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経営者をやめて主夫になりました



出会い


「ヒナちゃんとホノちゃんが『後で行くから先に行ってて』って言って、背中を押したんだ。それで僕はママのお腹に入ったんだよ」

「ハルは、産まれる前の事を憶えてる?」という僕たち夫婦の問いに、3歳の息子はこう答えた。

そして息子が産まれた2年後、息子の背中を押したヒナとホノは、双子の娘として我が家に誕生した。

子供は胎内記憶を一生に一度だけ話してくれるらしい。

息子の記憶が確かかどうかは分からないが、子供の誕生によって僕の人生が大きく変わったのは確かだ。

僕は、それまで経営していた士業向けのコンサルタント会社を知人に譲り、主夫となった。

僕は、家事や育児について

「子育てなんて、ミルクをあげて、オムツを取りかえるだけじゃん」

「家事なんて、ほとんど家電がしてくれるじゃん」

くらいにしか考えていなかった。

しかし、それが如何に甘い考えだったかということを、嫌というほど思い知らされることになる。


一日の流れ


主夫の朝は早い。

午前5時に洗濯機のスイッチを入れる。

洗濯機が回っている間に、朝ごはんの準備をしながら朝食をすませる。

6時に1回目の洗濯が完了。

2回目の洗濯開始。

6時半、妻と子供たちが起きてくる。

妻が身支度を整えている間に、子供たちにご飯をあげる。

7時、2回目の洗濯が完了。

妻と子供たちがご飯を食べている間に、トイレと風呂の掃除を終わらせる。

7時半、子供たちのご飯が終了。

妻が子供たちの着替えをしている間に、食べ終わった食器を洗う。

8時、妻の出勤を見送って、保育園の準備。

8時15分、子供たちを連れて保育園へ出発。

9時半、帰宅したら、各部屋の掃除。

11時、夕食の買い物。

11時半、帰宅したら昼食を済ませて、仕事開始。

16時半、妻が子供たちと一緒に帰宅。

妻が子供たちとお風呂に入っている間に、洗濯物を畳んで夕食の準備。

17時半、夕食が完成したところで風呂に入る。

18時、夕食開始。

19時、食べ終わった食器や調理器具の洗い物をする。

19時半、子供たちと遊ぶ。

20時半、妻が子供たちを寝室に連れて行って寝かしつけ開始。

21時、就寝。

これが僕の1日の流れだ。

しかし、何をするにしても予定通りにいかないのが育児なのだ。


コストカット


どのような事業をするのかにもよるが、起業するにはある程度の資金が必要だ。

僕が初めて起業したとき、オフィスを賃貸し、PC・デスク・複合機・書庫などの開業費が発生した。

起業のためにコツコツと貯めたお金は見る見るうちに無くなっていったが、完成した自分のオフィスに初めて入ったときの感動は、今でも忘れられない。

家族と会社はよく似ている。

子供が出来ると、チャイルドシート・ベビーカー・ベビーベッドなどを購入するための資金が必要となる。

お金は笑ってしまうくらい飛んでいくが、出産後に退院した妻を迎えに行って、我が子をチャイルドシートに乗せたときの感動はひとしおだ。

これからどうなるのかわからない自分のオフィスで、新品のデスクに腰かけたとき、不安とワクワクが入り混じっていた。

子供を初めて抱っこした時も同様だ。

僕に抱きかかえられてスヤスヤと眠る息子を見ながら、経験のない育児への不安と、父親になった喜びが僕の中で入り混じっていた。

経営者は、会社にとってそのコストが必要なのか無駄なのかを常に判断しなければならない。

そして、無駄だと判断した場合は早急にコストカットしないと、会社の存続に影響する。

我が家に想定外の双子が産まれたとき、妻からお酒の量を減らすように言われた。

僕の唯一の楽しみである飲酒がコストカットされたのだ。

家族と会社は本当によく似ている。


登園


僕には3歳の息子と1歳になる双子の娘がいる。

平日は子供たちを保育園に預けていて、登園は僕がしている。

午前8時に自宅を出て、徒歩で登園しているが、この登園が非常に体力を消耗する。

息子は歩けるので歩いてもらい、双子は双子用の抱っこヒモで、抱っこはお姉ちゃん、おんぶは妹と、前後に担ぐ。

双子の体重を合わせると約15㎏なのでしっかりと重い。

自宅から保育園までは大人の足なら10分くらいの道のりなのだが、息子はアリや蝶々のような昆虫を見つければずっと観察しているし、鳩を見つければ永遠に追いかけているので通園に30分以上はかかる。

