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大杉榮氏を憶ふ (上)

▲大杉榮氏の「クロポトキン研究」

は、僕のいちばん愛讀する書物で

ある。僕はそれを幾度讀みかへし

たことであらう!恰度大杉榮氏が僕

ほど若かつた時代に、當時評判の

高かつた丘淺次郎博士の「進化論

講話」を漸くのことで手に入れて

讀み耽られた時の感激以上の喜び

を以てそれを貪り讀んだのである

▲大杉氏は「進化論講話」のことを

「一行每に、まるで未知の、すばら

しい驚異の世界が、目まぐるしい

程に眼の前に展けてゆく・・・・・・」と

書いてゐられるが、僕も亦、「クロ

ポトキン研究」を讀んでゆくうち

に、自分の脳髄の片隅にぽつちり

と芽生江かけてゐた無政府主義的

な感情が、ぐん/″\と伸び育つの

を感じたのである。

▲その「クロポトキン研究」の扉に

僕は次ぎのやうなことを書きつけ

てゐる。

 ―僕は、世界中で、大杉榮氏程
 好きな人は知らない。眞の力あ
 る、そして僕等のやうな無智凡
 庸な靑年をでも、友達扱ひにし
 て呉れさうに、親しみを覺える
 人はないと思つてゐる。僕等の
 力を正當に、眞實に、引張り出
 し、伸してくれる先輩は氏を除
 いて外にないと信じてゐる。僕
 は氏を迷信に近いまで尊敬する
 男である。

  或る夜、無精に氏に手紙を書

 きたくなつた。僕は自分の感情

 の奔るまゝに書きなぐつた。そ

 れは斯うである。

「僕は貧乏書生つぽです。だしぬ
 けにこんなことをお願してはい
 けないかも知れませんが、若し
 お氣が向いたら敎へて頂けるも
 のと考へたので此を書きます。
 僕はあなたのお書きになつた、
 ミシエル、パクウニン氏に關す
 るものを讀んで、大變心を惹か
 れたのです。
 パクウニン氏には「神と國家」と
 いふ名著があるときいてゐます
 僕は今、それが讀みたくて堪り
 ません。然し、僕は、ロシア語
 も、フランス語も、英語も讀め
 ません。一体、それを日本語に
 移したものはあるのでせうか。
 本屋には見當りません。出版さ
 れてゐても、又、あなたの、「あき
 らめられぬとあきらめるんだ」
 の例に洩れないで、内務省あた
 りのバカヤロウ共の机の曳出に
 でも埋れてゐるんではあります
 まいか。その點一切、僕には不
 明です。ご存知ならば、どうぞ
 お敎へ下さい。若し譯されてゐ
 ないとすれば、あなたが僕等の
 ために、お譯しになつて出版し
 て下さると、僕等の喜びは大し
 たものです」

