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佐藤春夫氏を好きな人に

 紀伊の國に住む私の知人A氏は

佐藤春夫氏の弟さんの夏樹氏とは

幼少からの親しき間柄である。A

氏は私に佐藤春夫氏の自筆の短冊

をおくつて下さつたし或は折りに

ふれ、佐藤氏の消息を私に書きお

くつては、あの高雅な詩人に心醉

する私のよろこびを深めて下さる

ことを忘れない、ありがたいひと

である。つぎに掲げるものはやは

りA氏が私のために送つてくださ

つた紀伊の國の或る新聞から、私

が書きとつた一篇である。その新

聞はA氏や佐藤氏のふるさとの新

聞なのだし、また佐藤氏と親しい

Aがわざわざ私に讀めと言つてく

ださつたものだから、あなたがた

は私とともに十分の信頼をもつて

讀んでいたゞきたいものである。

  碑銘的作品に
   心血を注ぐ佐藤春夫氏
    約七百枚の長篇
新宮町熊野地徐福墓畔に滞留中
の小説家佐藤春夫氏は雑誌「改
造」六月號より連載すべき長篇
小説(約七百枚)「この三つのも
の」を執筆中で目下三十枚を書
上げた。改造社では同稿を得る
爲に社員水上氏を今より十五日
前新宮に特派して、佐藤氏に交
渉せしめたが、最初氏は断つた
ところ、水上氏の熱心に動かさ
れて遂に筆を把ることとなつた
もので、爾來氏は水上氏の宿泊
先なる元鍛治町宇治長旅舘に出
掛け、一日約三枚の豫定で一切
の面會を謝絶し水上氏が傍につ
ききつて稿をいそいでゐる。
 同作品は氏が従來發表して文
名を爲したる、かの「田園の憂
鬱」「都會の憂鬱」その數多き大
小の創作の上に冠たらしむべく
稿を起したもので、その内容は
最近數ヶ年間に氏の身邊に起つ
た戀愛問題を骨子としたもので
氏はこの作を爲さんが爲に全生
活的沈思を続けて苦しい息を吐
きつゝ今日に至つたもので、氏
につつては碑銘的作品であると
いつていゝ。氏はこの作に今や
全生命を傾注して苦しい筆を舐
めつゝあるが。近狀として本紙
に左の小詩を寄せられた。

  消 息
  五月四日堀口大學に與ふ。
 哀れむべしわれ老いぬ。
 雨はれし五月の朝に
 新しき戀を思はず
 古りにし友をしのぶまで


(越後タイムス 大正十四年六月七日 
      第七百五號 三面より)


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      ソフィアセンター 柏崎市立図書館 所蔵




※サムネイル画像は野瀬市郎氏が撮影した佐藤春夫氏ポートレイト。


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