しかも、たまに転んだりすると泣いて抱っこをねだるので、僕は前後に双子を担ぎながら長男を抱っこする羽目になる。

だから、夏なんかは汗だくになりながら保育園に向かっているのだ。

保育園に到着してもやることはたくさんある。

食事のときに使用するタオルを指定の場所にかけたり、着替えやオムツをロッカーに入れたり、息子は紙パンツから布パンツに履き替えなければならない。

しかも、これらの作業は双子を担いだまますることになる。

なぜかというと、子供たちの通っている保育園には、「上の子から預けなければならない」という謎ルールがあるからだ。

バタバタしながらも子供たちを保育園に預け終わって家に帰りついた頃には、もうぐったりだ。

それでも何とか気力を振り絞り家事をしていると、保育園から連絡がある。

「双子ちゃんに熱があるので迎えに来てください」と。

ほんの15分前に帰って来た僕は、「『迎えに来てください』なんて簡単に言ってくれるなよ」とぼやきながら保育園に向かう。

そして「兄妹の誰かが風邪をひいたときは、全員連れて帰ってください」という謎ルールに従って、炎天下の中30分以上かけて子供たちと一緒に家に帰るのだ。

全員が保育園を卒園するまで約4年。

子供の成長によって登園の形も変わってくるのだろうが、4年間しか出来ない子供たちと一緒に登園するという貴重な経験を楽しんでいきたい。


アクシデント


育児にはアクシデントが付き物だ。

ご飯の時には飲み物をこぼして、そこらじゅうをビチャビチャにするし、兄妹で仲良く遊んでいても、いつの間にかケンカになっている。

夜中に突然泣き出すこともあれば、公然で人目もはばからず大騒ぎすることもある。

その度に親は、なだめたりあやしたりしながら目の前で起きているアクシデントに対処する。

ただ親も人なので、いくら可愛い我が子といえども「この野郎!」と思う事はある。

しかし、怒りに任せて叱ってしまうとアクシデントはいつまで経っても解決しない。

アクシデントの対処法は、ビジネスにも同じことが言える。

クライアントからの理不尽なクレームや、スタッフの重要なミスに、経営者がいちいちイライラしていれば、会社の信頼は失うし、スタッフは安心して仕事をすることが出来ない。

だからこそ経営者は、内心はどうあれ、理不尽なクレームには毅然とした対応をとらなければならないし、失敗したスタッフには、「失敗を恐れるな。何かあれば俺が責任を取るから、恐れずにチャレンジしろ」と鼓舞しなければならない。

