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靑葉の頃に (下)

◇遠くでゝはあるが、金持の家の

多いこの邊のことだから、ピアノ

の音がた江ず流れてくる――若し

も悲劇を演じてゐるときに、ぴょ

ん/\はねあがるやうなマーチの

曲やワルツなどがきこ江てきたと

したらどうだらう・・・私は舞臺に

いちばん近く座つてこんな空想に

耽つてゐると、舞臺の中から金槌

がとび出してきて私の膝をうつた

◇私は苦笑を浮べながら、若い快

活な舞臺裝置家に、それを幕の下

から座つたまゝ手渡したのである

バックがどさりと倒れたり、カー

テンを捲き上げると、大きな音と

いつしょにそれが落ちて來たり、

それを登塲人物が持ち上げて支へ

金へうまくかけて、もう一度幕を

開け直したり、こんなところでな

ければみることの出來ない、朴突

な滑稽さをもつて出來事が起るの

である。

◇やがて秋田雨雀氏の「手投彈」が

はじまつた。舞臺は觀客席と殆ん

ど同じ位の大きさであるが、その

中で電氣照明をしたり、裝置をし

たりするのはずゐぶん苦しいこと

だらうと私は同情しずにはゐられ

なかつたほど狭いのである。それ

は「手投彈」の塲合にはさほどでも

なかつたが「火遊び」の塲合には痛

切に感じられた。

◇さて「手投彈」の第一塲は自分の

子供から離れて全く自己のみに生

きやうとする父と、子供を自分の

半分以上に愛する一人の父とがめ

い/\の人生觀を語るところから

はじまる。子供にたよらねば一日

も生きてゆけないといふあの貧し

い父は、ある冬の晩、隣人の家を

訪ねて、エゴイストであるその家

の主人に、自分の愛する息子が廿

六歳のときに、怖ろしい機械のた

めに惨殺されたことを、心臓から

火を吹き出すやうな銳い言葉で呪

ふ。社會組織と機械主義の不合理

と残酷とを罵る。

◇しかし、主人はあなたのそんな

氣持は自分にはよく解らないから

といつてとり合はない、彼は淋し

くなつて、自分をうけ入れてくれ

たり、理解してくれる人は誰一人

ないことを悲しみ、且つ反抗を感

じながら戶外へ出てゆくのである

◇あと二塲は表現派的に描れてゐ

る。エゴイストを父に持つ靑年は

倫理學を研究する學生であつたが

倫理學がブルジョワ社會の辯護を

一歩も出てないことに大きな撞着

を感じ、あらゆる名譽、權力、幸

福をなげうち、或はぶちこはさん

と叫び、遂に愛人にも絕望して精

神錯亂の果て、殺人をして了ふ。

この殺人の動機と原因とを作者は

精神病學者の言葉によつて現代人

の病的な生活の缺陥の指摘と文明

惡への批評とを語らしめてゐる。

◇最後の塲面で學生と女學生とに

男權と女權との爭闘を語らしめて

ゐるのはずゐぶんエフェクチブだ

つた。恐ろしい殺人事件のあつた

近所のブルジョワの家では、樂し

い晩餐後のまどひをしてゐるのか

ショパンのピアノ曲がひきつゞけ

られてゐるのである。私はこの露

骨な作者の反抗思想の表現が戯曲

の中ににじみでてゐることをまづ

第一に喜ぶ。それから出演者の眞

面目な努力に感謝したい。

◇ことに主人になつた河原氏、隣

人になつた佐藤氏が第一塲に於て

秋田氏の狙つたものを相當に出す

のに成功してゐた。しかし、ところ

どころ、會話のための會話がある

のと、秋田氏が、あまりアイロニ

カルな誇張を表はさうとしたため

に、第三塲のあるところで、ふざ

け氣味に感じられる點があつたの

はあまり氣持よくなかつた。

◇第二のストリンドヘルヒの「火

遊び」は中村明子氏のクリスティ

ーネと佐々木孝丸氏のアクセルと

が、性格を頷かせるほど巧みに演

じてゐたので全体としては「手投

彈」よりはいゝ出來だと思ふ。現

代人のいら/\した結婚生活の一

日の出來ごととしては、頭が痛く

なるほど刺激の强いものである。

けれどこの劇はあんな小さな舞臺

でやるのには不適當だと思ふ。椅

子やデーブルやソファや、キャン

バスやが、物置のやうに竝べてあ

るので、人の出入りごとにつまづ

くのは、出演者に氣の毒だつた。

◇こんどの試演は、みた人々によ

つて、いろんなちがつた感をうけ

たことだらう。大劇塲の舞臺に中

毒してゐる私は、未だどこかしら

その夜演じられたもににぴつたり

しないものを持つてゐる。しかし、

私は思切つて腐つたものを捨てな

ければならない――自分の生命の

革命のために、なにごとも今は第

一歩ではないか。私があふれるば

かりの希望を失はないかぎり、私

はたとへ幻影だけでも理想主義者

でありたいのだから・・・・・。

        (一九二三、四)


