人を傷つけない幻想

世の中に希望が溢れすぎてて人は簡単に絶望します。
私は他人の言葉の扱い方に触れるたびに大抵絶望します。
特に歪な【配慮】をまぶされた言葉に触れると絶望します。
初っ端から三回も絶望してしまった。

パートナー。相方。連れ合い。
べつに好き好んでそう呼ぶのはいい。使いたい言葉を使えばいい。
ただ「私はマイノリティに配慮して、強い意図をもってこの言葉を使います」になると途端に気持ち悪くなる。
世間にとり沙汰されないマイノリティは今まで通り臭い物に蓋してるくせに。社会的弱者の地位を獲得できない、性的指向ではなく性的嗜好と差別されているものは、相も変わらず精神病扱いだ。

世間に浸透してきた。弱者として名が売れた。彼らに配慮することで正義感に酔えるし、たくさんの人が満足する。
そういう上っ面の気持ちよさそうな言葉が蔓延している。
気持ち悪い。(これは罵倒する意図をこめた言葉です)

恋愛関係にある相手をどういう言葉で表現しようが変わらない。重要なのは言葉じゃなくて意図なんだから。
「彼氏いる?」は「(恋愛関係にある人・あるいは婚姻関係にある人・婚姻関係に限らず連れ添ってる人)いる?」全部含まれてんだよ。
もしくは何も含まれてないかもしれない。「今日暑くない?」くらい意図のない言葉だったりもする。
要するに「彼氏(彼女)」って言葉自体はどうでもいい。

「彼氏いる?」という言葉に「あなたは性自認が女で、異性愛者、つまり性自認が男性の相手を性愛の対象としてますか?」なんて意図があるとでも思っとるのか。
そこを聞きたいんだったら「どういう人が恋愛対象?」とかいう質問になる。
(そしたらきっと「必ず恋愛対象がいると断定するのはアセクシャルへの差別だ!」と叫びながらやってくる)

関係性とか、状況とか、場所とか、いろんな要因が組み合わさって成立するんだ、会話ってのは。
だから言葉一つを取り上げて「これは悪い言葉」だから「使うべきではない」なんてことはない。
にもかかわらず「性の対象を限定している。異性愛を正とする性差別主義者が!」にまで瞬間沸騰してしまう、この、ああ~~~~~。
気持ち悪い。(これは想像力が欠如した人に対する絶望の意図をこめた言葉です)

奥さん、嫁、旦那、主人。そういう言葉を狩ろうとする人もいる。
そこに愛情があっても関係ない。彼らにとってそれは配慮のない言葉だから、いかなる場合においても使うべきではないのです。
その言葉がそのときどういう意図で発されたのかではなく、表面的な言葉の意味や生まれた背景、社会での扱いを見て「配慮がない」と騒ぐのです。不思議。

「嫁に会いたいから今日もう帰るわ」「うちの主人お腹出てきたからダイエットさせてるのよ」
果たしてここに他人に責め立てられるような意図があるのだろうか?
そりゃあ「嫁は嫁らしく旦那に従え」みたいな使われ方をすることもあろう、傷つく人もいるだろう。
それって傷つけてるのは「言葉」じゃなくて「意図」でしょう。

看護婦という言葉は死んだ。看護士という言葉も死んだが、もともとそんなに息してなかったから死んだと認識されていない。
統一されて看護師になったので、今「看護婦さん」と言うとまるで性差別主義者かのごとく扱われる(こともある)。べつに看護婦は差別用語ではない。
「看護師がブスでキモくて最悪や」「看護婦さんが親切で泣きそう」「今朝の看護師、採血うまくてありがたかった」「あの看護師さんケツでかいな」
言葉と意図、どっちに問題があるんでしょうね?

当たり前だが当たり前を想像できない世の中なので補足すると、言葉一つを取り上げて「この言葉は嫌い」だから「私は使わない」は何ら構わん。
好きにすりゃいいんだよ誰だって。勝手に不快になればいいんだよ。誰しも好き嫌いはあるのだから。
なぜ「不快に感じる人がいるので誰も使うべきではない」になるのだろう。
じゃあもう何もしゃべんな。

やさしい言葉。配慮ある言葉。誰も不快にならない言葉。人を傷つけない言葉。
そんなものの実在を心から信じているなら他者とのコミュニケーションに言葉を使うのはやめとけ。
誰も傷つけない言葉なんてもんはない。

コミュニケーションってのは相手を削いで自分の意図を押しつけて、拒絶されたり受容されたりする行為であって、他者との接触はそもそも争いだ。
ときに快感を得たり、傷ついたり、届かなかったり、いろんな決着があるが、振るった時点で言葉は凶器だ。
腕を切るか髪を切るか。常にある種の傷を負う。
そうやって自他の攻撃によってお互いが変化するのがコミュニケーションなんだよ。

やさしい言葉なら絶対に誰も傷つかないと思ってるとしたら、自分の想像力のなさに戦慄しろ。

私はありがとうって言われると傷つく。褒められると反吐が出る。だからって「ありがとう」を根絶やしにすべきだとは思わない。そんなことは無意味だ。
言葉が減ったらコミュニケーションに困るし、困るけどそのうち代替の言葉が出てくるだけで、私が傷つくことに変わりはない。
私が傷つく理由は言葉ではなく意図のほう、しかも私自身の意図にあって、「ありがとう」に罪はない。「ごめんなさい」も苦手だ。
でも意図がちゃんと伝わる場合においては私も傷つかずに受け取るし、自分でも使う。

人を傷つけない言葉ってなんですか?
生理的に受けつけない人から「素敵、大好き、仲良くしたい」って言われて嬉しいか?
じゃれあってる人に「もう、ばか」って言われて「知能が低いと罵倒された!」と怒るのか?

悪いのは言葉、配慮のない言葉。
違う言葉に差し替えれば【誰も傷つけない】し、それどころか【配慮できる人である】と自他にアピールできる。
想像力がない人間は意図を重視しない。言葉がきれいなら納得する。
とりあえずそういうことになっている。気持ち悪いです。

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