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宇治三重一人漫遊記

旅立ち

旅は良い。旅はいつも自分を受け入れてくれる。旅はいつも必ず何かを残してくれる。

私は自称、旅人。今は本業のために会社に勤めているが、それでも職業は旅人だと思っている。

一週間の勤務が終わり三日間の休暇が出た。これは旅をするしかないと思いその日の夜に行き先を決めた。目的地は「宇治」。

私にとって宇治とは非日常の日常を感じることができ、温かくて柔らかい日当たりの良い縁側のような場所。何度も帰ってしまう。これまで4度宇治を訪れているがそれでも時間が経てば非日常の日常に没頭したくなってくるのだ。

明日は移動時間が長い、睡眠時間はしっかりと確保したい。旅の準備は明日の朝とする。

非日常浸る準備をする日常 跳ねる羊と空っぽのリュック

電気を消してベッドに潜った。


300km

天気は曇り。ご飯に納豆と卵をかけて腹に入れる。今回は宇治しか行かない予定のため一泊分の着替えをリュックに詰める。

午前7時、車に荷物を積み込み出発。自宅から宇治までは約300km。下道で行く予定なので休憩も含めておおよそ6〜7時間といったところだろう。

宇治が舞台の作品「響け!ユーフォニアム」のオープニング曲を流しながら国道2号を目指す。しかし平日ということもあり出勤ラッシュに巻き込まれてしまった。今日は金曜日、福山市街や工業団地までの道は歩いた方が早いのではないかというくらい渋滞している。いつもなら15分もあれば国道2号に乗れるのだが今日は30分程かかってしまった。

ひとりだけ 群れを抜け出し泳ぐ鰯 他の魚は知るか知らずか

国道2号を関西方面へ進む。倉敷、岡山の道は走り慣れたものだ。追越車線を走りすぎると右折レーンの信号待ちの列からはみ出した車に詰まることがあるのでどれだけ早く行きたくても焦らずに落ち着いて走行車線を走った方がよい。しかも通勤の時間帯で混んでいるなら尚更だ。こういう時は途中でコンビニに入るのもいい。コンビニで紅茶とガムを買ってまた東に向けて走る。車窓からの景色は変わっていく。昔自転車で旅をしてた頃立ち寄ったローカルのコンビニが全国チェーンのコンビニに入れ替わっていたり工事で片側交互通行になっている場所があった。現代は常に新しくなっていく。しかし変わらないものもある。昔自転車で走ったでこぼこの路側帯、その脇にあるパチンコ屋、あの時スルーして後悔したコンビニ。思い出も変わらない。

過ぐる日が 蘇ってくる国道2号 新たな記憶が染みつくものか

昔の思い出に浸っているうちに兵庫県に突入。自分の車にはナビが付いていないので愚直に国道2号を道なりに進んでいく。バイパスに乗っては終点で降りての繰り返し。楽なもんだ。ただ、繰り返しているだけではいけないと身をもって体験する出来事が起きる。今回全て下道を使う下道旅の予定だったが失敗したのだ。何も考えずバイパスを走っていたら第二神明、有料道路に入ってしまったのだ。走っている最中表示は出ていたのだがバイパスの名前だと思っていたので料金所が見えてきた時は迷わず一般のレーンに進んだ。間違えたことを伝えて料金所の職員に判断を仰ぎたかったからだ。滝のような汗を流しながら一般レーンを進む。自分の番が来た、言えなかった。言えなかったのだ。焦りすぎて財布を閉まっていた場所を忘れる。後ろが並んでくる。結局リュックの中身を全て出した後に外歩き用に持ってきたショルダーバッグの中に入っていることを思い出す。大人しく料金を払い有料道路に乗る。このようにして自分は損をしていくのだと悟った。小さな人生だ。ただ頭の片隅に走ったことがない道を走りたいという好奇心も同時に存在していたことは忘れないようにしたい。

無為無策 全ての物を出したリュック 残った中身で 生きていけるか

須磨ICで有料道路を忙しなく降り神戸市街を走る。途中ハーバーランドのタワーや甲子園球場の横を通り過ぎた。やはりこういった観光名所を遠くからでも眺められるのは楽しい。さながら遊園地の室内ジェットコースターのようだった。運転の楽しさもかなり違ってくる。紅茶の減りも少なく感じた。

