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さてさて、コーヒーブレイクでもしましょうか。

「ああ、なんだか無性に美味しいコーヒーが飲みたいなあ」



コロナ禍で感じた不安や恐怖は大きい。
私自身、めっちゃ怖かった。
どうしよう。困ったぞ。しんどいな。
混乱したキモチ。
きっと多くの方が抱えられたのではないかしら。

だけれども、
このコロナ禍で学んだことも、
想像以上に多い気がしているのは私だけかしら。

例えば、
「コーヒーの存在」について。

今や、コンビニで100円コーヒーが買える時代。
日本の人々の暮らしの中で、
コーヒーがごく身近なものになったと思えば、
コンビニの100円コーヒーも悪くない。

今般のコロナ禍で、
急遽当店も、コーヒーのテイクアウトを始めたけれど、
きっと売れないだろうなあと、最初は思っていた。
なぜなら、当店のドリップコーヒーは、
テイクアウトでも600円もする。
コンビニコーヒーに比べて、随分と高いよねえ。

だのに。
この3ヶ月。
そんな私たちの弱気な予想を覆す現象が起きて、
正直、とても驚いている。
なぜって、
当店のドリップコーヒーをテイクアウトする人が、
想像以上に多いからなのだ。

買われていくお客さんたちの言葉は、とても印象的で。

「自宅で自分でコーヒーを淹れるのですが、
やっぱり何かが違うんです」

「誰かが淹れてくれる美味しいコーヒーが、
無性に飲みたくなるんです」

「ずーっとリモートワークだと、切り替えが難しくて、
そういう時、美味しいコーヒーが飲みたくて困るんです」

そうか、そうか、そういうことかー。

恐らく。
美味しいコーヒー豆を、誰かが挽いてくれるという手間。
その挽き立ての豆を、誰かが淹れてくれるのを待つという手間。
そして、外出自粛というさなかだけれど、
「わざわざ、そのコーヒーに会いに行く」という手間。

それらの小さな手間がギュッと詰まった、
1杯のコーヒーをユックリ楽しむ。

こんなコロナ禍だからこそ、
「丁寧に淹れてくれた普通に美味しいコーヒー」に、
無性に会いに行きたくなる。
コーヒーのテイクアウトが多い理由を、
私はようやく理解したのだ。

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あなたのことを思って淹れる1杯のコーヒー。
そのコーヒーで心を休めるあなたの時間。

「コーヒーの役割」は、今ここにあるってこと。
そして、この先もずっとあり続けるってこと。

お客さんたちの言葉のお陰で、
改めて「コーヒーの存在」について考える、
素晴らしい機会をいただけた。
istutのお客さんに、心からキートス!

そしてきっと、
コロナ禍という未曾有の状況でなければ、

立ち止まって考える時間は持てなかったと思う。
そういう意味では、今の状況にも小さくキートス!

と、いうことで。
さてさて、コーヒーブレイクでもしましょうか。

「pidetään kahvitauko」

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