そして、経営者とスタッフが一丸となったとき、会社はどんな苦難でも乗り越えられるし、成長する。

僕は育児の真っ最中なので、この先どうなるかわからないが、家族に降りかかる幾多の困難も、僕たち家族が一丸となれば、きっと乗り越えることができるだろう。


若い親たち


僕が初めて子供を授かったのは40歳を超えてからだ。

40代にもなればちょっとやそっとの事では怒らなくなるし、思い通りにならなくても慌てることはない。

だから子供がどんなにいう事を聞かなくても、感情的になって怒ることはない。

しかし、僕が20代や30代前半の時に育児をしていたらどうだろうと考える時がある。

20代~30代前半の僕は、闇金で働いていた。

闇金には暴言や暴力がつきもので、僕の生活は荒んでいた。

そんな環境で子供がいたとしたら、子育てはしていないだろうし、子供が泣いたり騒いだりしたら、怒りに任せて暴力を振るっていたのかもしれない。

若い頃の僕は、子供を授かるに値しないろくでなしだった。

保育園の送り迎えをしていると、親御さんのほとんどが20代や30代前半だ。

若い親御さんたちは、子供のわがままに笑顔で付き合いながら、着替えを用意したり、靴を履かせたりしている。

そんな若者たちが一生懸命子育てをしている姿を見ていると、心の底から尊敬するし、若かりし頃の自分が恥ずかしくなる。

先日、子供たちを公園で遊ばせていると、息子と同じクラスの子と偶然会ったので、一緒に遊ばせていた。

その子は父親と来ていたので、父親と軽く世間話をしながら子供たちを見ていた。

後日保育園に行くと、その子のお母さんが「先日は息子と遊んでいただいてありがとうございました」とわざわざお礼に来てくれたのだ。

お母さんは20代後半だと思うが、その礼儀正しさに驚愕した。

若い頃の僕はもちろんの事、40代になった現在でも、礼節に欠くことは多々ある。

子供が恥をかかないためにも、しっかりとした大人にならないといけない。

感謝の気持ち


大人であれば男女を問わず家事をするのは、当たり前のことだと思っている。

当たり前の事ではあるが、やはり家族には感謝の気持ちを言葉で伝えてほしい。

我が家の掃除は、普段お掃除ロボットに任せている。

しかし、ロボットだと部屋の隅々までは掃除できない。

だから僕は、週1回自分で掃除機をかけて雑巾がけをしている。

床を雑巾がけするとき、バケツの水にウタマロを4プッシュして混ぜて使うと、床がピカピカになる。

このひと手間が部屋を清潔にしているのだが、妻からは労いの言葉をかけてもらったことがない。

雑巾がけが終わった後、「いつもよりきれいになったでしょ」と僕が言っても、妻は「そうかな」と返すだけだ。

寝具のシーツを月に1回ほどオキシクリーン浸けにしてから洗濯をしているのだが、「ありがとう」と言われたことはない。

オキシクリーンに浸けるのは月に1回で、シーツ自体は比較的コンスタントに洗ったり替えたりしているので、もしかしたら気づいてさえいないのかもしれない。

妻から感謝や労いの言葉はないが、普段していることをサボったら容赦なく注意される。

例えば仕事がバタついていてお風呂掃除をサボったままお湯を張ったら、湯船がザラザラしてたよ」と的確な指摘が飛んでくる。

家事のやり方やこだわりは人それぞれなので、妻からしてみれば僕の家事はまだまだなのかもしれない。

僕がやっている家事は、僕の自己満足だけなのかもしれない。

だけど家事をしているときは、家族の喜んでいる姿を想像しながらやっているので、「ありがとう」は言われたい。

失敗


どうすれば事業が成功するのか。

成功のきっかけには幾多の方法があり運もあるので、明確に答えることは出来ない。

ただ、「失敗する経営者」には、共通点がある。

失敗する経営者は、会社のために頑張ってくれている社員を当たり前のように思い、自分だけが贅沢三昧をしている。

こういう経営者からは、社員が離れ、売り上げが下がり、やがて倒産する。

僕自身がそうだった。

会社が軌道に乗り、従業員を増やしてお山の大将になった僕は、タワーマンションに住み、高級車を乗り回し、夜の街で豪遊していた。

その結果、どれだけ頑張っても、給料が上がらないことに嫌気の差した社員たちが次々と辞めていき、最初に立ち上げた会社はあっけなく倒産した。

家族にも同じことが言える。

家事や育児に追われている奥さんを当たり前のように思い、自分は仕事から帰って来ても何もせず、「疲れてるんだから休ませてくれ」と言い、休みの日には、「たまには良いだろう」と言って趣味に高じる。