キラキラと した街並みと 蔦の壁 街に包まれ踊る紅茶

大阪府に入ると枚方方面へ進路を変え、淀川を遡上する。大阪といえども郊外の方は見慣れたような街が多い。畑もあれば中古車販売店もたくさんある。メディアの取り上げる大阪は大阪府のほんの少しで本当の大阪はこのような場所が多いのだろうか。北部がこのような場所というだけなのだろうか。自分も東京に行ったことはあれど23区外は立ち寄ったことがない。もしかすると東京も大阪も街灯を映しすぎただけなのかもしれない。

意外と日本は 同じ景色が多い道 気付かせない様流す街頭

淀川を渡す鳥飼大橋。ここも自転車で走った思い出の場所。心が折れかけていた時追い抜きざまにクラクションを鳴らし左手の親指を立てて旅の幸運を祈ってくれたバイク。これは忘れることのできない記憶。どんな場所でも誰かの記憶の故郷なのだ。時代も建物も変わっていくが土地に染み付いた記憶は何があっても変わらないだろう。

プッと高い 幸運響かす 勝利の嵐 記憶を辿り進路を左へ

渡った先には東の大動脈、国道1号。私は大阪の門真から枚方区間が苦手だ。真上に高速道路があるので仕方がないが景色が変わらず車線も多い。車線変更でドッグファイトのようになっているのをよく見る。ただそれを抜ければあっという間に京都府に入る。喉元を過ぎればなんとやらだ。

無機質な コンクリートが 視界に8割 残りの2割は私以外か

午後15時頃、宇治到着。ここまで約8時間、長いようで短かった。道中お昼を食べていなかったためサイゼリヤに入る。せっかく宇治に来たのにと言う人間の声が聞こえるが気にしてはいけない。自分は宇治に日常を体験しに来ているのだ。これでいい、これがいいのだ。

思い出を 点と点で繋いだ線 永い旅路に それぞれの日常

手頃な価格のスープパスタと温かくも硬いパンは宇治に来た私を静かに受け止めてくれた。


大吉より

5度目の宇治ともなると過ごし方は固まっている。まず一通り平等院と県神社の参道を歩いた後宇治川の土手沿いを歩き久しぶりの宇治を確かめる。その後宇治橋を渡って宇治を見下ろせる大吉山に登る。観光というより散歩に近い。

好いた地に 響きに来たら D.C. フォルテもピアノも ここでは付けない

久々の宇治は大きく変わっていた。流行り病の影響でほぼ全てのお店が閉まっている。数えるほどしかない開いているお店も、雨が降っているのも重なってか閑古鳥が鳴いていた。病というものは人間にはどうしようもないため仕方ない気持ちはあるが少し寂しい感情もあった。それと同時に自分も病に罹らないように、移さないように。これ以上感染が広がらないようにできる限りのことをしたうえで日常にお邪魔させてもらおうと改めて思った。

どんよりとした上空と2021 明日の天気は曇りのち晴れ

轟々と力強い音が響く宇治橋を渡りトビケラが舞う宇治上神社の参道を歩く。鳥居を抜け神社に参拝。世界文化遺産に登録され本殿は国宝にも指定されている古くから続く神社だ。挨拶は大事、そう古事記に書かれていてもおかしくはない。宇治に来たからには挨拶をすると自分の中では決めている。

激流の鼓動に負けぬ二拍で宣う トビケラからの手厚い歓迎

宇治に挨拶を済ませると神社を出て更に奥へ歩く。程なくして見えてくる、大吉山登山口。本当の目的地。登山道はあまり舗装されておらず土や地中から顔を出した岩が靴に自分を馴染ませてくる。雨が降っているため尚更だ。すれ違う人は誰一人としていない。顔を上げても一面の雑木林。道と呼ぶ地面を一歩一歩着実に踏みしめていく。15分ほど登っただろうか、少し目の前が開けてくる。更に30歩、東家が見えてきた。到着だ。私が宇治で最も好きな場所。なんの変哲もない東家、しかしメインはそれではなく、そこから見る景色。顔を上げてほしい。ここなら宇治の街全てを見渡せる。紅が存在感を放つ平等院、車が信号待ちをしている宇治橋西詰の交差点。団地へ向かう原付のテールランプ、住宅地をすり抜ける電車の音。ここには宇治の全てがある。非日常も日常も全てだ。その中でも私はここが大好きだ。そして私は今ここにいる。非日常のはずなのにこの景色を眺めていると日常に溶け込んでくる。私も宇治の一部だという錯覚に陥ってしまうのだ。

