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佐藤春夫 先生の 写真/野瀬市郎

佐藤春夫先生の寫眞  野瀨市郎

    *

  さまよひ來れば秋ぐさの
  一つ殘りて咲きにけり
  面影見江てなつかしく
  手折ればくるし花散りぬ。

 ――今夜も亦、私は愛誦措く能は
ざる此の詩をひとり口ずさみながら
暗い田甫路をボト/\と歩いた。-
先生のあの應接室の賑かな有樣を思
ひ浮べながら。

・・・詩はだん/\クラシックなもの
が好きになるね。しかし、忙しいので
近ごろ作るものはだん/\出鱈目に
なるが・・・

 と、さつき先生はさう云つて笑つ
て居られた。その聲のいろを思ひ出
した私は、また、

  ・・・一つ殘りて咲きにけり
 と歌ふのである。――詩や歌はも
とより、小說でも、人の胸を搏つや
うなものでなければ・・・・と思つてゐ
る私は、謂ふところの新詩壇の諸氏
の作にはいたく不滿なので、從つて
先生の詩の如く、殉情なるを喜こぶ
のである。殉情主義(そんな主義を
別に私は錦の御旗として押立てた覺
江はないが)撲滅なぞと云ふ人は、
本當の人間を見たことのない血氣の
若者の言葉であらう。――私は、更
に私の床の間に掛けてある先生の詩
を口誦さむのである。

  しづこゝろなく散る花に
  なげきぞながきわがたもと
  なさけをつくす君をなみ
  つむやうれひのつく/\し。

    *

 此處に載せられた先生の寫眞は、
私が昨年十一月廿七日に、あの明る
い二階の八畳で撮つたものである。
 自惚れて云ふならば、私は、少な
くも寫眞撮影には相當の自信を持つ
ことが出來る。いや觀賞については
尚更だ。――と、平常いつもかうした高言
を拂つてゐる手前、大切だいじな塲合に萬
一撮りそこねては大へん――と、つ
ひ、菊池の云ひぐさではないが、か
たくなつてしまつたものと見江て、
それよりさき、十八日に撮つたのは
見事、これまでに前例のないほどの
失敗だつた。――尤も當日は、しぐ
れ室から、冷たい雨が紛々と降りし
きつてゐる侘しい日ではあつた。し
かし、
「――あの時のやつは、すつかり失
敗しました。今度、もう一度撮らせ
て下さい」
 と、先生に云ふのはちょつと氣ま
りが惡いところであつた。――が、先
生は氣輕に受けて、
「――僕も小さい寫眞機を人にすゝ
められた買つたのがあるんだが・・・
君、二階からちょつと持つて來てく
れたまへ」
さう先生は書生さんに云はれた。書
生さんがやがて持つて來たのを見る
と、日頃、私の欲しいと思つてゐた
イカ會社のアトムカメラであつた。
云ふまでもなく、CテッサーのF四・
五鏡玉がついてゐるもので、小型カ
メラのいうである。

    *

――つまり、この寫眞はそのアトム・
カメラで撮つたものだ。――今度は
カメラがどうも良くないので。と云
ふとこは出來ない。何しろ最優良の
機械である。
 お天氣のいゝ日であつた。
前のときには、時事新報の記者など
が居合せたので、多少私もどきまき
したものと見江るが。今度は書生さ
んばかりだつた。露出もすでに見當
がついてゐた。
「――先生、一つ横顔を撮らせて下
さい。大概の日本人は、横顔は駄目
なもんですが、先生は特に横顔が立
派です」
「さう、――私は正面より横顔の方
がいゝんですよ」
先生はさう云つて、障子の方を向か
れた。

    *

 私は、この先生の横顔の寫眞は聊
か得意である。――特別に額にする
ために、二枚引伸しをやつたうちの
一枚は菊池へやつた。
 中村さんのところへ送つたのは、
まだ位置の決定してゐない、――謂
はゞ未定稿の如きものだつたが、然
るべく斷裁されたことゝ思つてゐる
僅かに障子を見せたゞけで、額から
鼻筋へかけてあてたハイライト、頬
から着物へかけての半調部のグラデ
ーション。光線の自由でない日本室
での撮影としては、まづ佳良の方か
と自惚れてゐる。――しかし、引伸し
に、エキストラ・ラフを使つたので、
版にしては或はどうかとも思ふので
ある。やはりガラスをつけて、四五
尺離れて見て貰はなければ、味が出
ないかも知れない。
 一番の難は、後ろの黑い直線で、
これは床の間の柱なのであるが、や
むを得ないことゝ見逃して頂きたい
と思ふ。

    *

 書きたいことは幾らでもある――
が、いまはそんな時でない氣がする
し、おまけに歯が痛いし、この文章
も無理に書いたので、甚だ面白くな
い。――少數の私の讀者諸君。幸に
これを諒せよ。(一月十二日夜)


(越後タイムス 大正十五年一月丗一日 第七百三十八號 四面より)


#佐藤春夫 #野瀬市郎 #写真 #アトムカメラ #イカ
#越後タイムス #大正時代



↓野瀬市郎氏がアトムカメラで撮って「菊池へやった」と思われる写真。
 (一錢亭のアルバムから見つかったもの。)


↓文中の「横顔」の写真だと思われる。








        ソフィアセンター 柏崎市立図書館 所蔵





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