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「間」を見極める

仕事をしていて、叱られるパターンというのがあると思います。

パターン①「なんで、そんなことを勝手にやったんだ!?
パターン②「そんなこといちいち聞くな。自分で判断して片付けろ!!

それぞれ、相反する2つの叱られるパターンです。そして、これで混乱する人、結構いるかもしれません。

パターン①で叱られて、「そっか、勝手にやっちゃいけないんだな」と思って、上司に逐一相談してから進めようとしたら、パターン②で叱られるというやつです。

これで混乱する人は、自分の「間(ま)」が分かっていないのでは?と思います。
※「間」が分かっているのに、こうなる場合は上司が混乱しているのかもしれません。それについては後半述べます

もう少し詳しく書きます。

パターン①で叱られるのは、自分がとれる責任範囲を超えていることを行おうとしているのです。そのまま進めて問題になったとき、「なんで、こんなことになったんだ?」と言われて、「すみませんでした、直します」では済まない類のものです。

逆にパターン②で叱られるものは、自分がとれる責任範囲内のものなのに、そういう仕事に手を付けていない場合です。そのまま進めて、誰かに「なんでこうなってるの?」と聞かれたとき、「私が担当者として、そう決めました」と言って返せるものです。

例えば、A君が会社のホームページ制作を担当しているとします。

ホームページは会社の顔です。最近のホームページは、いろいろな機能もついているので、ネット上の「支店」のような役割もあります。

そのホームページの機能について、担当者が勝手に決めるわけにはいきません。考えられる機能を洗い出し、それらについて他部署と調整をしたり、上司に方向性の説明をしたり、いろんなことをしながら、決めなければいけないはずです。仮にそれを担当者が一人で進めようとしていたら、きっとその担当者は上司に叱られるでしょう。

「なんで、そんなことを勝手にやったんだ!?

これを聞いたA君は、「そっか、勝手にやってはいけないんだ」と反省し、必ず事前に上司に相談してから、仕事を進めることにしたとします。

デザイン案も決まったし、色の調整も完了。その後、具体的な部分の検討になり、お知らせ欄の表示を「NEWS」にするか、「INFORMATION」にするか、日本語で「お知らせ」と書くか、決めないといけなくなりました。そこで上司に確認に行ったら、またそこで叱られるかもしれません。

「そんなこといちいち聞くな。自分で判断して片付けろ!!」

問題のポイントは、自分が担当者として、どこまでの範囲なら責任をとれるのか分かっているかどうかです。自分が頭を下げれば何とかなると判断できれば、それは自分の「間」の中にあると言えるでしょう。「NEWS」という表示にしたけど、「お知らせ」に変更しなければならないとなったら、制作会社に頭を下げて、直してもらえばいいだけです。費用もほぼかからないでしょう。

そうした責任範囲を「間」だとすれば、自分の「間」と(会社や上司など)他者の「間」の区別がつかないから、叱られることになるわけです。

担当者の役割は、やみくもに仕事をすることではありません

自分の「間」のなかの仕事は、自分で素早く片付けなければなりません。他者に判断を仰ぐ必要はありません

しかし一方で、自分の「間」の外にある仕事については、関係者と調整を図ったりして、その問題を「間」にもつ人(責任者)の判断を仰がなければなりません

その「間」を見極められない担当者は、あちこちで衝突を起こしてしまい、ぶーたれてしまうことになるわけです。本人に問題があるというのに・・・。


こんなことを書くと、反論も出てくるでしょう。

「いやぁ、うちの会社は、そんな責任範囲なんて関係ないよ」
「私の上司は、そんな『間』なんて理解してくれないよ」

そうそう。分かります。皆が皆、こうした「間」を理解しているわけではありません

他人が「間」をどう考えるだのは関係ないです。だから「間」などというものは、もともと測るものなのだと思います。

ぶっちゃけ、私だって他人様の「間」なんて知りません。そんなことまで構ってられません。

大切なのは、どこまでが自分の「間」なのかを見極めることです。

剣道などでの「間」は、物理的空間としての「間」であり、自分の「間」の長さは普遍的に決まっているものなのかもしれません。

しかし、ここで考える「」は、物理的なものではないため、他者との関係や環境のなかで決まっていくものです。なので、自分なりに仕掛けてみて、その自分の「間」を測る必要があります。

例えば、組織のなかであれば、上司の反応をみながら、自分の「間」を決めるというのも、ひとつの手でしょう。

それには、日頃のコミュニケーションが重要です。

上司の反応が「勝手にするな!」であれば、その業務についての自分の「間」は狭いことが分かりますし、上司の反応が「自分で決めろ!」というのであれば、自分の「間」は広いことが分かります。

おかしな上司がいて、同じような業務なのに、その基準がバラバラだったとします。記事冒頭で挙げたパターン①とパターン②が、混在してしまうようなケースです。

そうしたケースで、(前回までのコミュニケーションによって)自分の「間」が分かっているのであれば、こちらが混乱する必要はありません。相手が混乱しているのです。

そのようなときは、その上司に質す必要があります。

前回は、『勝手にするな』だったけれども、なぜ今回は『自分で決めろ』なんでしょうか?理由を説明してください

こういうことを積み重ねていくことで、少なくとも「その組織」、あるいは「その上司」との関係の中で、自分の「間」は定めることができます。

その組織」、「その上司」が「間」の概念自体を理解してくれるかどうかは関係ありません。少なくとも、そんな質問をしてくる人間の「間」の広さ(あるいは狭さ)は、自ずと定められてくるでしょう。

そういう「間」を測るための努力もしておらず、自分の「間」もみえない人が、安易に組織や上司の問題を論って、ぶーたれるのはよろしくないと思うのです。

「間」を見極めるって大事です。

今回は、ちょっといつもと違うテーマにみえたかもしれませんが、こうした「間」の問題は、何も仕事に限ったものではありません

コロナ騒動は、いろいろなことを教えてくれていると思います。そのなかのひとつが、人とのお付き合いの仕方のような気がするのです。
自分と他人との境界線をどこに引いたらいいのか、いろいろと悩む人もいるでしょう。コロナやワクチンに関することは、命に関わることでもあるので、非常にセンシティブとも言えます。
そんな題材を前にして、他人様と上手なお付き合い、自分と他人との境界線をうまく引ければ、人間として、いろいろと成長できるようになるとも思います。ある意味、とても大きなチャンスです。活かさない手はありません。

「コロナ騒動も成長のチャンス」より引用

「間」とは、どこまでを自分の問題と捉えるのか、という問題です。それはすなわち、自分と他者(あるいは世界)との境界線を見極めるということでもあります。

こうしたことは、人生のあらゆるところに通じる大切なテーマだと思います。

上司や会社のせいにする前に、自分の仕事の進め方を考えてみることも必要です。自分の周りの世界を整えられなければ、世界だって整わないと思うので・・・。


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