(越後タイムス 大正十二年五月六日 第五百九十六號 五面より)



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ソフィアセンター 柏崎市立図書館 所蔵

※当初、上記写真、佐々木孝丸氏の役名の部分が印刷不鮮明でわかりませんでした。「恋の火遊び/令嬢ジュリー」―ヨーハン・A・ストリンドベリ戯曲という本が近所の図書館にあったので、見たのですが、クリスティーネという役が見つからず(令嬢ジュリーにはクリスティーネという役があった。)判明しませんでした。ネット検索していたところ、おおすみ書屋さんのページにたどり着きました。

ここには、本文中の一錢亭が観劇した先駆座の公演について書かれています。島崎藤村や、有島武郎が来場していたそうです。
おおすみ書屋さんのHPにはお問合せページがあったので、佐々木孝丸さんの役についてどうやって調べればいいか質問をしてみました。翌日、おおすみ書屋の岡村敬二さんよりメールをいただきました。岡村さんは満洲を中心とした出版活動や図書館活動を研究されているとのことです。「青葉の頃に」の記事は土蔵劇場先駆座の大正12年4月21日22日の公演のものだということを教えていただきました。臼井吉見の「安曇野」第3巻に


ストリンドヘルヒ作楠山正雄訳「火遊び」の配役が出ていて、
息子  川添利基、細君 中村明子(相馬千香子のようです)、友人 佐々木孝丸  などとあります。
そのあとに臼井は、「主人公クヌートになった川添利基は・・・」「細君クリスチーネに扮した中村明子は・・・」「友人役の佐々木孝丸を相手に・・・」と書いています。
これをみるとこの芝居は楠山正雄の譯本で演じられ、臼井もこれを見ているのではないかと思われます。
その原典は、国会図書館の目録を見ると
『近代劇選集 第3巻 楠山正雄 訳. 新潮社, 大正10  幽霊(イプセン) ユリエ嬢・債鬼・火あそび(ストリンドベルク) アナトール(シユニッツレル)
もしくは、
『ストリンドベルク戯曲全集1-5』新潮社, 大正12-15  新潮社,
ただ後者のこれは刊行年が上演據1、2年遅いようでどうなのでしょうか。1巻が欠本になっているようですが、この2巻の「火いたづら」が「火遊び(火あそび)」かもしれません。漢字と平仮名がなかなか面倒ですね。題名がすこしずつ異なっているのも。著者の読みも。
「2巻  民-パリア・熱風-サムウム・より強いもの・きづな・火いたづら・死の前に・最初の警告・借と貸・母の愛(楠山正雄訳)」
いずれもわたしは見ていないので、何とも言えません。
いずれにしても、臼井吉見も祖父の菊池氏も「クリスティーネ」と書いているので、やはり『近代劇選集 第3巻』 楠山正雄 訳. 新潮社, 大正10年 火あそび(ストリンドベルク)が出典なのではないかと思います。
岡村さんからのメールより


加えて、英語版の「火遊び」も教えていただき、友人役が「Axel」だと教えていただきました。岡村さんからほぼ回答を教えていただき、翌日、国会図書館に確認しにいきました。
『近代劇選集 第3巻』は残念ながら、「不明本」ということで閲覧することはできませんでした。
『ストリンドベルク戯曲全集1-5』はデジタル化されていて

PCからも閲覧することができました。コマ番号269番から「火いたづら」という台本に、友達二十六歳という役が出てきて、読み進めていくとその人は
「アクセル」だということがわかります。写真の不明瞭箇所も「アクセル」という前提で見てみると当てはまる感じです。なので、不明瞭箇所は「アクセル」でほぼほぼ間違いないのではないかという結論に至りました。
岡村敬二さん、ありがとうございました。m(_ _)m (一錢亭文庫運営者記)


※「靑葉の頃に」に書かれている土蔵劇場先駆座のこの日の公演に関しては
 臼井吉見「安曇野」第三部 その二一 に詳しく書かれています。



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