2.随筆「火照り」
なんだか、体が熱かった。
ただそれだけのことで
私たちはどれほどの可能性を考える事が出来るだろうか。
8月。真夏日。
寝る前にシャワーを浴びたのに、
午前7時の私の身体はジットリとしていた。
「エアコン、付けておいたはずなのにな」
知らない間に消えていた冷房が、私以外の誰かがいた事を証明している。
机の上にある朝ごはんがまだ暖かい。
きっと冷蔵庫に戻すのを忘れて、キッチンにそのまま置いてあるお茶は汗をかいていた。
其れは、誰かがさっきまでこの部屋で私の分の朝ごはんを用意してどこかへ行ってしまったことさえも証明していた。
体が、熱い。
夏のせいだろうか。
それとも熱を出してしまったのだろうか。
仕事に行くのが億劫だ。
体が熱いから。
暖かい朝ごはんを食べるのが嫌だ。
お茶を戻すのが嫌だ。
そこにいた貴方が完全に消えてしまう気がしたから。
また今日も「来ちゃった」なんて微笑んでくれるのだろうか。
いっそのこと毎日ここに帰ってくればいい。
毎朝ここから出ていけばいいのに。
そう、伝えることが出来たら、いいのに。
洗面台にある同じ色の2本の歯ブラシ。
横並びにしたら分からなくなっちゃうからって使わない計量カップに入っている貴方の歯ブラシ。
初めて横に並んで歯を磨いた時、
この時間がずっと続けばいいのに。率直にそう思った。
その事を思い出して、青い歯ブラシに手をかけた。
計量カップに入った歯ブラシが愛おしい。
愛おしくて、仕方がない。
私の知らない貴方を、この歯ブラシは知っているのだろうか。
「奥歯に虫歯になりかけの歯があるよ」
おい、歯ブラシ。そういうことは早く教えてくれ。
少しずつ冷たくなってきた朝食に手をつけた。
幸せだった。
「ちゃんと3食食べないと駄目だよ」
貴方の声が、聞こえた気がした。
終わりなんかじゃない。
「おいでよ」「来てよ」そういえばきっと来てくれる。
今日だって、きっとそう。また会える。
会う頻度と比例して私の気持ちが昂り、
幸せだ、なんて浮かれて起きたあとも仕事中も帰り道もお風呂に入ってる時も寝る時だってずっと頭の片隅には貴方がいた。
貴方が使ってそのまま置いてあるコップに麦茶を注ぐ。
悪いこと。なのかもしれない。
体が、熱い。
貴方を想って、昨晩のことを、今までの事を思い出しているから。
火照った体を冷ますために麦茶を飲んだ。
まだ、体は熱い。
それはきっと、夏が私を包み込んでいるから。
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