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中学のノート点って無駄じゃね?

導入

中学・高校時代の話。
僕は授業中にほとんどノートを取っていなかった。
テストの点数はそんなに悪くなかった。
なのに、先生たちから嫌味を言われたり内申点を引かれたりした。
理不尽だ。

ノート点って無意味じゃないだろうか。

ノート点が無駄な理由

・そもそも先生が合理的に授業をするべき
・生徒によって授業の聞き方に個人差があるはず
・先生の気分を良くすることがゴールになっている

問題1:そもそも先生が合理的に授業をするべきだ

普通に考えて、そんなにノートのとり方が素晴らしいなら
テストでもいい点を取れてるはずである。
つまり、テストの点数にノート点は含まれているのだ。
二重課税になっている。
テスとの点だけ評価すればよろしい。

良いノートを書いてテストの点数が悪いならそれは良いノートではないのだ。

頑張ってノートを書いているのに点数を取れないというのは努力の仕方が間違っているのだ。
間違った努力をしている子がいたら正しい努力の仕方を教えてあげるべきであって、
間違った努力をし続けるような動機づけを与えるのはおかしい。

もちろん、僕は生徒がテストで良い点を取ることが先生の責任だと思っていない。
本人のやる気とか才能とか家庭事情とか色々有るからね。
しかし、先生の言うとおりに授業を聞いて良い点が取れなかったら先生が悪いだろう。
にもかかわらず、結果が出ていない生徒にノート点を与えて済ませているのは責任感が乏しいように思う。

どんな仕事でも、結果を元にやり方を改善していくのが当たり前だ。

1.売上を上げたい
2.広告のキャッチコピーを変えてみよう
3.逆に売上が下がった
4.もう一度キャッチコピーを考え直そう

というサイクルを回すはずだ。
なのに、先生は
1.ノートを取らせる
2.良い点が取れない
3.頑張ってノートを取ったからヨシッ!
である。
これは無責任だ。

理由2:生徒によって授業の聞き方に個人差があるはず

後で知ったのだが、人には認知特性というものが有るらしい。
よく聴覚優位とか視覚優位とかいうやつだ。

僕は言葉で聞いたことを理解するのが得意だ。
反対に図を理解するのが苦手だ。

英単語を覚える時、僕はよくこれを感じる。
単語帳を使ってもなかなか定着しないが、付録の読み上げCDを聞けば大体覚えられる。

だから僕は授業中に黒板を見ずに先生の話をずっと聞いていたのだ。
黒板をノートに写すというのは甚だしくストレスに感じる。

そんな僕にノートを取れという方がおかしいと思う。

繰り返すが、僕は生徒が良い点を取れるかどうかが先生の責任だといいたいのではない。
個人差が有るからだ。
そうではなく、今よりも出来る状態にしてあげることが先生の責任だと。
そして、そのためにノートの取り方を指導してあげるのが適切だと判断したなら、そうすればいい。
ただ、あくまでそれは結果を出す事をゴールにその指導をするべきだという話だ。

理由3:先生の気分を良くすることがゴールになっている

先生の中にこういう考えの人が結構多くてうんざりする。

なぜ先生の気分を良くするためにこちらがそんな手間を払わなければいけないのか。

まとめ

まとめると、結局このノート点という問題は先生のエゴや責任回避によって生じたと言える。
今一度基本に立ち返って、先生の仕事は生徒が勉強が出来るようにしてあげることであると再認識してほしい。

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