宇治橋の 西詰車が詰まる頃 ああ自分も帰宅の時間だ

明日はどうしよう。せっかくの三連休だからこのまま帰るのももったいない。スマホの地図を開くと昔立てたピンが目に入った。夕日も愛宕山の裏に堕ちた。名残惜しいが黒々とした山道を下った。

部屋照らす 電球が切れた 足元は ふっほっふっと勢いをつけ

無事下山。どこかにご飯を食べに行きたかったが疫病のこともありコンビニでおにぎり2個と明日の紅茶、そして缶のお酒1本を買った。車に戻っておにぎりをつまみながらお酒を飲む。最高の時間だ。これこそ日常というものだ。おにぎりを平らげお酒を空にしたらそのまま寝袋に入って就寝。これは非日常だがここに家を借りている訳ではないから仕方がない。久々の寝袋には睡魔が住んでいる様だった。

狭くとも ほろ酔い気分で車中泊 睡魔の一撃あれば十分

起床、午前4時。宇治川沿いを散歩。今日は昨日と打って変わって晴れ。ただ川の水量はかなり多い。トビケラも葉の裏で休んでいる。私は大吉山に登る。

夜休み 夜に動いた 朝の者 宇治の主役をバトンタッチ

例の東家に着いた頃には空は既に明るかった。ここから見える団地では今頃朝の支度をしているのだろうか。部活の朝練がある高校生はそろそろ家を出るのだろうか。そんなことを考えながら北西方向の愛宕山を見ると見事な景色が広がっていた。

五月晴れ 大吉より見る 朝霞 愛宕山にも 鳳凰来べし

景色を眺めていると朝の散歩をしている人がたくさん登ってくる。自分以外ほとんどこの近辺に住む人の様だ。挨拶をしていると何人かと会話が始まったがこんな世の中だけどみんなで頑張ろうと会話を締めくくった人もいれば本当に君はここが好きなんだねと言ってくれる人、次来る時は彼女連れてこいと言う人もいた。こんな会話どこででもできる様な気がするがここでしかできないように感じる。これも非日常の中の日常。まだここに居たい気持ちはあるがそろそろ下りよう。またいつか帰ってくるだろう。

行ってきます 手を振る私に 揺れる大吉 寂しくなれば また帰ればいい


縦が映える町

午前7時半、車を出しJR宇治駅から南へ進む。今日の行き先は三重県、松坂。黒いシートで覆われた広大なお茶畑が私たちを見送ってくれる。私は初めて宇治のお茶畑を見た。何度も通っているのに初めてだ。これまでずっとお茶畑はどこにあるのか疑問に思っていたが市街に根を張り、探しに行くことはしなかった。それがこんなに広大で、こんなに緑が鮮やかで、そして黒いシートで覆われているとは知らなかった。私は次もこの道を走るだろう。朝日を浴びれない者たちに別れを告げ進路を東にとった。

遮られ 青々育つ 青二才 露を落として 玉となるか

信楽、伊賀を抜けて名阪国道に乗る。気づけば三重県に入っていた。三重県といえば私は伊勢神宮が一番最初に思い浮かぶが鈴鹿サーキットやナガシマスパーランドなど今と昔のエンタメがバランスよく混在している場所だと思う。私もいつかは徒歩でお伊勢参りをしてみたいと思うが時間に縛られる日々を送っているとなかなかその様なことはできない。胸の中にスッと閉まって両手でハンドルを握った。

自動車専用道路を走る今 それでも江戸に戻れる術あり

それは突然やってきた。「目的地に到着しました。案内を終了します。」の無機質な音。松坂市営駐車場、駐車料金はなく無料。宇治から2時間ほどで着いた。荷物の準備をして車を降りる。目の前の立派な石垣が目的地である松坂城だろう。それに沿って入口を探す。表門は程なくして現れた。高石垣の迫力が強く思わず後退りしてしまいそうになる。威圧感のある入口。登っていくと道は折れ曲がり幾度となく別れ道で選択を迫ってくる良い城だ。ただそのような場所には順路の看板があるため現代では簡単に天守までの道が見破られてしまう。悲しくもおもしろい話だ。

松坂の 威厳を誇示する 別れ道 自慢の城がもう破られる

城内を進んで行きたどり着いたのは天守台。現在天守は残っていないがこの天守台は当時をそのまま残しているらしい。1番の見所はここの野面積み。所々他の手法も混じっているが松坂城内で多く見られる石垣の積み方だ。拾ってきた様々な形の岩を組み合わせて積んでいって隙間には小石などを挟む石垣造りでは古い積み方だ。私は整った石垣も好きだが不揃いなのびのびとした石垣の方がより好きだ。全部が全部整っているのはとても綺麗で人を魅了するが少し息苦しくなる。私にはこれぐらいがちょうどいい。多少不揃いなくらいがちょうどいいのだ。