そんな自分勝手な夫は、いずれ奥さんから見放されて家族を失う。

成功している経営者が口を揃えて言うのが、「社員を大切にする」だ。

「家事や育児は妻がするもの」ではない。

家事は自分の家のことだし、育児は自分の子供のことだ。

大好きで結婚した奥さんが、髪を振り乱して家事や育児に奔走しているのを、当たり前のように思っているのなら、一家の長たる夫としては失格だ。


発達障害


4歳になった息子は、一つの事に集中すると他の事が全く見えなくなる。

息子はパズルが大好きなので、パズルに集中すると同じ場所に何時間でも大人しく座っている。

だから、家事をしているときなどは非常に助かる。

しかし、息子の集中力は遊びだけではない。

例えば、僕が「保育園の給食は何だったの?美味しかった?」という質問を息子にする。

この質問には、「保育園の給食は何だったの?」と「美味しかった?」という2つの問いがある。

息子は「保育園の給食」について考え始める。

「う~んとねえ、パンとねえ、唐揚げとねえ、え~とねえ・・・」と、全てを思い出すまで考え出す。

そして全部を思い出したところで、「美味しかった?」と僕が聞く。

すると、息子は「昨日の給食はねえ・・・」と、続く。

僕は、「今日食べた給食は美味しかったかどうか」を聞いたつもりだが、息子は保育園の給食全てについて考え始める。

2年間通っている保育園の給食全てについて考え始めると、美味しかったかどうかの感想は、永遠に聞けない。

このように、息子は一つの事を考え始めると他の事は考えられなくなるから、息子との会話はほとんど成立しない。

こういった息子の言動を心配した妻は、息子を病院に連れて行った。

診察した医師の診断は、「発達障害」だった。

そして息子は、人並みのコミュニケーションがとれるようにと、週一回のカウンセリングに通うことになった。

コミュニケーションは生きていくうえで必要なことだ。

しかし僕には、「人並みのコミュニケーション」を得ることと引き換えに「人並み外れた集中力」という、息子の大切な個性を失ってしまうのではないかという心配がある。

「子供達には人並みに育ってほしい」と願う妻にとって、子供たちの個性を大切にしたいという僕の考えは無責任だろう。

それでも僕は、息子の集中力を大切にし、彼の個性を尊重しながら育てていきたいと強く思う。


育児と自分の時間


「子育てをしてたら自分の趣味に費やす時間なんて無くなるでしょ。俺は自分の時間を失ってまで子供が欲しいなんて思わないな」と、知人が言っていた。

確かに子育ては大変だ。

朝ご飯は中々食べてくれないし、食べ終わった後は、テーブルや床は食べこぼしでぐちゃぐちゃになる。

食べこぼしを片付けたら息つく間もなく食器洗いに取りかかる。

食器洗いが終わると、奇声をあげて走り回っている子供たちを捕まえてオムツ交換と着替えをすませる。

そして、歯磨きが終わったところで保育園へ出発。

朝からこの調子なんで、すがすがしい朝の空気を感じながら目覚めのコーヒーを飲むという、独身時代のルーティンは無くなった。

子供たちが保育園から帰ってくると、我が家は戦場となる。

砂まみれになっている子供たちを、妻がお風呂に入れている間に洗濯物を畳んでご飯の準備。

風呂から出てきた子供たちは大声で騒ぎながら、リビング中におもちゃをぶちまけて遊び始める。

子供たちの声でテレビは聞こえないし、妻との会話も困難だ。

僕は子供が出来るまで、ほとんど外食だった。

自分が食べたいものをたらふく食べて、大好きなお酒を飲みながら仕事仲間と語り合う時間が、何よりも楽しかった。。

僕は自分の時間を謳歌し、これこそが人生の幸せだと信じて疑わなかった。

だから、「自分の時間を失ってまで子供が欲しいなんて思わない」という気持ちもわかる。

高級なお寿司屋さんで、一流の職人が腕を振るった料理は、どれもが美味しい。

しかし、子供たちとワイワイ言いながら食べるフードコートのうどんは、もっと美味しい。

泣きじゃくる子供たちをあやしているときも、イヤイヤ期真っ盛りで一つも言う事を聞いてくれないときも、大変だなとは思うが、子育てを無視して趣味に興じようとは思わない。

