め、「友達付き合いとはなんぞや」なんて考えている。陽キャの卵か?いつ生んだ?

陽キャの卵を抱えているが、10代と同じではいられないのも事実である。
僕は年齢なりにやらなきゃいけないこともしている。それが「試験勉強」である。それも行政書士試験。

試験勉強というのは、テキストを読んで先生の話を聞くだけでは無駄である。ぼくの耳は非常に風通しが良いので、先生の話がどうしても頭に残らない。恋人の話もよく通るので、気がついたら怒られているということもあるのだが、この話をすると話題がそれるので、またの機会にする。
とにかく、これではいけないと思い、ノートをつけることにした。耳がダメなら目からというのは浅はかのような気がするが、110円(税込)で買ったノートを使うことにした。

そこで気づきを得たのだが、どうやらノートはアウトプット材料らしい。
「ノートは忘れるためにあるけど、忘れないためにノートがある」と、昔誰かが言っていた。哲学のような物言いだが、「忘れるため」とは「アウトプットをすることで身に定着させる」ことであり「忘れないため」とは「思い出す」ことということだ。とてもいい言葉だと思う。誰が言っているかは忘れてしまったが。

更に言うと、ぼくの場合は日常の大半を聞き逃しているので、言葉を咀嚼しきれていないことにも気づいた。
人の話を聞いてると「要するに○○でしょう?」と言うクセがあるが、これはどうやら話を覚えていられないだけのようだ。
「1~10」を説明されると「それってつまり数字でしょう?」という感じである。間違ってないがズレている。
これをノートに起こすとあら不思議。「1~10」と書いてある(もしくは素数だけ書いてあるみたいなことはある)ので、案外ノートは重要なのかもしれない。

ところで、今日書く趣旨はなんだったか……しまったな、ノートに書いてない。
仕方が無いので、タイトルはそれっぽいタイトルにあとで書き直しておきます。

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