伊勢乞食 すら目に留める 野面積み お天道様も同じ想いか

天守台に背を向け裏門へと下りる。近くの高校からか吹奏楽部の練習が聴こえる。こんな近くにこんな立派な城があるのは松坂の人にとって誇りだろう。私も福山に住んでいるが福山城は私の誇りだ。石段を下りきった先には御城番屋敷と呼ばれる長屋の武家屋敷が生垣の中に隠れていた。ここに住んでいた藩士たちもこの城に誇りを持っていたに違いない。現在もこの長屋ではそのご子孫が生活を営んでいる。ここの生垣と石畳はとても映える。いつもはスマートフォンで写真を撮る時横で撮りがちな自分もここでは縦で写真を撮る。ここは縦が映える町。生垣に挟まれて見る松坂城も乙なものである。

何代も 何代も何代も 続く町 そこにあるのは誇りの景色

生垣の路地を抜け車に戻ることにした。


古来の湯

松坂の観光を終え車に戻る。ベタベタする。昨日は制汗シートで身体を拭いただけだったのでお風呂には入ってない。近くに前から行きたかった温泉があるのでそこに行くこととした。市街から山に車を走らせる。道の脇の農地には麦畑が広がっている。よく黄金色と呼ばれるがまさしくその通りだった。三重は麦の生産が盛んなのだろうか、そんなことを考えながら前の車についていく。

昨年と 我慢が続く 湿気た夏 ジメジメ飛ばす 黄金の風

前の車の後ろをつけていると目的地、榊原温泉に到着した。温泉地といっても草津や箱根のようにThe温泉街といった感じではない。風景は県道沿いによくある田園地帯といった感じでここが榊原温泉と言われなければ気づかない。しかし平安時代には枕草子で「湯は七栗(榊原)の湯 有馬の湯 玉造の湯」と当時の三名泉として記述されていたり、伊勢神宮参拝の前に身を清める場として使われていたりと歴史は古い。そのため選べるくらいには旅館や浴場はある。私はその中でも市営の浴場に行くことにした。

情緒ある 田舎の景色と 立つ出湯 胸の病を 流すためにも

三週間ぶりの温泉。前回は岡山県の湯原温泉と島根県の玉造温泉。中国地方の温泉はそこそこ巡っているつもりだがこっちの温泉は初めて入る。ワクワクしてきた。ワクワクしすぎて券売機に気づかずフロントで「大人1枚」と言ってしまったがそれも汗と一緒に流していきたい。脱衣所は地域の人が多い印象だった。外様の私はさっさとシャワーで身体を洗う。ここまでにかいた汗が全て流れていく。気持ちいい、最高の気分だ。身を清めたらさっそく温泉へと入る。壁には「滑りやすいため手すりを持って移動してください」と注意書きが貼ってある。本当だ、床がとてもツルツルしている。中腰になりながら湯船にたどり着きゆっくりと肩まで浸かった。この瞬間を楽しむために生きていると言っても過言ではないだろう。指同士を擦り付けてみる。本当にヌルヌルしている。糸を引くんじゃないかと思うくらいの粘度だ。phは9.6。自分が通っている湯原温泉よりも高いのかもしれない。美人の湯だ。榊原温泉に感心をしながら外の露天風呂に浸かる。あまり広くはないが風を浴びながらの温泉はやはり気持ちいい。熱くなったらベンチに座って涼んでまた入る。熱くなったら上がってまた入るの繰り返し。これができるため露天風呂が一番いい。地域の人から若いという理由で話しかけられたり、どこから来たのとここのことを教えてもらったり色々知れて交流できたのもよい体験になった。

七栗の 語り部集う 露天風呂 もう二千年 ヌメりと共に

風呂上がりの牛乳を飲んで浴場を出る。ここも今年の11月で閉館するようだ。よく周りを見れば手入れが行き届いていないのか隣にあるテニスコートは草が生えっぱなしで低木も少しもさっとしている。歴史ある温泉だけに悲しくもあるがまた2年後に規模を大きくしてリニューアルする様なのでそれを心待ちにしている。地域の人も温かく、また訪れたい。

