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DC継続教育(教育という言葉には違和感が大いにあります)「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えるべきだ」

私が社会に出たのは昭和58年(1983年)でした

「投資」「資産運用」「資産形成」といったセミナーの記憶はないですね

当時と今日を比較するとこんな形ですね

(1983年4月1日)日経平均:8,469円
1985年:ハンバーガー:230円・チーズバーガー:280円
     牛丼並:370円
(2021年3月19日)日経平均:29,792円
2021年:ハンバーガー:110円・チーズバーガー:140円 
     牛丼並:352円

日経平均は大きく上がっていますが・・
マックや吉野家は(もっと安くなった時もありましたが)今はほぼ同じ・・

金利はどうでしょうか?

そうなんですね・・「貯金していれば良かった」時代だったんですよね
「財形」「社内預金」華やかりし頃でしょうか?

継続教育の担当者として

さて・・自身がその立場になって考えた事ですね

先ず最初に・・「教育」という言葉が嫌いでした

教育とは何ぞや?検索したら・・以下ヒット

デジタル大辞泉の解説

[名](スル)
1 ある人間を望ましい姿に変化させるために、身心両面にわたって、意図的、計画的に働きかけること。知識の啓発、技能の教授、人間性の涵養(かんよう)などを図り、その人のもつ能力を伸ばそうと試みること。「教育を受ける」「新入社員を教育する」「英才教育」
2 学校教育によって身につけた成果。「教育のある人」

自分自身が学生時代も含めて「劣等生」というレッテルと共に生きて来たから?

どうにも「教育」という言葉は好きになれなかったのです

「教育」言葉通りに分解しますと「教え」「育む」ですね

そうなんです・・どこか「上から目線」に感じるのです


特に内製化での対応となった場合、そのような思いは一層強くなるでしょう

でも、大切な事を見落としてはいけません

「上から目線」ではなく、同じ目線で行うというだけの事です

「教育」という言葉から距離を置く事で、

セミナーのレベル・内容の不十分さの「逃道にしてはならない」という事です


「もっと勉強しなさい」と教えを頂いた瞬間から

『一目置かして差し上げよう』と誓いました


内製化する事のメリットは以下の通りです

1)質問し易い環境を作る

2)最後まで面倒を見る

オレオレ詐欺に引っかかり易いタイプは以下のような方だそうです

『自分では金融リテラシーが高いと思っている
              金融リテラシーの低い人(高齢者)」


とても分かり易い構図です

そして「金融」とか「運用」「投資」といったセミナーに必ず出てくる言葉

それは『経済』です

本当は奥深い投資・資産運用の世界ですが・・

『経済』という言葉から連想されるのは「教養」「一般常識」になってしまう


そんな状況の中で「教育」なんて・・今更です

もうここから梯子の掛け違いが始まっているのです

「金融業界の人間」という枕詞は、何を意味するのか?

その枕詞があるだけで「信用」と共に「警戒」が生まれる

その事にお互いは気づいているのか?

「金融業界で働かれる人」には何の罪もないのです

「少しでもお役に立ちたい」そのお気持ちだけだと・・

「年金」も同じです

この言葉を聞いただけで拒否反応が・・


それでもなのです

内製化の思いは「自社の仲間」に伝えたいのです
困っている仲間がいたら「助けになりたい」のです
セミナーこそがスタートなのです

それでも、こんな声はいつの時代でも出てきます

「大きな運用益を得ている社員の配分を教えて欲しい」

「どの商品を買えば良いのか?教えて欲しい」

従業員が自分ごととして捉えられるような「仕掛けが必要」

これは「無関心層の掘り起こし」というキーワードで語られます

セミナーにおける「効果測定」もよく聞く言葉です

申し訳ございません


支離滅裂な記事となってしまいました

昨日・今日と・・こんな議論をしたばかりでして(汗)


ただ・・「教える」という言葉は嫌いですが・・こういう事だと思ってます

魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えるべきだ

(また・・続きます)

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