「さん」付けしてくる人が怖い

いろいろなレベルで「お偉いさん」っていますよね。

お偉いさん」なわけですから、当然、そういう方と接するとき、それを態度として感じることがあります。

とあるお客さんのところで、お仕事をしていると、ある日、そのお客さんのところに、新しい「お偉いさん」が着任してきました。何やら、日本の大企業で役員を務めてらした方のようです。

そして、その「お偉いさん」が、私を呼び出して、私の仕事の内容について尋ねてきました。

「で、竹内君は、何やってるの?」

いかにも「お偉いさん」らしい口ぶりです。でも正直、私からすると、口が悪くなってしまいますが、こういう「お偉いさん」は、ちょろいです。

こういう態度の「お偉いさん」は、自分が偉いと思っているので、そこに隙がありまくります。「お偉いさん」だから、偉いのは確かなのでしょうが、既に、その勤めていた大企業の看板は外れてしまっています

そういう肩書やら、看板などというものは、所詮、いつか外れるものです。

新しく着任した組織でのポジションも、偉いは偉いですが、昔の大企業の役員に比べたら、まったく違うものになっています。さらに、私自身、その組織に属している人間でもないので、上下関係があるわけでもありません。

そんな私に向かって、なんで偉そうに「竹内君は何やってるの?」と、いかにも「お偉いさん」らしい口ぶりで話せるのでしょうか?

結局、その「お偉いさん」の頭のなかには、昔の偉かったときの自分像が残っているのでしょう。組織の力肩書の力で仕事をしている人たちは、それが個人の力であると勘違いしてしまう傾向があるように思います。その組織を離れても、「自分は偉い」と思ってしまうのです。

その後、その「お偉いさん」は、仕事ができないことがハッキリしてしまい、どこかにいなくなってしまいました

個人の力が、そこまでないのに「お偉いさん」のように振舞っていたら、誰もついていきません。結果、仕事の成果が出せないわけです。だから、放っておいても、勝手にいなくなるので、私にしてみても「ちょろい」ということになります。

逆に、とんでもなく「お偉いさん」なのに、「竹内さんは、何をやってらっしゃるんですか?」というしゃべり方の人もいます。

私にしてみたら、こういう人が一番怖いです。「お偉いさん」であるにもかかわらず、私に向かって、あえて「さん」付けで呼んでくるのです。まったく隙がありません

もちろん、戦うわけではないので、むやみに怖がる必要はないです。ただ、こちら側がちょっとでもおかしなことをしたら、その隙を突かれてやられてしまうという緊張感があります。

え?どうしてそうなったんですか?

責められるときだって、こんな丁寧な感じです。こういうのが一番怖いのです。だから、こちらもピシッとしていないといけません。

これをもう少し紐解いていくと、どういう立場の人(上の人にも、下の人にも)に対しても、同じように接する人一番隙がないということです。そういう意味で、上下関係なく「さん」付けしているような人は、手強いのです。

逆に上に対してへつらう人は、下に対して横柄になります。これらは、全部隙になります。自壊していくパターンの人です。

もし仮に、あなたがこういう、相手に応じて態度が変わるような人に苦しめられているとしたら、合気の姿勢で臨むといいかもしれません。

合気の姿勢で臨んでいくと、隙だらけの相手などというのは、勝手に転げ落ちるものです。


それにしても今、何故、これを敢えて書こうと思ったのか・・・それは、そんな勘違いした「お偉いさん」みたいなものの集合体が、現在進行形で、この世界をおかしくしていると思うからです。

もし仮に、あなたの周りに、そんな勘違いした「お偉いさん」がいるとしたら、そういう人たちは、今の世界で問題を起こしている集団の末端のような存在です。

組織や肩書の力にモノを言わせて、自分個人以上の力があると勘違いしてしまい、上にへつらい下には横柄で、道を外れても平気な顔をして生きている人たち・・・そんな人たちが今、勝手にこの地球・世界を我が物のように扱っているわけです。

だから、身の回りにいるそういう人たちと向き合うことは、これからの私たちにとって、ちょっとした練習問題になるのではないかと思うのです。

以前、こんな記事を書きました。

ここに書いたように、今、世界的な問題を引き起こしている人たちというのは、いると考えておいた方がいいと思っています。そして、その中心にいる人たちが存在するのであれば、それ以外は枝葉だから気にするなということも書きました。

今でもそれは、その通りだと思っています。

ただ私たちは、いずれその中心にいる「ボス」と対峙することになるとも思うのです。

その時、私たち自身、ひとりひとりが磨かれた存在であることが重要です。

そうした磨かれた存在になるためにも、隙だらけの「お偉いさん」と向き合うくらい、練習問題として片付けておくのはいいのではないでしょうか。

逆に言えば、そうした人間になるためには、「さん」付けしてくる「お偉いさん」に対しては、素直に「怖い」と思えるくらいの感性が必要だということです。

世の中、いろんなことがありますが、少しそんな目で、自分の周りにいる人たちを眺めてみてはいかがでしょう。自分を磨くための材料が、あちこちに転がっているように思うのです。


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