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わが饒舌釣魚日錄

      本社 菊 池 與 志 夫

 僕の日記帳のなかから、釣魚に關

する部分を抜萃して、王友倶樂部釣

友會の、本年下半期の行動報告に代

へる。

 六月二十八日夜。

 久し振りに、東寳グリルで、釣魚

座談會を開く。小林會長を始め、新、田代、權

藤、中村巌、依田、廣瀨美治、坂本、太田、高

橋勝太郎、村上、高木、坂田、鈴木嘉三郎、楳

田、高野、遠藤、松本昌喜、永井潤二、の諸氏

に僕を加へ、二十名の出席を得て、賑かな會合

である。何れを見ても、正に一竿當千の武者揃

ひなので、フォークを使ひ乍らも、あちこちで

自慢話や失敗談の花が咲く。デザートコースに

入つて、僕のしどろもどろの挨拶に續いて、帝

都釣魚界に名聲高き、小林會長が、拍手を浴び

て立ち上られる。適當に諧謔を交へて、氏一流

の巧みな話術は不相變、聽者を恍惚たらしむ

る。

 「長竿を振り廻すことに於ては、田代氏の敵

ならず…」と云つて、相模川の一岸に立つて、

四間半の超長竿を振りかざすと、糸端忽ち對岸

に届く、田代氏自慢の長竿武者振を披露すれ

ば、田代氏はやをら立ち上つて、宛然、五條橋

の辯慶のなぎなたよろしく、東寳グリルの天井

を睨み、双手を擧げて、長竿振り方の講釋を始

め、終つて氏獨特の大陸的哄笑――以て會長の

說を裏書する。田代氏は、單に長竿使ひに於

て、辯慶を忍ばせる丈けでなく、風貌そのもの

が辯慶そつくりである。即ち、額の禿げ工合、

口髯の形、目の銳さ、或は又、海底に眠る魚族

を覺す程の大聲――何から何まで、辯慶に生き

寫しである。

 會長又曰く。「机上の釣魚に於ては、菊池君

に及ばず…」と云つて、釣魚の文を草するのみ

で、釣魚大會などに不參がちな僕をたしなめら

れる。僕は會長の叱正を聽き乍ら、家に、老

母、弟妹、幼兒を抱へ、休日といへども、東奔

西走、好きな釣魚にも行けず、家事につくさね

ばならぬ自分の身の上を、胸中秘かに哀れと思

つた。

 次ぎに、前號「王友」に村上藤太氏の書いた

「へら鮒釣の記」の一節――小林會長は例の如

く端然として外套の襟を立て、まづ浮木下を試

みるに餌無くして一尾を釣る。即ち之を池に放

つ――に就いて、抗議的釋明がある。然しこれ

は結局、筆者村上氏の文筆を賞讃されたわけで

あるから、村上氏も以て會長寛恕の徳に感銘す

べきである。

 僕は、生憎當日参加しなかつたが、村上氏の

名文を一讀、小林會長の面目躍如せるを感じた

ものであるから、敢て會長の釋明は無用である

と思ふ。

 會長の話が終つてから、指名に從つて高木十

郎氏が、にやりにやりと笑ひ乍ら立つ。「僕と

一緒に釣りにゆくと必ずあぶれるといふ定評が

あるが云々」と、あぶれ男の汚名に對し、熱烈

なる辯明がある。この愛嬌たつぷりな、ニコポ

ン男も、今夏淀川工場へ行つて了つてのは淋し

い。

 それから太田雄氏の函館在勤當時の思ひ出話

がある。函館港内の鯖釣りの話などは、二十年

前、僕が未だ中等學生の頃、毎朝未明に起き

て、登校前の數時間を、東濱町の大艀の上で、

盛んに釣つた覺えがあるだけ、ひとしほなつか

しく聽いた。

 斯くて約三時間に渉り、釣魚漫談に歌をつく

して散會した。

 今夜の會合で、海釣りの大家高橋勝太郎氏

を、滿場一致で新に幹事に推薦した。これで河

釣りの大家永井潤二氏に配して、海河自由自在

に活躍できることになつて、わが釣友會の面目

完備したわけである。

 戶外へ出ると、有樂街のネオンサインが、梅

雨季節の水蒸氣の

多い夜空に映つて、枝いつぱいに繁つてプラタ

ナスの並木路を歩くのに汗ばむ程、蒸し暑い晩

だつた。

 九月一日。

 武蔵嵐山の探勝を兼ねて、槻川の渓流に浴衣

がけのハヤ釣りを計畫したが、豪雨のため中止

した。

