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おコメでお支払い

富士河口湖農園の代表である平田さんからは、「竹内君は、背の高い幼稚園児」と言われています。

なんかいっちょ前にいろいろやっているからできそうにみえるけど、その実、農業ド素人の一年生だから、実は何も分かってない「幼稚園児」ということだそうです。この表現、私にとっては「お褒めの言葉」だと思ってます(笑)。

とにかく一年目、右も左も分かりません

とりあえず、農地がなくて困る、種や苗がなくて農業できないといったようなことがないように、シーズンが始まる前、自分の限界を考えず、MAXで土台を準備しました。同じ悩むのなら、「作業がたくさんあって大変だ」、「野菜が獲れすぎてどうしよう」という悩みをしていきたいと考えていました。

そして目論見通り、今まさに私が抱えている悩みは、「作業がたくさんあって大変だ」、「野菜が獲れすぎてどうしよう」というものになりました。

大変・・・だけど、うん!これでいいのですっ!

無計画すぎる???いやいや、そうじゃないんです。未知の世界で新しい道を切り拓いていくときには、これこそが最良なんです。

ものすごく遠大で緻密な計画は、ある意味、カオス(混沌)のなかで進められていきます。それは非常に複雑怪奇なので、だからこそ「彼ら」は、持ち前の情報量と計算能力で、その時々の最適な答えを導き出していくわけです
対する私たちが、そのなかでの「最高の一手」を繰り出すとしたら、それは「彼ら」と同じように緻密な計算によって導き出されるものではないと思います。
言ってしまえば、ある種の「閃き(ひらめき)」が、それらの計算や計画を凌駕することができるのではないかと考えます。
で、問題はここから・・・どうすべや?

「その時の「最高の一手」を打つ」より引用

その時、その時の「最高の一手」などというものは、その先のシナリオを見越して繰り出されるとは限りません。むしろ、そうしたシナリオ(計算や計画)の外側で、「閃き」のようなものから生まれて、状況が変わるごとに、さらにその次の「最高の一手」が導き出されるという連続によってのみ、成り立っていくものであると思うのです。

今シーズンが始まる前、「自分の限界を考えず、MAXで土台を準備する」というのが、その時点での「最高の一手」であったことは、今も疑いようがありません。

ココから先は、さらにこの状況に応じて、「最高の一手」を考えていくだけです。

「今、何ができ始めている?」、「作業はどれが忙しそう?」、「絶対に外しちゃいけない作業はどれ?」、「機械は何が揃った?」、「対応できるスペースはどこ?どれくらいの広さ?」、「そのスペースで何ができる?」、「集められる人はどれくらいいる?」、「いつくらいなら人を集められそう?」、「集まれる人は、どんな人たち?」

これだけたくさんのことを考慮しなければなりません。当たり前ですが、こんなことをシーズンが始まる前に予測し、それに基づいて計画を立てるなんてことは到底無理です。
※「彼ら」なら、いくつものシナリオを作って、シミュレーションを行って、パターン別にそれらに対応していくことも可能でしょう。けれども、私には絶対できません。

だからこそ、そんなことを見越さず、シーズン前に「作業がたくさんあって大変だ」、「野菜が獲れすぎてどうしよう」という悩みがくることを織り込み済みで、行動を起こしてきたのです。

そして今、さらに次の「最高の一手」を考える段階に入ったようです。私が、駒を打つ番です。頭の中では「20秒・・・1、2、3・・・」みたいに秒読みをされている気分です。

そんななか、次に考えなければいけないことは、人集めだと感じています。

とにかく、もう人手が足りなくなってきました。到底、私一人で片付くものではありません。少しずつ、いろいろな人の手をお借りしながら、問題を片付けていく必要があります。

報酬???報酬は、野菜あるいはおコメです。

私が育てているものです。肥料や農薬に対する考え方や取り組みは、既に記事にもしている通りです。価値が分かる人には、そこそこに響くように思います。

ということで、ちょっと周りに声をかけて、そういうご協力を仰いでみることにしました。

この手法、実は過去に、富士河口湖農園さんでも取り入れていた方式のようで、お手伝いのお礼「おコメ」で支払っていたといいます。

●●円とかだと、いろいろ計算をしてしまうため、ほかの財との比較もしてしまうようです。

しかし、例えば「おコメ3kg」とかになると、その「おコメ」自体の価値は、(そこで、その人が、そういう方法で育てているというストーリを含めて)人それぞれが感じるものなので、なかなか簡単に比較ができるものではなくなります

一方、お手伝いをしてもらった側からしても、お金として支払おうとすると、それ自体をどこから調達するのか?という問題を考えなければならず、いろいろと厄介です。けれども、どうせ獲れる(獲れすぎる?)おコメで支払うということであれば、無理なく渡すことができます

おコメがお金のような役割をするという意味では、何だか石高で所領を決めた江戸時代?いやもっと昔からある日本の経済システムみたいなものを想像させられます。ちょっと面白そう・・・。

うん?経済システムに斬り込んだら大変なことになる??

えー、でも通貨発行するわけじゃないですしね。シンプルです。野菜やおコメで、お礼させていただきますね、というだけのことです。

詳細は、これから詰めてみますが・・・いや、詳細を詰めるというよりも、もうそんな感じで始めてみようと思いますが、ちょっと楽しい気がしています。そこで問題が出てきたら、さらにそこから「最高の一手」を考えてみます。

経済の本質は、とにかく「感謝」や「気持ち」をかたちとして回すことです。今、通貨のこととか考えるのは、正直、面倒くさいですし、そんな余力もありません。

一旦、いろいろ材料が揃ってきたので、とにかくそれらを回してみることにします。

最後に・・・おまけにするにはもったいないですが、SATORISM TVさんの検証動画を紹介しておきます。興味深いです。

いろいろ書くと、また何かに引っかかる気がするので、何も書きません。動画だけ貼っておきます。

まぁ、みんな、いろいろと考えていく必要はありそうですね。


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