写真はその瞬間を切り取り、ドラマチックに残すもの

私は写真家ではないが、アマチュアながら写真を撮るお仕事を頂くことがある。私の機材も決して、プロのものではない。CanonのEOSXというビンテージ物の一眼レフと、EOS7i という2014年あたりに発売されたこれも一眼初心者用の機材だ。

私はイギリスの都市閉鎖が始まる前は、観光ガイドの仕事を月に何回かしていた。この仕事の一環で、観光中の写真撮影を頼まれることもあり、いわばガイド兼カメラマンとして仕事をしていた。

仕事をする前から写真を撮ることは好きで、趣味でいつも写真を撮っていた。

いつも写真を撮っていると、二種類の写真が生まれる。「ただの記録写真」と「その時の空気を切り取った写真」だ。

まあ、ただの記録写真というのは私が意識せずに、新しい風景を納めているときの写真。

そうじゃないものは、私が一瞬立ち止まって、「あ、この瞬間すごくいい」と思ったときに撮った写真、それが「その時の空気を切り取った写真」だ。

それが出来ている気がする写真をいくつかここにあげてみる。

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こうして、自分の中でその時の空気を切り取れたと感じた写真はいつも、私の中で私がその写真をどのようにして撮ったか、その時の雰囲気、天気、空気などがどんなだったかなど、すぐに思い出せる。まるでタイムカプセルのように。

そういう時間を切りとった写真が撮れたら、私は必ずレタッチ作業をする。使うのはおなじみのAdobe Lightroomだ。色味や影の度合いなどを調整して、最高のコンディションに仕立て上げることで、その時の記憶に少し劇場的な印象を残してあげる。

私にとって、ただその時に記録のために写しただけの写真はつまらない。もちろん記録用写真は大切だ。でも、人が写真を撮るのは、その時を思い出したいから。思い出を永遠に残したいから写真を撮る。そして、記憶というものはとても曖昧なもので、色々なことが後から付け足されて、現実に起こったこととは少し変わって記憶されてしまうことだって良くあることだと思う。

そういうとても曖昧なものだからこそ、思い出すためのツールである写真は、劇場的であっていいはずだと思った。
その時の記憶に少し、ロマンチックな雰囲気を元ある記憶に与えるために、写真は元の記憶より美しくて良いし、現実と色味や雰囲気が多少違ってしまってもいい。だから私は必ず、レタッチをして、記録写真の中で稀に訪れる、時間を切り取る機会を、最高のドラマチックなデータとして残したい。

それが私の写真をとる理由なのかもしれない、と最近思うようになった。
一眼は重いので、いつも持ち歩くことはできない。なので、最近はIphoneなどで写真を撮る事が増えたが、そのプロセスはどんなカメラを使っても同じだ。時間を切り取る瞬間をいつでも私は探している。そして、最高のパフォーマンスでその瞬間を撮りたい。

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とは言え、やっぱりスマホがどんなに発達しても、私は一眼レフが生み出す雰囲気が好きだ。それは画質でもなく、性能でもない。現に、私は二つ持っている一眼の中で、画素も低く、発売されて20年以上たっているEOSXのほうが、2014年製のEOS7i より好きだ。もっと言えば、フィルムカメラのほうがよっぽど、一眼やデジカメよりも良い雰囲気を演出できると思う。

写真を撮るということは、決して特別な機会にするべきことではない。何でもない日常、よくある風景、道の雑草。そんなものでもいいから、写真が記憶のかけらとなり、人生の一部となるということが大事なのだと思う。

コロナウィルスの流行で生活が一変した今、あたりまえの日常というものが如何に簡単に変わってしまうか、ということを実感できる今、日々の一瞬の記録の重要さをさらに感じるようになった。

旅行や遠出できない今でも、写真を撮る意味はある。何気ない一日をふっと切り取った写真でも、なんでもいい。とにかく、写真に時間と命を吹き込む。そして、私はその写真を自分の記憶の一部として生きていく。それが私にとってのカメラの楽しみ方だ。

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