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都の西北 早〇田の杜に



駅の清掃員としていちばん惨めだった現場

 童貞コンプレックスについていくつか記事を書いたところで、今度は学歴の話にもふれてみようかな。何が快感かって、知的能力で太刀打ちのできない相手に性的にも後れをとることほど屈辱的で気持ちいいものはないからね。

 20歳すぎで大学を中退してから駅の清掃員としていろいろな駅をまわってきて、職業差別にもけっこうあってきたけど、いちばん惨めな思いをしたのはまちがいなく自分が学生時代に2年連続で受験失敗した早〇田大学の最寄りである高〇馬場駅で勤務していたときだったと思う。

 何だったんだろうな、あの悔しさは。べつに高〇馬場駅でいやがらせをされたわけでもないんだけどね。それなのに、早〇田の学生が踏み荒らした床のモップがけやら、捨てたゴミの分別やらをしているうちに漠然と暗い気持ちになっていくんだよな。どんな職種でも勤務後にきまって得られるはずの解放感や達成感も皆無だった。募っていくのはただ敗北感ばかり。

罰としての清掃作業

 そもそも掃除という行為自体に懲罰的な意味合いが込められることが多くて……アメリカの奉仕活動なんかはその典型例だよね。学校で叱られて居残り掃除をさせられた経験のある人もいるかもしれない。ぼくの個人的な体験として印象に残っているのは、駅のコンコースの床にこびりついたガムを跪いて削ぎ落しているときに子連れの若いお母さんに指をさされたこと。「ほら」とお母さんは塾帰りっぽい息子に言った。「○○くんもお勉強しっかりがんばらないと、将来ああいうお仕事しかできなくなっちゃうんだよ」

 あのお母さんにとっては、清掃業なんていうのは若いころに努力をしなかった罰としか思えなかったんだろうな。でも、そういう人はぜんぜん珍しくない。最近ではだいぶマシになったものの、ぼくがこの仕事をはじめたときは露骨な差別もずいぶんあった。それに、かくいうぼく自身も、他人の放尿音や放屁音をBGMにトイレ掃除なんかしていると、やっぱりこれってなんか罰ゲームっぽいよなと思わざるを得なかったわけで。

 その上に、自分がどれだけ努力しても受からなかった大学の最寄り駅という舞台まで整ってしまうと、いよいよ晒しものの感が強まってくるんだよね。屈んで作業をしているすぐ横を自信満々に胸を張った早大生が通りすぎていったりすると、目線の高さがそのまま身分の高低として表れているみたいでほとほと情けない気持ちになってくる。しかも、さらに悲惨なのは、その身分差は将来的に縮まるどころか広がる一方ということなんだな。それもそのはず、低学歴の下層労働者が低賃金の単純作業に疲弊させられているのと同じころに、学歴競争の勝者であるエリート大学の学生たちは勉学に励んでただでさえ高い知性にさらなる磨きをかけていくわけだから。

ブラック現場

 当時の高〇馬場駅の現場が人員不足と上からの要求過多のせいで地獄と化していたのも罰っぽさに拍車をかけていたと思う。

 ざっと説明すると、当時の勤務シフトは1勤務24時間拘束(朝9時~翌朝9時)が基本だった。ちょっと特殊な勤務体制だけど、これ自体はべつにおかしなところはない。消防とか警察でわりとよくあるシフト。24時間のうち休憩と仮眠が合計8時間あって、実働は差し引き16時間。要は、1回の勤務で2日分まとめて働いてしまうわけだ。翌朝9時で退勤すると、その日は丸々休みになる。

 で、そこまではまあいいのだけれど、忙しすぎて休憩も仮眠もろくにとれないのが問題だった。なんたって、8時間あるうちの半分の4時間も休めればまだマシなほうだったわけだからね。ひどいときは昼休憩から終電間際までノンストップで働き通しということもあったし、ようやく仮眠できたと思ったのも束の間上司からたたき起こされて洗面台につまった嘔吐物の処理を命じられることも……いや、社畜自慢はこれくらいにしておこう。

 当時のおおまかな作業スケジュールはざっとこんな感じ。作業スケジュールというよりは、労働地獄のディテールと言ったほうが正しいかも。暇でひまでしょうがない人は見てください(笑)

奴隷労働でくたくたになると・・・

 極度に疲労すると理由もなく唐突に勃起するということを知ったのはこのころ。いわゆる疲れマラってやつ。終電後の誰もいなくなったトイレでペーパーの補充をしているときとかに突然勃起するから意味がわからない。しかもこれ、止めようがない。射精すればおさまるんだろうけど、勤務中だしね。