子供を授かった僕にとっての自分の時間は、子育てであり、子供と一緒に過ごす時間以上に楽しいものはない。

まさか、子供たちに振り回される毎日がこんなにも幸せだったとは。

何事も経験してみないとわからないものだ。


育児と夫婦関係


夫が育児を始める最初のうちは、夫婦関係がギクシャクしてしまう。

妻が長男を産んだとき、僕は育児を頑張ろうと思ってミルクをあげたり、オムツ交換をしたりしていた。

僕としては積極的に育児をする良き夫のつもりでいたのだが、妻からしてみればそうではなかった。

産後の女性は子育てに対してかなり神経質になっている。

なので、妻のやり方通りにしていない育児は邪魔でしかない。

そのことに気づかないで、僕は自分の調べたやり方で育児をしていた。

当然妻は、「それは違う」「あれも違う」と言って僕を注意する。

ある日、僕は子供が眠っているなら10分くらいなら家を空けてもいいかなと思ってコンビニに行ったりしていたのだが、子供から目を離して外出した僕を、妻は烈火のごとく怒って1週間くらい口をきいてくれなかった。

しかし、僕は僕で正しいと思ってやっているものだから反発して、最終的には「そんなに俺のやり方が気に食わないんだったら自分でやってよ」という最低なセリフを吐いてしまったのだ。

プロポーズをしたとき、妻は泣いて喜んでくれた。

結婚式のとき、親族や友人は盛大に祝ってくれた。

子供が出来たとき、僕の母は感動して泣いていた。

それなのに育児が始まったら夫婦関係が悪くなるなんて、絶対に間違っている。

そこで僕と妻は今後どうやって生活していくかを話し合った。

その結果、育児は妻がメイン、家事は僕がメインでするという事になった。
僕が炊事・洗濯・掃除をすることで、妻は育児に集中できる。

家事といっても一日中しているわけではないので、空いた時間で育児にも参加できる。

もちろん育児に参加するときは、自己流ではなく妻流だ。

そうやって役割分担をはっきりさせて生活をしていくうちに、夫婦関係も良好となっていった。

夫婦関係がぎくしゃくしているときは、お互いのダメなところばかり言い合っていたが、良好になると育児や家事の話し合いが前向きになる。

今では息子と双子の娘に振り回されながら、増々目まぐるしい日々を過ごしている。

だが、妻との関係は良好だ。


帰省


双子の娘が初めて僕の実家である大分に帰省したのは双子が1歳の時だった。

それまでの帰省は、妻と僕と息子の3人の帰省と、双子が加わった帰省は次元がまるで違った。

子供が一人の時は、僕か妻のどちらかが子供を抱っこしても大人の手は余るので、大きなキャリーケースでの移動も可能だったが、子供が3人で、しかも2人は歩けないとなると大変なことになる。

手はなるべく自由になる方が良いと考えた僕たち夫婦は、少しでも大人の持ち物を減らすために、着替えなどの荷物は事前に実家へ送ることにした。

とはいえ、移動中に使うオムツやミルク、お昼に食べる離乳食、飛行機の中で息子が退屈しないためのおもちゃ等は必要なので、大きなリュックパンパンに詰めての移動となった。

まずパンパンに詰まったリュックが、かなり重い。

羽田空港内は双子用のベビーカーで移動できるが、ベビーカーを手荷物カウンターに預けてしまうと、その後の双子は抱っこ紐になる。

僕と妻で双子をそれぞれ抱っこをするのだが、僕は思いリュックを背負ってからの抱っこになるので、かなりきつい。

さらに大変だったのが、テンションの上がった3歳の息子が、空港内を縦横無尽に走り回っていたことだ。

背中に大きなリュックを背負って、胸には1歳の赤ちゃんを抱いて、走り回る3歳の息子を、混雑している空港内で追いかけるのは、体力をかなり削られる。

妻もヘロヘロになりながら必死に追いかけていた。

搭乗が始まってからも大変だった。

飛行機に乗り込んだらなるべくオムツ交換はしたくないし、離陸から着陸まで子供達には寝ていてほしい。

なので、飛行機に乗ったら子供たちが寝られるように、食事の時間やオムツの時間を計算しながら動いていた。

しかし子供たちは、大人のシュミレーション通りには動いてくれない。

食事は上手くいったが、双子の便が想定していた時間に出ず、搭乗の案内が始まってからオムツ交換のタイミングが来た。

グランドスタッフさんに事情を説明して、10分時間をもらった。

妻に息子とリュックを見てもらって、僕は双子を両手に担いでトイレにダッシュした。

そんな苦労が報われたのかどうかは分からないが、双子は着陸まで熟睡だったし、息子は上空の景色をずっとニコニコと楽しそうに眺めていた。

妻もそんな子供たちの様子が可愛かったようで、何枚も写真を撮っていた。


兄妹喧嘩


兄弟げんかが始まったとき、子供たち両者が納得する止め方を出来ないで困っている。

ケンカになれば、叩いた方や年上を叱るのが一般的かもしれないが、叩いた方は、それなりの理由があるだろうし、「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい」というのも違うような気がする。

