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日記にみる「越後タイムス」

※日記より抜粋


昭和四年十二月三十日

十二月半ば頃、越後タイムス社の中村葉月氏から、新年
号の原稿を頼まれたので、久振りに原稿紙に向って、
兎に角十枚足らずの雜文を誌し、「除夜と名づけて
送った。久しく原稿を書きつけなかったので、ペンがつかへ
て、昔のやうに、捗ばかしく迫まなかった。それから、会社
「一九三〇年に対する希望、計畫、」といふ質問にも
ハガキ一枚分丈け答へて置いた。近来、どうやら又、もの
を書きたくなったり、讀書力なども相当出て来たから、
来年はひとつ、大いに勉強してみるつもりである。


昭和五年一月一日

越後タイムスに自分の「除夜」「一九三〇年に対する希望
、計畫」
が出てゐる。ひさしぶりにスクラップブックへ貼り
つけさせた。


昭和五年一月十七日

十七日―今日は会社で何もすることがないから、机の上へ破古をひ
ろげて「田舎の冬」といふ一銭散文を書いた。頭が散漫でど
うもすらすらとはかけないが、原稿紙にして六枚程になるだらう。


昭和五年一月二十六日

越後タイムス社へ「田舎の冬」十枚を送った。今後自分
が同紙へ発表する雜文には 一銭雜文 と附し、小説
的な文章には 一銭小説 と記することに決めた。

野瀬市郎君から、歌集「落葉木」と「神人國」
とを送って来た。「落葉木」の中には愛誦すべき歌
が多い。

「讀後」といふ一銭雜文を書いた。これは最近自分が
讀んだ本のことを書いたものであるが。割合に気持よ
く書けた。原稿紙にして、廿枚位にはなる。
「讀書と文章を草すること」―又昔のやうにこの二つ
が面白くなって来た。この趣味はいいことであると思ふ。


昭和五年二月二日

自分の「田舎の冬」といふ一銭雜文と中村葉月氏
に宛てた私信がタイムスへ出た。今日は珍らしく雪が
降ってゐる。

近来自分の讀書力の旺盛には驚ろく許りであ
る。先日書いて置いた「讀後」といふ一銭雜文を
更らに書きかへて、「讀書餘錄」といふ題のもとに
まとめ原稿紙廿四枚に書いてタイムス社へ送った。
終日硝子戸越に降る雪を眺めて本を讀んで
暮らした。
趣味の向上といふことに心懸けてゆきたいと思ふ。
文章もよくてもわるくても大いに書く方がいい。漸次文
章が煉れて来て、すらすらと筆が運ぶやうになる。


昭和五年二月廿五日

一銭小説「途上」八枚を書きタイムスへ送る。

タイムスの中村氏宅が隣火の爲めに類
焼したことをタイムスで知り、早速見舞狀を書いた。中村氏
夫妻とも病中であるさうだが気の毒の至りである。


昭和五年三月八日

午後から、「一錢小説」十六枚を書いて、越後タイムス
へ送った。その日来たタイムスに、自分の「途上」併に、中村葉
月氏へ送った私信
が掲載せられた。


昭和五年三月十五日

三月九日の越後タイムスに、自分の「一銭小説」が出た。
今日来た同紙には「椿」が出た。これで当分一銭小説の
種切れになった。そこで会社の餘暇を利用した、この間から
書物の批評や秀英舎工場見学記などを書いてゐる
が、どうも思はしく書けない。


昭和五年三月廿七日

「永日閑論」八枚を「越後タイムス」へ送った。主として、経済人
の文筆に就いて書いたものである。


昭和五年四月三日

三月丗日の越後タイムスに自分の「永日閑論」が出た。


昭和五年四月廿一日

十三日の越後タイムスに自分の「実用書二册」が出る。


昭和五年五月三日

廿八日の越後タイムスに自分の「日指摘錄」が出た。


昭和五年十二月十四日

越後タイムスから、新年号の原稿をたのまれたが、何も書く
ことはないから、「漫想漫記」と題して「素人野球漫談」
十枚を書いて送った。

#越後タイムス #昭和四年 #昭和五年 #日記 #昭和初期


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