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サル山の「なりきりサファリパーク」

今の時代、真面目に勉強している人ほど、陰鬱な気分になるのではないかと思います。社会で起こっている事象を調べれば調べる分だけ、気分が落ちていくような状況です。

「まさかぁ、さすがにそんなことはないでしょう

そんなことをサラリと言える人たちは・・・まぁ、その人たちなりの世界観なので、それはそれで仕方ありません

「もしかしたら、元に戻ってくれたのかもしれないな」。ぺんたんさんは、そう嬉しくも感じたという。しかしその淡い期待は、妻が席を外したタイミングでばっさりと裏切られた。
ビル・ゲイツが処刑されたらしいの」。突然、母親が切り出したのだ。その目つきと声のトーンは、それまでと明らかに変わっていた

BUZFEED
「「ビル・ゲイツは処刑されたのよ」母親を変えてしまった陰謀論。絶縁状態の息子が“諦めた”関係修復、その理由とは」
2023年2月14日より引用

相変わらず、こういう荒唐無稽な人の事例を取り上げて、「陰謀論者=キチガイ」という図式です。たくさんの真実が詰まった箱のなかに、ひとつの分かりやすいウソを混ぜて、「箱のなかは全部ウソだ!」といういつもの手口です。

あまり感心はしませんが、こういうやり口で、安心できる人たちがいるのであれば、それはそれでひとつのかたちなのだろうと思います。

陰謀論者は、食料危機の話もします。

陰謀論者は、本当に忙しいです(笑)。

陰謀論者の頭のなかでは、すべてが繋がっているので、食料問題などは前から予見されていたことでした。でも、こうした話が、陰謀論者の妄想にみえる人たちからしてみたら、なかなか実感が湧きません。それもそれで仕方のないことです。

それぞれの人生それぞれ責任をもって、生きていきましょうということなのだと思います。

ん???それぞれの人生を生きていくだなんて、そんなに割り切って考えられない?

分かりますこんな御仁が、次期首相候補だなんて言われている世界、本当にたまったものではないですよね(笑)。

所管外」──。壊れたレコードのように繰り返すこと12回。13日の衆院予算委員会で河野デジタル担当相が見せた態度は、「ブロック太郎」の異名に恥じない不誠実ぶりだった。
河野氏は予算委で、安倍内閣で務めた外相時代の日ロ交渉や原発政策の立場などについて問われたが、ことごとく「所管外だ」としてスルー。安倍元首相が回顧録で明かしている「河野談話」の取り扱いに関するエピソードについて、事実関係を確認されても「所管外」で押し通した

日刊ゲンダイデジタル
「河野太郎デジタル相が予算委で「所管外」12連発の異常 その後ツイッターで言い訳の姑息」
2023年2月15日より引用

今回の「所管外」連発の話を聞いて、以前、「次の質問どうぞ」を繰り返していた記者会見を思い出しました。

性根は何も変わっていないし、こういう人に票を入れたり、こういう人を「先生」などと呼んで集まる有権者がいるんですから、もう勝手にやっててくださいとしか言えません。

少なくとも、学級会でこんなことをやってる児童がいたら、間違いなく先生に叱られるでしょう(苦笑)。

それが政治家??冗談よしてください

でもですね・・・最近、そういうことにも、まったく腹が立たなくなりました原因はこれです。

物理的なことは、それがどう具現化するかの話なので、細かく考える必要はありません。先に「自分は彼らとは違う『別の種』だ」と考えるだけで、進化の第1ステップは踏んでいるということです。
そして、そう考えてみたら、今の人類同士の争い自体が違って見えてくるはずです。そう、野生動物の捕食シーンみたいなものです。天然のサファリパークのなかで、日々、自分とは違う野生動物(人類)が捕食し、捕食されているわけですから、それは大変です。もちろん、「かわいそう」なことで溢れています
でも、それだけということでもあります。関わることはありません。過度に感情が揺さぶられることもなくなります。

「「新種の人類」は人類に関わらぬ」より引用

今の私は、目の前にいる人々とは、別の人類(新種の人類)だと思うようになってしまいました。最近、それが妙にしっくりくるようになってきたので、世界の見え方も、だいぶ変わってきたようです。
※なかには、稀に仲間の「新種の人類」もいますけどね?

これ・・・伝わりにくいでしょうかね。

例えば、こんな感じです。

こういうサル山、みたことありますよね?おサルさんが、たくさんいます。

そして、こういうサル山は、しばらくじっと観察していると、それなりに社会が形成されていることが分かります。強い者と弱い者オスとメス年配者と幼子・・・そこに個性が加わって、そこそこにドラマらしきストーリーが展開されているようにみえることすらあります。

もちろん、当たり前ですが、おサルさんと私たちは、異なる種の生き物です。

しかし、このおサルさんの皮を被って、おサルさんなりきって、そのなかに紛れて生活してみることを想像してみるのです。おサルさんの皮を被れば、彼らと言葉を交わすこともできます。

そうしたら、ここに登場してくるおサルさんも、きっと違ってみえてくるはずです。

本来、おサルさんに名前なんてありません。でも、名前だってあるかもです。例えば、このおサルさんの名前は、義郎です。

義郎

気弱そうな顔をしている義郎ですが、話してみると、実は、思っていることはキッチリ言うタイプ・・・かもしれません。

まぁ、こんなおサルさんが寄り集まって、結構な社会を築いていると考えてみるのです。

ただ正直、所詮、おサルさんなので、やってることはメチャメチャです。ケンカもしょっちゅうですし、理不尽な連中ばっかりです。暴力も横行していれば、イジメも一向に止まりません。

したがって、付き合える範囲では付き合いますが、あまりに度を越すことがあるようなら、最後は、おサルさんの皮を脱いで、「やーめた!俺、本当は人間だから、もうお前らとは遊んでやらない」と抜け出してやります

あくまでも、おサルさんの皮を被って、おサルさんになりきって遊んでるだけです。ひとつのアトラクションに過ぎません。言ってみれば、サル山の「なりきりサファリパーク」みたいなものです。

だから、そこにドップリとハマりきる必要はないのです。付き合ってられないと思ったら、おサルさんの皮を脱いで、人間の姿に戻って、サル山から抜け出せばいいだけのことです。

このたとえ話・・・おサルさんを「今の人類」人間を「新種の人類」に置き換えて見直した状態が、今、私が体感している世界です。

伝わるでしょうか・・・

「新種の人類」としての自分は、今、人間の皮を被って、人間社会に溶け込んでいるに過ぎません。完全に人間社会に溶け込んでいるので、人間として生きています・・・が、それに縛られているわけでもありません。メチャメチャだし、理不尽だらけだし、大量●●みたいなこともある人間社会に、ドップリとハマりきる必要はないのです。

だから、こんなのみたって、「こんなおサルさん(人間さん)、いるんだなぁ」くらいにしかなりません。

人間の皮の内側には、「新種の人類」としての意識があります。本当にいざとなったら、人間の皮を脱いでやればいいやくらいのものです。

そんな「なりきりサファリパーク」の感覚、ちょっと想像しながら、味わってみてはどうでしょう?


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