VPoE 近藤俊太郎 自己紹介 Vol.5 ~来月から「インド」行ってください
こんにちは、アイスタイルの近藤です。
自己紹介ネタもそろそろ終盤に差し掛かってきました。(自己紹介というより新卒日記みたいになってますね。。。この記事を読んで元同僚や似たようなプロジェクトにいた友人から「懐かしい」と連絡もらえると嬉しいものですね。笑)
さて、前回は「配属3ヶ月で異動通告!?」というお話しでしたが、今回はなんと日本を飛び出て海外編です。
元祖「オフショア」開発?
ここ数年、ウェブやアプリ案件をベトナムなど東南アジアでオフショア開発するのも少しずつ定着してきましたね。(直接お願いするのはちょっと。。。ということでその間をサポートしてくれる会社も増えてますよね。)
20年前に「国産銀行システム」を海外で開発するってかなり進んでいた気がしますね。そのプロジェクトでは「中国」と「インド」に発注していたのですが、僕はチーム「インド」でした。
インド開発会社から日本に常駐しているオンサイトメンバーに指示を出して開発を進めていくスタイルでした。もちろん、すべて英語。言葉の問題もありましたが、お願いしても
「はーい!やっておきます!!」
と元気に答えてくれるのに、確認すると全然やってないのは日常茶飯事。文化?考え方の違いにもすごく苦労しました。
数日間の出張じゃなかったっけ?
実は、小さいときアメリカに住んでいました。世間的には「帰国子女」というやつですが、いかんせん帰国したのが「小学1年生」。
地元の公立小学校に入ったのですが、見た目は純粋な日本人なのに日本語が片言。。。自分の名前を平仮名でも書けないありさま。。。
という過去を知られてグローバルチームに入れられたわけです。(長いことトラウマの英語から逃げてきたのに、発音がイイということで勘違いされたんですよね。。。)
まあ、ここまできたら割り切って?腹をくくってやるしかないということでそのころには
「だったら海外駐在とかしたいです!」
と公言するようになってました。(その当時、入社1年目は海外出張や駐在はできないというのが暗黙の了解のようでしたが。)
そうやって声に出して言ってるとチャンスは巡ってくるものです。担当システムで新案件が動くということで本部長が現地に赴いて説明する必要がある。現場責任者もということで白羽の矢が立ちました!
その当時はインドに行くには「ビザ」が必要。さらに「SARS」という病気が流行っていて海外渡航制限が出ている状況。(今のコロナみたいな感じでしたね。今考えれば)
ほんの数日の出張と思っていたのに、気が付いたら結構長いこと現地にいる結果に。プチ駐在みたいな気分でしたね。笑
そんな出張のような駐在のようなお役目を果たして帰ってくるのですが、このことをきっかけに人生の歯車がギアチェンジするのですが、このあたりのお話しは次回に!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?