 疲れマラの原因については諸説あるものの、まだ完全には究明されていないみたいだ。個人的にいちばん好きなのは「生命の危険を感じるレベルで体が消耗すると生殖本能がかきたてられて勃起しやすくなる」という説。もっとも、これはいまでは科学的にほとんど否定されている。にも関わらずぼくがこの説を推すのは、実体験と照らし合わせてすごくしっくりくるから。なんというか、当時の勃起にはそれくらい切羽つまった感じがあったんだよな。危機に瀕した体が必死にSOSを発しているというか、遺伝子の移転先を切実に求めているというか……AV観てオナニーするときのちゃちな勃起とはまるでわけがちがっていた。

人生の明と暗

 しかし、格差社会というのはとことん容赦ないのだよな。負け組が種としての生存本能から懸命に異性を求めてもやさしく手を差し伸べてくれる人なんかひとりもいない一方で、コンパ帰りの早〇田の学生は他大学の女の子をいともかんたんにお持ち帰りしていくわけだから。人類はみな平等だといくらきれいごとを並べてみても、女の子たちが惹かれるのはあくまで優秀な(頭がいい、顔がいい、運動神経がいい、稼ぎがいい、etc…)男にかぎられる。

 飲み会帰りらしき男女のグループが駅前の広場でイチャイチャしはじめて、いつの間にかカップル成立して手をつないで終電に乗りこんでいく光景を当時何度見せつけられたことか。そして、その様子を目の当たりにするたびに、自分の手に握られているのが女の子のやわらかい手ではなくてかたいモップの柄なのをどれだけ恨めしく思ったことか。低学歴・低収入の社会の負け組は性の負け組にもならざるを得ない、というのが当時学んだきつい教訓。

 彼らが駅前に捨てたビールの空き缶なんかを片づけるのが自分の役目にほかならないという事実も屈辱感を余計に煽り立ててきたな。かわいい女の子をとっかえひっかえする有名大学のイケメンの後片づけをするのが受験戦争で負けた知的にも性的魅力にもはるかに劣る低賃金の非正規雇用労働者って、ここはいったいどういう地獄?モンゴル帝国では横に寝かせた戦争捕虜の体の上に板を敷いて、その板の上で宴会を開いたという話を何かで読んだことがあるけれど、当時のぼくが高〇馬場の駅前広場ではしゃぐ早大生を横目に清掃作業をしていたときの気分はちょうどそんな感じ。

 男に媚びるようにお尻を左右に振って歩く女の子のあとにはくっきりとしたヒールマークが残りやすいというのも当時の底辺労働を通じて学んだことのひとつかな。これは、彼女のすぐ隣を並んで歩く彼氏には知り得ないことだ。もっとも、こんなのはなんの自慢にもならない。惨めな敗北者は、学びの内容も惨めになる。

 酔った勢いで手をつないで終電に乗りこんでいったカップルがその後何をするかくらい童貞にだってわかる。だからこそつらくなる。ぼくは破滅願望こそあれ自殺願望ってほとんどないんだけど、自分が終電後の駅で汚い便器を磨いているのとまったく同じ時間に早〇田の学生がかわいい女の子を肉便器にしていると思うとさすがに消えてしまいたくなったよ。

 格差社会といっても、生まれたときから決定的な差がついているのはレアケースで、たいてい最初はほんの小さな差なんだよな。例えば、受験での数点の差とかね。けど、そのわずかな差が、年を重ねるにつれてすこしずつ開いていきかねないから恐ろしい。本人たちはけっして気づかないくらいすこしずつ。病気の進行にも似ているね。最初のうちはぜんぜん自覚症状もないのに、ある日突然体調の異変を感じる。慌てて病院に駆けこむも、ときすでに遅し。病は体中に広がって、もはやどうしようもない状態になっている。もっと早く手を打っていれば……。

 ぼくにとって、一流校の学生との格差が致命的に開いたことに気づいたきっかけが高〇馬場駅での負け組労働だったということ。働けばはたらくほど、敗北の自覚が身に染みてきた。排泄物や生ごみのにおいが体に染みついてとれなくなるのと同じように。18歳のときはほんの数点差しか離れていなかった早〇田は、もはや身分ちがいな存在に。人生の明暗はすでにはっきりわかれていた。

 では、人生の明と暗とは?

 それは例えば、汚す側と汚される側。もしくは、下敷きにする側とされる側。

 もしそれが表現としては抽象的すぎるなら、こう言い換えてもいいかな。それは例えば、年収1千万円と2百万円だったり、一流大卒と高卒だったり、正社員と非正規雇用だったり、タワーマンションと風呂なしアパートだったり、百人斬りと童貞だったり……例をあげはじめればきりがない。あとはそうそう、女の子の手とモップの柄だったりね。

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