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社会全体のバランスを崩すポリコレ

差別はよくありません。差別を容認するつもりはないし、許すつもりもありません。それを大前提として、以下の投稿を読んでいただければと思います。

トランスジェンダーをめぐる問題について、こんな記事がありました。

トランスジェンダーの実態を無視し、当事者の尊厳を貶める悪質な発言だと思いました。
(中略)
そもそもトランスジェンダーの当事者は、スポーツから排除されている状況です。
(中略)
トランスジェンダー女性に対するバッシングの中で、「トランスジェンダー女性を装った男性がトイレに入って性暴力が起きる」という言説がよくあります。トランスジェンダーを性暴力加害者のように結び付ける言説は明らかに扇動だと思います。
※FNNプライムオンライン「「女子の競技に、男性が心は女性だからと参加して」山谷議員のトランスジェンダー発言に当事者側が反論」2021年5月21日より引用

記事によると、自民党の山谷えり子参議院議員が「アメリカなどでは、学校のトイレでいろんなPTA問題になったり、女子の競技に男性の身体で心は女性だからと競技参加して、いろいろメダル取ったり、そういう不条理なことがある」と発言をしたとのことです。実際の映像がこちらになります。

しかし、発言全体を見てみても、何が問題なのかさっぱりわかりません。記事の中で、「当事者の尊厳を貶める悪質な発言」との表現がありましたが、どのあたりに尊厳を貶める意図を感じられたのか、分かりかねるところです。また山谷議員が指摘している問題は、普通に事実を述べているに過ぎないともいえます。

当然、男性と女性とでは肉体が違います。だからこそ、男子・女子の区別をして競技が行われるわけです。「性自認」の問題は、その人自身の問題です。それは尊重されるべきですし、否定しようはありません。

しかし、山谷議員は立法府である国会の議員です。自分が自分の性をどう認識するかで、競技の垣根を越えられるようにしてしまったら、例えば「優勝したい」、「代表選手に選ばれたい」という動機で、「性自認」を偽る人々だって出てくるかもしれません。法律を作る以上、それが悪用されないかどうかもきちんと考えなければならないわけです。山谷議員の立場からすれば、当然の配慮です。トランスジェンダーの方々にも、決められた(肉体的に男女が区分される)ルールのなかでスポーツに参加できることを鑑みれば、「トランスジェンダーの当事者が、スポーツから排除されている」というのは言い過ぎだし、妥当性があるとは到底思えません。

また、「性自認」と女性や少女に対する犯罪に関しては、イギリスの国会で以下のような指摘がされています。

特に女性や少女に対する犯罪の公式記録に関しては、すべての人を守るために、犯罪の被害者や加害者の性自認に関するデータに加えて、生物学的性別の正確な記録が必要です。
(中略)
BBCは英国の45の地方警察に、2015年から2019年までの女性加害者の児童性虐待の報告事例に関するデータを求めました。受け取ったデータによると、84%の増加が見られました。データの破損により、この大幅な増加が女性加害者の増加によるものなのか、女性と認識している者の増加によるものなのかがわからず、その詳細が問題となっています。
※The Spectator「MPs are finally engaging with the gender identity debate」2021年5月18日より引用(機械翻訳)

「性自認」のデータがきちんと管理されていないため、明確な因果関係は認められていないようですが、84%の増加というのは、かなり注意すべき数字と言えます。「性自認」の問題と何らかの相関関係があると疑われても当然ですし、法律を作る以上慎重に対応しなければいけないことは自明です。このあたりも、山谷議員は当たり前のことしか言っていません。

上掲の記事では、「トランスジェンダーを性暴力加害者のように結び付ける言説は明らかに扇動だ」などと書かれていますが、これは全くの的外れと言えるでしょう。トランスジェンダー=性暴力加害者のような結びつけはしていません「性自認」を偽ったトランスジェンダーを認めてしまう結果、性犯罪が増加することがあってはならないのです。むしろ、こうした言説によって、新たな犯罪者を生み、同時に新たな被害者を生むかもしれないことを強く警戒する必要があります。

これらは、いわゆるポリコレです。

ポリコレでは、差別や偏見といったテーマが政治利用され、そこにだけ焦点が当てられることによって、社会全体のバランスが崩されます。今回のトランスジェンダーの例でいえば、トランスジェンダーというテーマばかりにフォーカスが合わせられ、競技の公正性犯罪率の増加といった全体のバランスが崩される危険性に注意すべきだということです。

冒頭申し上げた通り、差別や偏見は、けっして許されるべきではありません。社会全体で、そういう人々への気遣いや心配りができるようにすることは、大変重要なことだと思います。しかし、ポリコレはいただけません。それを法制化するというのは、また別問題です。こうした活動に参加される方々は、そのテーマや主張がポリコレになっていないか、社会全体のバランスを壊さないかということについて、是非、考えていただきたいと思います。









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