 僕はこれを原稿紙に書いて、一

 九二二年十月十七日の朝、逗子

 へ宛てゝ出した。僕はとても返

 事は貰へまいと思つてゐた。が

 併し、僕のこの憶病すぎる豫想

 は、氏のその主張どほりの、自

 由な、尊厳ぶらない、親しみ易

 い態度に依つて、全く裏切られ

 てしまつた。十月二十日の晩、

 僕は、次ぎに掲ぐるやうに、氏

 の情味のこもつた返書に接した

 のである。

 封筒にも、原稿紙にも、氏の書

 名のないのは、若い僕の現實的

 生活の安全を考へての、氏のデ

 リケートな注意に據ることは明

 かである。僕は、いよ/\氏が

 好きで堪らなくなつた。僕は近

 いうちに氏を訪ねるつもりだ。

 手紙を貰つたゞけで胸が踊るの

 だ。會つて、いろんな話――日

 本の國に住むために不合理な壓

 迫を我慢しなければならない、

 言論と思想の發表の不自由さを

 超越しての、氏の全面を知るこ

 との出來る話をきく時の僕の喜

 びは、想像以上に違ひない。―

    ◇

▲そして僕の手紙に對しての氏の

返事とは斯うである。氏の文字は

妙に震ひを帶びた、神輕質らしい

筆蹟である。

 ――神と國家の翻譯はありませ
ん。
又、僕も今それを翻譯して見や
うと云ふ氣もありません。パク
ウニンを知るには、いゝものだ
けれど、國家論としてはクロポ
トキンの『國家論』の方がずつと
いゝからです。そして神に就い
ては、今日の僕等には殆んども
う何んにも云ふ必要がないから
です。
尤も今、遠藤無水といふ男が、
『神と國家』の翻譯を、あちこち
の出版屋へ持ち歩るいてゐるさ
うですが、よしそれが出ても、
僕はあの男のものはちつとも信
用しません。猶、パクウニンに
就いては、僕は今單行本を書く
準備中なのですが、多分來年正
月號の『改造』には、『マルクスと
パクウニン』と云ふ題で、其の
一部分の發表が出來やうかと思
つてゐます。
御ひまの時に御遊びに御いでな
さい。僕は今、駒込片町十五の
勞働運動社にゐます。吉祥寺前
停留塲から少し先きの、駒込警
察の筋向ひです。――

▲以上はその全文である。そして

大正十二年正月號の『改造』には

『マルクスとパクウニン』と云ふ、

氏が最近に社會主義の思想と行動

とから全く離れて、確りと、アナ

ーキストの立塲になりきつての一

文が發表されたのである。

▲僕はこの手紙をもらつてから間

もなく、大杉氏を訪ねて行つた。

恰も、僕の父が死ぬ間際であつた

ので、僕の心は、いら/\した不

安で責められどほしだつたけれど

も、大杉氏を訪ねるといふ、或る

新らしい興味は、僕の血を、わく

わくさせたのである。そして、その

日の僕の行動は、去年の十一月、

『無政府主義の幼虫』といふ題で、

本誌上に發表した僕の文章に詳し

く書いた。それは、不幸にして、安

寧秩序を棄すものとして、發賣禁

止を食つてしまつたものだけに、

僕にとつては殊さら感銘が深いの

である。

▲その年の十一月末、僕は父の納

骨のために半月ほど郷里へ歸省し

た。そして再び上京すると、W警

察署の高等係のI氏から召喚を受

けたのである。I氏は僕が大杉氏

を訪ねたことについて、僕に訊問

した。僕は僕の考へるまゝを、は

つきり答へた。I氏は温健な調子

で、「今の社會組織の中に生きてゐ

る以上、あなたのやうに、むきにな

るのは、損だから」と、僕に云つ

た。僕は、たちどころに、「損得で、

人類生活の最高理想を研究するの

ではありません」と答へた。I氏

は笑つて、「あなたはお父さんも亡

くなられたし、將來、あなたの數

多い係累を背負つて行かねばなら

ない人だから、さう純粹な、正義

觀をもつて、既存社會に楯つくの

は、あなたはいゝとしても、小さい

弟妹や、第一あなたのお母さんを

悲しませることになるだけですか

ら、そこをよくお考へになつて、

なるべく、大杉氏のやうな人のと

ころへ出入りしない方がいゝでせ

う」と、父に死別して間もない僕を

センテイメンタルにするやうなこ

とを話しかけたのである。

▲そして、若し、もう一度、大杉

氏と文通でもしたことが分れば、

或は、あなたに尾行をつけるやう

なことになるかも知れないから、

といふおどかし文句をつけること

をI氏は忘れなかつた。僕は何ん

だか、へんに情なくなつてしまつ

て、日本人に生れた以上何もかも

諦めるより仕方があるまいと思つ

たので、はい、はいと云つて置いた

▲その時にI氏は、「あなたの崇拝

する人は誰れですか」ときいた。僕

は「大杉榮氏です」と答へた。I氏

は眉をひそめて、「大杉氏を崇拝者

と書くと又やかましいことになる

から、誰れか外の人にして下さい」

と云つた。「それでは、小說家を三

人ばかり書いておいて下さい。谷

崎潤一郎氏、佐藤春夫氏、國木田

獨歩氏」僕は好意を持つてゐるそ

の作家の名を告げた。I氏は暫ら

く變な顔をしてゐたが、「あなたの

頭は、随分へんですね」と云つた。


(越後タイムス 大正十二年十月廿一日 
      第六百二十一號 八面より)


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ソフィアセンター 柏崎市立図書館 所蔵


※↑サムネイル画像は「Seiji Ueoka」さんによる木版作品。
【民衆版画】大杉栄



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