人体なんて自然の一部
昔、「透明人間」という映画がありました。2000年公開の映画にも「透明人間」というタイトルのものがあったようですが、それではありません。
2000年の「透明人間」は、ステルススーツを着ることで、人間が透明になるそうです。私がみたのは1992年公開のもので、放射線を浴びることで人間が透明化するというものでした。
この透明人間っていうのは、だいたいみんな、一度は想像してみるテーマじゃないでしょうか?
「透明人間ってなれるのかな?なったら、何をしようかな?」
私も昔、そんなことを考えたことがありました。
ところで、このテーマを考えてみるときに、ひとつ引っかかることがあります。それはどこまでが「自分の体」で、どこまでが透明になるのかということです。
例えば、トイレに行って用を足します。排泄されるものは、自分の体ではありません。排泄物です。だから、それが透明になるのはおかしいと思います。
けど、それが排泄される前に体内にあるのなら、それは透明になる?なんだかちょっとよく分かりません。
食べ物を食べるときもそうです。透明人間の私が、りんごをかじったとします。リンゴは「シャク」っと音を立てて削られます。そして、口の中に入ったリンゴは、すぐに透明になる?あるいは、食道をつたっている間は見える?
こんなことを考えていくと、どこまでが自分の体なのか、よく分からなくなるわけです。
そうそう、そういうことなんです。自分の体は、外界との境界線がくっきりあって、存在しているように思っているが多いかもしれません。しかし、必ずしもそうではないのです。
人体の構造なんてのは本当に複雑怪奇で、自分だけのものと思いがちな「自分の体」でも、そのなかには「自分とは言えないもの」が、ものすごい数、生きているわけです。
だから今、こういうことを言う学者さんがいると、ほんとか?と疑いたくなってしまいます。
ノーベル賞も受けられた、非常にご高名な先生からの情報です。敬意を払って、ご高説を拝聴したいところです。けれども、やはりしっくりきません。
感染していても警報物質が出ず、熱も出ない、いわゆる無症状が問題だという指摘です。
しかし、養老先生がおっしゃるとおり、そもそも人体にはいろんな細菌やウイルスがごまんといるのです。ごまんどころじゃなく、腸の中だけで100兆だそうです。
人体のなかに細菌やウイルスがいて、そこそこ増殖しているような状態を「感染」というのであれば、常に人間はいろんなものに感染しているといえるかもしれません。問題は、それが症状を発するようなものなのか、健康を害するようなものなのかといったところだと思います。
あ、ちょっとだけ横道に逸れますが、健康を害するという意味では、アルコールの方がよっぽど怖いです。
毒性という意味では、あきらかにアルコールの方が危険だし、こちらを規制する方がよほど大事かもしれません。けどもちろん、そんなことしないです。
アルコールの危険性にはまったく触れず、オミクロン株の恐怖ばかりが煽られます。そして現在、そのオミクロン株の現状は・・・?いわずもがなです。
ほとんど、健康に害を与えるようなものにはなっていません。つまり、人体に異常をきたすウイルスではないわけです。
※そもそも無症状の人をつかまえて、PCR検査で「感染!」としているところも疑問ですが・・・。
そう考えてみると、同じノーベル賞受賞者の科学者としては、こちらの先生の話の方が、しっくりくる気がしてなりません。
新型コロナウイルスやオミクロン株の問題ではないという指摘です。むしろ、ワクチンにこそ問題があると言われています。
ワクチンを危険視する声には、こうしたノーベル賞受賞者の先生の意見も含まれています。
私たち一般人が、勝手に妄想するわけにはいきません。デマに惑わされて、突っ走るのも危険です。だからこそ、こうした相反する立場の先生の話を聞きながら、自分で判断しなければいけないわけです。
私には「見せかけの無症状」なるものを危険と断じる言説の方が、デマのように思えてなりません。
こんな騒動でもなければ、自分の体、人体とは何なのかなどということを考えることはなかったかもしれません。そういう意味では、チャンスです。
人体とは何なのか、それぞれがじっくり考えてみるといいように思います。そして、そうした視点でもって、自分たちの健康についても考えていきたいものです。
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