「なぜ東大は男だらけなのか」(矢口祐人)読書記録

東大の歴史やアメリカの大学の潮流などを踏まえて、東大が「男性による男性志向の偏った大学である」ことを表した本。
読みやすく、過剰な文体でもないところが良かった。

印象に残ったところを箇条書きでいくつか。

・形式的に女性の入学を認めたあとも、「最高の花嫁学校」だとしようという主張がった。
・東大初の女性教員だと思われる中根千枝は「女性視点」での議論には興味はなくいわゆる「タテ社会」の構造にさえ入れば男女の差別はないと考えていた。
→筆者はここでいう「タテ社会」はハード面でもソフト面でも男性が構築した男社会でのものだから、そこに入れば同等な扱いを受けるというのは、結局男性社会に適応するか否かという問題になるのでは、と述べている。
・学生運動時の大原紀美子のエピソード。男子学生が闘争や討論ののちに床で寝る横で、女子大生二人でごはんを炊き、おにぎりを握り続けていたという。「既存の思考方法全てを拒否しようとする全共闘の学生たちがどうして、家事は女性のものという最も通俗的で歴史的にも根の深い既成概念を疑いもせずに受け入れているのだ?」
→男子学生たちは、きわめて家父長的な感覚をあたりまえとする家庭で育っていると指摘する。これは現在でもそうだろう。母親たちが「息子の食事を作る。シャツを洗う。起こしてくれという時刻に起こしてやる」そしてその息子たちは「ある日…突然家に現れて…、汚れた衣類を、洗っておいて、などと放りっぱなしにして来るだろう」
・大原より3学年下の加藤みつ子の記した内面の吐露の方がもっと、私自身の感覚に近いかもしれない。

以上のような、歴史的体系を俯瞰しながらも、かつてそこに存在していた東大の女性の声を丁寧に述べているところに筆者の誠実さを感じた。
こうした流れから、筆者の主張の一つである女子学生枠を設ける「クォータ制」の提案につながっていく。
正直、小見出しにもあるように、「クォータ制」は「ずるい」と感じなくもなかった私だが、本を読んでいくとこうしたある種の強いパラダイムシフトが必要だということも納得できた。


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