九月二十三日晝。

 苫小牧山林部の石井亮二、豊平金助兩氏の御

上京を機會に、有志十二名が集まり、陶々亭で

午餐會を催した。

 中市沼の大鯉、大鮒釣りの話等、社臺川のヤ

マベ釣り、或は極寒氷上のワカサギ釣りの話

等、北海道ローカルカラア濃厚な、珍らしい話

ばかりであつた。殊に石井氏の車竿の研究談は

興味深いものであつた。

 十月二十一日夜。

 苫小牧山林部へ御轉勤の中村巌氏の送別會

を、電氣倶樂部で開く。有志十二人の小會合で

あつたが、珍らしく、八代の海藤雅夫氏の出席

を得て、球磨川の鮎釣談をきく。中村氏は解禁

日前の相模川で、鮎を釣り、十圓の罰金を取ら

れた逸話の持主で、悠々迫らざる、至極もの靜

かな釣人である。既に北海道の釣場を探究され

て、思ふ存分、快適な釣魚を樂しんで居られる

ことゝ思ふ。

 十一月十日。

 釣魚雜誌「水の趣味」社主催の船橋に於け

る、鯊、鱚試釣會へ出場勸誘を受けたので、わ

が會の腕利選手、小林會長、田代、坂田、楳

田、高野、永井の六氏が参加した。當日は午前

中潮工合が惡るく、午後の上潮を待つたが、生

憎、船橋名物の突風起り、波浪舟を呑む惡天候

となつたので、危険信號のほら貝の鳴り響くと

共に、我先きにと逃げ歸つたさうで、収穫に見

るべきものがなかつたのは、選手の腕が鈍いの

ではなく、正味の釣時間が短かゝつたゝめであ

らうか。

 當日の成績は、小林會長(鯊八尾)、楳田氏

(七尾)、高野氏(六尾)、田代氏(五尾)、

坂田氏(三尾)、永井氏(二尾)、であつて、

小林氏は二十七等、楳田氏三十六等、高野氏四

十等の順位で、「水の趣味」社から賞品をもら

つた。他流試合に於て、これ丈けの入賞者を出

したのは、わが會のため、意を强ふするに足る

ところであり、お目出度い極みである。僅か一

尾の差で、十等の開きが、小林、楳田兩氏の間

にあるところからみても、この日の接戰ぶりが

想像されるではないか。

 十二月一日。

 初夏の頃から計畫して、延びのびになつてゐ

た、秋季釣魚大會を催す。午前六時半品川驛集

合、朝日新聞釣便りや、「水の趣味」でお馴染

みの船宿山田松太郎の船二艘に分乗する。今日

は競技會であるから、船も座席も、總て籖引で

定める。A船は、坂田、楳田、僕、田代、村上

氏等、B 船は、高橋、岡義重、財津、高野、永

井氏等の順である。岡、財津に二氏は、近頃入

會された惑星で、岡氏は茅ヶ崎海岸で、ぶつ込

み釣りや磯釣りでは既に一家をなしてゐるとい

ふ定評がある。財津氏は九州の清流で、蚊針釣

を立派に卒業されたといふ折紙がついてゐる。

年輩から云つても老練大家の面影がある。生憎

今日は、小林會長が風邪のため、涙をのんで參

加されないのが殘念ではあるが、出場者十人は

何れも海千河千の釣猛者揃ひだから、果して誰

が一等賞品の籠びくの金的を射止めるか、興味

は正にこの一點に集まる。

 朝、家を出る頃は、東の空が朝焼けで美しか

つたが、間もなく、陽は雲深くかくれて、うす

ら寒い師走朔日の曇り日である。陸ではさ程で

もなかつたが、海上に出ると、東風が强く、手

が凍る寒さである。もーたあ船で約二時間走つ

て、浦安沖の葛西といふ釣場に着き、船頭の合

圖で一齊に糸を下す。指さきが凍つて、餌づけ

も魚はづしも不自由である。然し、寒さに震へ

てゐたのでは、賞品獲得が覺束ないから、各自

唇を噛み締め乍ら、時どき火桶に手をあぶつて

は竿を持ちかへる。

 軈て寒風も収まつて、海面はべた凪となる。

この頃になつて漸く身體の諸感覺が常態に復し

たので、四圍を見廻すと、驚ろく、おどろく、

一寸見たゞけでも、約二百艘以上の釣船が、潮

に向つてのたりのたりと練つてゐる。正に源平

屋島の舟戰を偲ばせる壯觀さである。一船平均

七人の釣人が各自五尾の鯊を釣上げるものとせ

ば、七千尾の魚族が絕える勘定である。これで

は東京灣の鯊が減る譯である。