古くから 伊勢と都を繋いだ湯 次の世代に榊を残す


ミルフィーユカツ

榊原温泉を後にし伊賀街道を西進する。もう一つ、前から行きたかった場所。そこは七栗から程なくして着いた。忍者の国の城、伊賀上野城跡。平野に急に現れる小さな山の上にあるため平山城というジャンルになるのだろうか。車を駐め早速登っていく。眼前が開けるまで時間はかからなかった。網膜に飛び込んできたのは迫力のある三層の天守、しかも天守台に土塁も張り巡らされておりすごい威圧感だ。そしてそれを見ながら一段下に本丸があるためこの光景に気負けしてしまうと帰ることはできないだろう。今は建て直された天守だが当時は五層の大天守だったため尚更だ。

新しき 時代を迎えた 上野城 彼の目からは 何が見える

本丸に下り少し歩くと「日本で一・二を争う高石垣」という看板があった。それが1.2なのか1or2なのかは分からないがとにかく行ってみる。行き着いた先は水濠、何の変哲もない。水濠を挟んだ向かいでは高校球児がノックを受けている。恐る恐る下を覗いてみる。すると体験したことがないような高さだった。水面まで50mはあるのではないかという高さ。こんなところから落ちたらいくら水の上でも着水の衝撃で死んでしまうのではと思う。そしてそれを生み出しているのが先程の看板にもあった高石垣。確かにこの高さはなかなかない。また石垣が直線的で登ることはほぼ不可能だろう。造ったのは案の定藤堂高虎。特徴的でわかりやすい。恐怖と闘いながらも地面に手をつき、下を何度も覗いてしまった。

高虎の 高石垣に 粟生やし なお勇ましい 高校球児

高石垣を堪能した私は天守に向かう。下から見てもすごいプレッシャーを放っている。いざ入城。隣の小天守には脱出用の穴がついた井戸が展示されていた。大坂の陣で徳川方が負けた時ここから脱出する算段だったようだ。本当に忍者の国の城。中には伊賀焼の名物や当時の道具が展示されていた。また建て直した人物についての展示も多かった。なにやら今の天守は地元出身の議員が私財を投じて造られたらしい。しかも本人の強い要望でコンクリート製ではなく木造。倒壊した当初の五層の天守と形も規模も違うがそれでもこの地に木造天守があるといったことは素晴らしいことだ。建て替えた人は、地元と地元の産業のために自らの私財を投じるという凄まじい松坂に対しての情熱を感じた。

模擬天守の 残りの二層は 情熱か 組紐伊賀焼 耳を撫でる

二の丸に下りて散策。歩いていると俳聖殿という建物が見えてきた。俳聖というと松尾芭蕉。そういえば芭蕉翁は伊賀者。そうか、ここは翁の故郷か。そんなことを考えながら俳聖殿に近づく。芭蕉翁をイメージして造られた六角堂らしい。中を覗いて見ると台座の上に松尾芭蕉像が座っていた。何の音も聴こえなくなるくらい静かに座っている。そこには自分と翁しかいない。何か不思議な体験をしたなあ、と次に進む。

旅に生き 旅に病んでは 夢駆ける  私はそれに なれるだろうか

順路を沿っていくと忍者屋敷が現れた。せっかく伊賀に来たのだから覗いていこうと入場券を購入。すると3分後から忍者ショーをやるという。せっかくなので見てみようか。席に着いたが周りは家族連れやカップルが多い。一人で観に来ているのは自分くらいだ。少し恥ずかしい。ステージに上げられることがないよう少し影を薄くした。ショーが始まる。伊賀者が甲賀の者に攻撃される。それを避けて反撃。予想以上に迫力がある。手裏剣や鎖鎌など忍者道具の使い方を実戦形式で披露する。中でも投げナタ。柄の方が相手に当たっては意味がないので先の鋭い方を当てなければいけない。投げたらナタは回転するので相手に当たる時には仕留める方で当たらなければいけない。これがなかなか難しそうだった。他にも吹き矢やクナイなど様々な物を使用して戦っていた。忍者の演技も完璧でたまにコミカルなものも挟みながら観客を楽しませていた。時勢的に厳しいながらも全力を出しているのを観てまた超満員の時に来たいと思った。

