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サラリーマン目線で時代を振り返る

サラリーマンという目線で時代を振り返ってみます。
大きく3つの変化がありました。

●1つ目は、
「第一の人生」から
「第二の人生」への転換。

平成が始まった1989年はバブル経済のピーク。
当時は会社の存在が大きく、会社コミュニティが
社員とその家族全員の人生を支える基盤となって
「丸ごと死ぬまで面倒見ますよ」といった感じで、
国家に代わる役割を果たす勢い。
それを支えていたのは、社員一人ひとりの会社への忠誠心でした。

しかし、バブルは間もなくはじけ、
会社コミュニティも幻想に終わり、
終身雇用の前提も崩れ始めました。

P・F・ドラッカーは、
「歴史上初めて、人間の方が組織より長命に
なった。そこで全く新しい問題が生まれた。
第二の人生をどうするかである。」と指摘。

第二の人生は、志を生きる。
その方法は様々。

これまでの仕事を続けながら
副業や市民活動で自分のミッションを生きるのもよし。
社会起業家や政治家に転身するのもよし。

平成の初期にドラッカーの言っていた「第二の人生」と、
いま言われている「人生100年時代」がピタッと重なる。

働き方はどんどん多様化し、
転職も、副業も、起業も、早期退職も、UIJターンも。
サラリーマンの誰もが、どこかで
「第一の人生」から「第二の人生」へ志を生きるギアチェンジをする時代となりました。


●2つ目は、
「組織のミッション」から
「個人のミッション」への転換。

一般に日本社会では、一個人、一市民の立場で
“ものを言う”ことはあまりありません。
組織の論理が幅をきかせるサラリーマンの世界では特に顕著。
なぜか、主語が自分でなく、企業であったり、国であったり、
自分を主語とせずに、評論家になってしまう。
そして、気づかぬうちに、かけがえのない
「個人のミッション」を埋もれさせ「組織のミッション」で上塗りされていきます。

しかし、何か 新しい創造が生まれた時は、
その人の志が鮮明に発信され、
その人の人生を賭けて身を投じた生き方に感動して、
それが求心力となって人を巻き込んでいったときです。

私たちは組織人である前に、一人の人間です。
いま、主語を、「私」に変える人たちが増えてきました。
それこそが、「組織のミッション」から「個人のミッション」を生きることです。


●3つ目は、
「市民セクター」の台頭。

これまで日本社会は巨大な二つのエンジンが牽引役。
一つは「行政セクター」。もう一つは「ビジネスセクター」。
かつては、ものすごく機能したこの2つのセクターも、
右肩上がりの時代は終わり、人口減少、少子化、
高齢化、格差拡大など、時代の変化についていけず、
制度疲労を患っている。何かに困っていたら行政が
すべての相談に乗ってくれるという時代は終焉。
また、企業の経済力が人々の生活や心をさらに
豊かにしてくれるという企業神話も崩壊。

AIやIoTなどデジタル革命で、
「行政セクター」も「ビジネスセクター」も
システムは進化しているはずなのに、格差・分断・
孤立の現実を生み出し、幸福度という観点からは
豊かさをもたらせてはいません。

こうした中、生活者としての論理を取り戻すために
台頭してきたのが、「市民セクター」です。

「市民セクター」のプレイヤーは、
社会起業家やNPO、私たち市民一人ひとり。
地域の様々な問題を解決し、豊かなコミュニティを
つくり上げることで志を生きる人たち。

「市民セクター」では、自己実現ができ、
社会にも貢献し、楽しく事業も起こし、お金も回していく。
行政の役割を「市民セクター」がどんどん担っていけば、
税金の無駄をなくし、サービスのクオリティを上げることもできます。
「行政セクター」「ビジネスセクター」に「市民セクター」が加わった。

このような3つの潮流を生み出した平成から令和にかけての時代。
マジョリティであるサラリーマンの意識が
大きく変わった時代とも言えます。

令和の時代に入って数年経たが、これから、ますます、
一人ひとりが、市民の論理で、志を生きる人になることが
新時代創造の鍵となるはずだ。


■志を生きる人になる一新塾


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