先日こんなことがあった。

長男が遊んでいるおもちゃを妹がとろうとした。

カッとなったお兄ちゃんが、「やめて」と言って妹を押し倒した。

その様子を見ていた妻が、「どうして押し倒したりするの。ホノちゃん(妹)が痛がってるでしょ」と、長男に怒った。

押し倒された妹はもちろんの事、長男までも号泣してしまった。

この兄妹げんかによる妻のお裁きは間違ってはいないと思う。

遊んでいるおもちゃを取られそうになったとしても、押し倒してはダメだ。

これは大人でも同じだ。

しかし、怒られた長男は「相手がどんなに悪くても手をあげたらダメだな」と、反省するだろうか。

僕なら、「確かに押し倒したのは良くなかったけど、僕だけ怒られるのは理不尽だ。僕のおもちゃを取ろうとした妹も怒れよ」と思うだろう。

そして、怒られたことによって何とも言い難い孤独を感じるだろう。

僕にも妹がいて、子供の頃よく兄妹げんかをしていた。

ケンカの理由はどうあれ、親から怒られるのはいつも僕だった。

その度に、「お父さんとお母さんはいつも妹の味方ばかりしやがって」と思うばかりで、妹を殴ったことについて反省することはなかったし、家族に味方はいないと思う事さえあった。

だから、子供たちがケンカを始めたとき、僕はケンカを止めはせず、ケガをしないように監視している。

大人であれば両者の話を聞き、お互いの気持ちを理解させ、どちらも納得できるような解決策を提示することが出来るだろうが、子供は、そういうわけにはいかないので、せめてケガだけはしないように見守っている。

おそらく僕のやり方は間違っているのだろう。

だけど信じている。

いずれ我が子たちが、僕と妹のような仲良し兄妹になってくれることを。


最後に


僕には離婚歴がある。

離婚原因はいくつかあるが、一番の原因は家族をないがしろにしたことだ。

当時は仕事が忙しかった時期で、ほとんど家には帰っていなかった。

起業した会社が軌道に乗っていたということもあり、調子に乗って飲み歩いていたのだ。

前妻との間には子供がいなくて不妊治療をしていたのだが、僕は全く協力しなかった。

結果、僕は妻に捨てられた。

どうして不妊治療と向き合わなかったんだ。

どうして家に一人で待っている妻を放って飲み歩いていたんだ。

どれだけ仕事が順調でも、家族を大切にしないと幸せにはなれない。

そのことに気が付いたときには、既に遅かった。

しばらくして、こんなどうしようもない僕でも再婚をすることが出来た。

ところが再婚をしてすぐに、仕事のトラブルや知人に騙されたりして数千万円もの大金を失った。

妻が妊娠中だということもあり、僕は途方に暮れた。

誰のことも信じられなくなり、ふさぎ込んだりもしたが、家族が支えてくれたおかげで何とか立ち直ることが出来た。

その時から僕は、仕事に対する価値観が少し変わった。

お金のためなら、どんなに嫌な人であろうと我慢して働くのではなく、家族との時間を大切に出来る働き方をするのだと。

自営業者である僕は、仕事を選んでいると収入が減るのではないかと心配したこともある。

だが、そんなことはなかった。

結局、嫌な人に時間を割こうが、家族に時間を割こうが収入に影響することはなかった。

それなら大切な人に時間を割いた方が良い。

子供にも恵まれた僕は、仕事より家族との時間を大切にしている。

僕にとっては家族が一番で、他のことは二の次だという事を知ったから。

もし今、家族を犠牲にして血眼になって働いている人がいるなら、その仕事は誰のためにやっているのか、何のために働いているのか。

一度立ち止まって、ゆっくり考えてみても良いのかもしれない。

#創作大賞2024

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