伊賀者の 流れを止めぬ 忍者ショー 拍手の滝を浴びせる外の様

忍者ショーが終わりそのまま忍者屋敷に入っていく。どこかで見たことあるカラクリが丁寧に解説されている。子どもが本当にどこに行ったかわからなくなっている母親もいた。それだけ本格的な屋敷だ。順路を進むと忍者についての知識がたくさん置いてあった。個人的には忍者は基本的に常備軍ではなく普段は農民をやっていたということに驚いた。普段からトレーニングは積んでいたらしいが忍者は仕事の時だけやるものの様だ。また伊賀忍者は呪術と火薬の扱いに長けていることも初めて知った。あまり詳しくなく的外れかもしれないが雑賀衆などと似たような集団だったのだろうか。

三重県の 一地域にのみ 住む集団 それが日本の 文化になるとは

忍者屋敷を出る。時刻は15時半。お腹が空いた。そういえば今日はまだ何も食べていない。この辺りでお昼ご飯にしようか。マップを開くとすぐ近くに気になる店があった。伊賀牛を使った牛カツの店。少し値段は張るが昨日今日とその土地の名産を食べていなかったのでせっかくだから最後に食べていくことにした。引き戸を開ける。店内もガラガラ。奥から店主のお兄さんが出てくる。「やってますか?」と聞き席に着く前に「ミルフィーユカツ、120gをお願いします。」と注文を入れた。注文が入ってから揚げるため時間がかかる様だがお店の雰囲気もよく全然待てた。時間が経つほど膨らむ期待。10分ほどで出てきた。何気に牛カツを初めて食べるかもしれない。中身はレアの状態で昨日から何も食べていない自分は醤油もつけずにまず一口。柔らかく衣も絶妙な厚さ、何より肉の味がしっかりしていて滑るほどなめらか味だった。うまい。店主のおすすめはわさび醤油、これだ。店主さんは元々肉屋で働いていたが自分で作った牛カツが美味しすぎてお店を開いた。実際に美味しい。値段は張ると言ってもたかが学生レベルの金銭感覚のためこの値段でこの量と質は破格だ。店も貸切のため店主のお兄さんと会話が弾み気づけば17時半。今晩の宿にする友達への土産をここでテイクアウトしお兄さんに「また来ます」と言って西に車を出した。

伊賀牛と 天守と忍者の ミルフィーユ 楽しみ尽くしても 未だ足りず

忘れられない、初めての牛カツになった。


780km

山を越え奈良市街に抜ける。夕刻の渋滞にはまる県道1号。ただ平城宮が見え退屈はしない。今度は奈良に行こうか。そんなことさえ思う。ゆっくり、ゆっくり進んだ。そうしているうちに今日の宿である友達の家に到着。半年以上ぶりくらいか。成人してからは初めて会う。テイクアウトした牛カツを渡し近況を語りあう。途中お酒も買ってきて久々のワイワイした時間になった。お酒でいい気持ちになったため布団を敷いて寝転ぶ。友達はベースの練習を始めた。気がついたら寝ていた。

6時半起床。友達を起こさない様にそっと準備するも結果ガサゴソ音で起こしてしまった。久々に会って楽しかった。また遊びに行く。

旧友と 初めてお酒を 酌み交わす 高校時代も 今も楽しき

7時、近くのガソリンスタンドで給油。レギュラー満タン。コンビニで飲み物を買ってあとはひたすら西に進む。昨日の朝は宇治にいたと思うと色々なとこに行ったなと実感する。その時間に宇治にいたとは思えなかった。今日の朝は大阪、そして明日の朝は福山で迎える。旅というものはおもしろいものだ。一昨日来た道を戻るが視点を逆に変えるだけで見たことのない景色な気がしてくる。宝塚の外れにある巨大な団地群、ミコノス島を想像させる真っ白な街。たくさんの大きな川、聞き馴染みのない地名が書いてある看板。たくさんのものが輝いて見える。あっという間に帰宅してしまった。もっと走りたかった。しかしゴールテープは一つしかなかった。

旅に起き 旅に眠った 二百里の 記憶は隅に 染み込んでいく

今回の合計走行距離、780km。私はそれ以上のものを得た気がする。


日常

帰宅した私は着替えを洗濯機に入れその場に伏した。楽しい旅といえどもやはり体は疲れる。家にいる2時間という時間は動画やTwitterを見ていればあっという間だ。15時からは競馬を見る。いつか競馬場も行ってみたい。行ってみたいところばかり増えてしまう。これが旅人の性か。

その後はお風呂に入ってご飯を食べる、明日からの日常が今日始まった。

いつもの日常がまた始まる。


一生涯 自分にとっての日常は 旅に生きれば 牛歩の如し






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