 おまけに今日は潮工合がよくないのと、東風

で海底が冷えてゐるために、魚に食慾がなく、

あの喰辛棒の鯊も全で喰はない。まことに退屈

である。平家の例にならつて、誰か扇の的を立

てるものはないか。

 午後三時半過、冬の曇り日は早くも暮れ迫

る。海面低く、いちめんの靄がかゝると見る間

に、パラパラと時雨さへ加はつたので、愴惶と

歸航に就く。暗の海上を、雨と靄を衝いて、ひ

た走る小發動機船のなかに、五人が一つの火桶

を抱くさまは心細かつたが、やがて海苔しびも

過ぎ、お臺場の黑い影が見え、品川海岸のネオ

ンサインがはつきりと眼に映るやうになると、

雨もやみ、靄もうすれて、靜かな夜の海上を走

るのが樂しかつた。

 六時過ぎ船宿へ着き、獲物の披露をし、賞品

授與も終つて、ビ―ルの乾杯をして散會した。

 一等永井氏(三十尾)、二等村上氏(十四尾

)、三等楳田氏(十四尾)、四等僕(十三

尾)、五等坂田氏(十二尾)、六等高野氏(十

二尾)、七等岡氏(十一尾)、八等田代氏(九

尾)、九等高橋氏(七尾)十等財津氏(五尾)

 成績は以上の通りであるが、賞品は一等から

六等迄と、九等にブビ―賞を出した。

 一等の永井氏の獲物は、斷然一頭地を抜いて

ゐるが、これは仕掛けに工夫を凝らしたからで

ある。即ち鉤素に赤い毛糸をつけ、或は赤ビー

ズを刺して、良く云へば魚にサービスをよくし

たゝめである。又これを惡く云へば、魚を欺瞞

したせいである。久米仙人が天から堕ちたやう

に、鯊は永井氏の赤毛糸に現を抜かして、あた

ら一命を落したのである。

 小物海釣専問家の高橋氏が、ブビ―賞を得た

のは意外であつたが、これは氏の腕が惡いため

ではなく、最初からそれを覗つて、手加減を加

へて釣つたといふ話であるから、同氏の名譽の

ために特に明記して置く。それにひきかへ、田

代氏は、船釣の哀しさ得意の長竿も使へず、そ

れでも始めの意氣込は一等賞を目指してゐた

が、實績不振の結果、途中からブビ―賞に變節

したゝめ、僅かに二尾多く釣つたばかりに、遂

に二兎を逸して了つた。ダークホ―スの岡氏、

財津氏が賞に外れたのは、お氣の毒であるが、

その眞技はもう一度、次の機會を待つて、検討

する方が適當であらう。

村上氏はかはうそのやうに、うそ寒く脊を丸め

て、黙々と釣り、さうして常に相當の數を上げ

る、極く地味な釣り方であるが、大會每に必ず

一二等に入賞する不思議な存在である。

 十二月三日晝。

 前々日の大會出場者に、小林會長を加へて十

一人會合して、陶々亭で座談會を開く。

 席上小林會長憮然として、「若し僕が風邪を

ひいてゐなかつたら、當然一等は僕のものだつ

たがね。」と云はれる。會長の大言壯語、永井

君以て如何となすと云ひたいところである。會

長は頃日、豆州網代沖で、二尺四寸のぶりを八

本釣り上げて、大物釣の快適さに溜飲を下げた

ばかりで鼻息が荒い。

 釣友會座談會は釣魚の話で充滿する。常に時

を忘れて盡きない。

 ――藤の花の咲く頃の川釣りはいゝなあ。

美くしい水の流れをみつめ乍ら、ハヤの瀨釣り

は殊にいゝ。川岸の岩の蔭には山つつじが咲い

てゐる。耳を澄ますと、河鹿がないてゐる。眼

にしみる程の靑葉若葉の爽かさ。釣りそのもの

も樂しいが、その頃の環境の麗はしさは、何も

のにたとへやうもない。――

 小林さんの話は、その儘繪である。俳句にな

る。

 陶々亭の窓外は、慌だしい師走の往來であ

る。ーーだのに釣人の空想は、早くも五月の野

川に糸をたれてゐる。(了)


(「王友」第十一號 
     昭和十年十二月三十日發行より)


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           紙の博物館 図書室 所蔵

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