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對 話 三 人 (中)

B『C君、僕は此頃大分A君のガ

 サツな、一本調子な議論に弱ら

 されてゐる。今君の前で僕はA

 君とこの思想の上の爭など仕度

 くない。が先刻もB君自らが云

 つて呉れた樣に究極の理想は合

 致するんだ。僕もこの儘の社會

 では我慢出來ないのだ。要は只

 それへの進路の問題だけなんだ

 僕は小さい時に兩親に死別れた

 し、性格そのものも感傷的なと

 ころがある。殊に最近友人の急

 死に逢つたり、又は自分自身の

 人生を考へてみたりした僕の体

 驗は、遂に一時も神にすがらね

 ば神に祈らねば淋しくて堪らな

 い男になつたのだ。僕は漸次深

 く信仰の世界へ入つていつた。

 無論、僕自身や現實生活苦の泥

 海の底に蠢めいてゐる多くの人

 々の悲惨な事實を目前に見る度

 に、愛としての神の存在を幾度

 疑つたことだらう。然しその度

 に益々神は僕に寄添つて呉れる

 のを感じた。この事は言葉で說

 明出來ない僕の神秘な、最高の

 体驗なのだ。それと同時に僕は

 有閑、有産强權階級本位な現在

 の敎會組織や制度にはあきたら

 ない。根本的な不合理や誤謬を

 認める。然し僕は、僕等の現實

 生活のたゞ中で祈るよりは、矢

 張り、敎會のやうな特殊な神聖

 な雰圍氣に充ちた塲所でする祈

 りの方が遥かに眞實な、喜ばし

 い靈感に浸り得ることを体驗で

 知つてゐる。現代の敎會を改造

 するのは僕等時代意識に目覺め

 た基督者クリスチャンの役目なんだ。僕は社

 會改造、世界改造が先づそこか

 ら出發しなければならぬことを

 信ずる。さうすることそれ自身

 僕等の生活の根底に潜む不斷な

 無限な神の意思だと信ずる。あ

 る瞬間僕は實際神をみたのだ。

 眞劍な生命掛けな祈りは必ず人間

 の靈魂を救ふと信じ得たのだ。

 其處で僕はこの間違つた社會の

 現出を神が人間に與へた自由性

 を人間が亂用し惡用したのだと

 いふ說を信じた。亂用した人間

 が現代の支配階級なんだ。僕は

 甞てイバネツといふ人の書いた

 「默示錄の四騎手」を活動寫眞で

 みた時にさへ、神の審判の怖ろ

 しさにふるへた。そして僕は世

 界革命は先づこの人間の精神的

 方面の最も重要な自由性を神の

 心に従へるのが、根本問題だと

 信じた。僕はそれを祈りの絕對

 境に於てなさうとしたんだ。』

A『君のその「祈り」に依る宗敎情

 操の涵養によつて爲さうとする

 革命は、僕等とて大賛成だ。大

 いに望むところなんだ。そんな

 ことで成功するんなら、一番手

 取早くて簡單で濟む話だ。とこ

 ろでB君、君のその手段は、僕

 等の奉ずる、現實的な、自主自

 治的な、自由發意や自由合意の

 精神による革命的理想よりは、

 遥かに夢過ぎはしまいか。B君

 若し君の智識革命的要求を熱烈

 に說いても相手がきかなかつた

 なら何うするのだ。諦らめて默

 つてゐれるのか。曲りくねつた

 强權快感中毒、貨幣主義中毒の

 豚共が「祈り」を說ききかせられ

 た位で、容易く解決をつけて呉

 れる程の眞人間の血が流れてゐ

 るんなら、パクウニンだつて、

 クロポトキンだつて、大杉榮だ

 つて、又はパリ、コンミユンの

 靑年だつて、甞てのあらゆる革

 命者だつて、又は現代の全世界

 の民衆だつて、餘計な苦勞はし

 ないで濟んだんだ。血を流さな

 くとも濟んだんだ。何がさうさ

 せたのか。君はこの點を熟考す

 べきではないか。それに君は、

 現代の軍國主義、資本主義の城

 塞にアルコール漬けになつてゐ

 る權力の泥人形共の野生動物的

 な、吸血動物的な生存を、神の

 與へた自由性の亂用だと云つた

 ネ.自由性とは何か。君の謂ふ

 自由性は飽くまでも人間である

 君の判斷か直覺かによる論理な

 んだ。正確な神の言葉だとはど

 うしても僕等には認識出來ない

 君といふ人間の考へた批評的論

 理に他ならないと僕は思ふ。そ

 んなら、泥人形共が君等に向つ

 て斯う楯ついて來たら何うする

 「俺達に刃向ふ革命者の生存も

 彼等の自由性の亂用なんだ。」と

 だ。最早、そこに神はいらなく

 なる。自由性と自由性との戰だ

 けだ。それが今の社會の現狀な

 んだ。その時に猶君は祈りによ

 つて、この淺間敷い闘爭を未然

 に妨ぐなどゝいふ呑氣さでゐれ

 るのか。我慢の出來る迄温順く

 云つてそれできかねば最後の道

 に出る他ないのは決つてゐるで

 はないか。それは最早必然だ。

 已むに已まれぬ生命力の爆發だ

 そして僕等同じ眞理と信念とに

 向つて勇敢に突進する民衆の結

 合は確りと、相互信頼と相互扶

 助の精神との基礎から出發する

 んだ。決して衝動的暴力ではな

 いのだ。B君その時にても猶君

 等宗敎家は、それを野蠻なる暴

 動、卑むべき闘爭として非難出

 來るのか。傍觀出來るのか。』

B『解つた。その最後の道は僕も

 同じだ。たゞ君と違ふ處は、そ

 の最後の道すらも、神の深遠な

 意志だと信じることだ。そして

 A君、此處で一つ自分達の現實

 生活を考へてみやうではないか

 僕等三人は今、同じ樣に一工業

 會社の勞働者だ。そして僕等は

 僕等の敵である貨幣主義者に生

 活費と取換へに肉体を賣つてゐ

 るんだ。併し精神だけはどうか

 してそれから逃れやうと反抗し

 てゐる。そして誰一人だつて自

 分の眞實の内生命の要求を滿足

 せしめるやうな生活を樂める者

 はゐない、みんな不愉快な、も

 の憂い一日一日をたゞ生活のた

 めの生活に消費してゐる。そし

 て一方に徒らに革命を絕叫する

 のみで、何も實行してゐない、

 これは大きな矛盾ではないか。』

(越後タイムス 大正十一年十一月廿六日 第五百七十三號 三面より)


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