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ナラティブにワクワクするなら、そのプロジェクトは成功する。

組織は、合意と説得の積み重ねによって前進している。多くの組織において会議体やその運営は非常に重要なファクターであろう。最近注目している一つのアプローチとしてナラティブがある。先日、下記のようなツイートをし
た。

Turingでは会議体にこだわっている。組織の人員拡大とともに会議も増えたため、2023年の年明けから方針を決めたのがキッカケだ。会議体は「意思決定会議」「進捗管理会議」「ナラティブ」の3つを基本としている。
意思決定会議と進捗管理会議は想像に容易いだろう。一方でナラティブとはなんですか?とよく質問を受ける。

ナラティブとは何か?

ナラティブは日本語訳にすると物語である。そのナラティブを会議資料にするというのはなんだか違和感のある話である。しかし世界的な大企業の一つであるAmazonでは会議資料をナラティブにすることが一つのフォーマットである。またTuringでも会議資料の形式をナラティブにすることが推奨されている。
ナラティブ形式にするということはただ単に文章が論理的な破綻なく書かれているだけなく、それ以上のなにかが求められている。具体的には面白さや読みやすさ、そして理屈だけでなく本能に刺さる説得力が求められているのだ。※ちなみにこの文章もナラティブ形式である。
ナラティブは、問題提起やプロジェクト立ち上げなどを行う際に記載される。そのプロジェクトを行う理由、未来の絵姿、そしてその背景や前提知識がわかりやすく明瞭に示されるのだ。それはある種の物語で、チームを一つにまとめる原動力となる。いいナラティブはチームの駆動力を底上げし、プロジェクトを成功に導く。Turingはこれまで、多くのプロジェクトがナラティブに支えられてきた。

何故ナラティブにするのか?

われわれは日々、多くのプロジェクトやタスクに触れている。ではその一つひとつに意義やストーリーを見出せているだろうか?そう問われるとポジティブな回答ができる人は少ないはずだ。ナラティブに通ずるものとして、3人のレンガ職人の話がある。

旅人が、建築現場でレンガを積んでいる職人に「何をしているのか」と聞く。  
1人目<見れば分かるだろう。仕方なくレンガを積んでいる>  
2人目<家族を養うために、レンガ積みの仕事をしている>  
3人目<歴史に残る大聖堂をつくっている>

イソップの寓話

われわれは日々の仕事でファクトとロジックを大量に浴びている。そしてロジカルシンキングによって一定の解決策を導き、仕事を前に進める。ロジカルに答えを導くことが当たり前の日常において、ある種機械的に(ルーティーン的にと言った方がよいかもしれない)私たちは仕事をしていると言えるだろう。「見ればわかるだろう?この課題とファクトなら、この解決策しかないさ。仕方なく仕事を前に進めるさ」と言わんばかりに。

人生で説得しなきゃいけない人間は本質的にたった一人

現代はすでにユートピアである。衣食住も石器時代から考えれば神の領域に達しているといっても過言でもない。しかし我々はそれに対して、全く幸せになっていない。人間の幸せはとても複雑だ。猫とは違う。
自分の人生が気に入った物語になっていないと満足できないくらいに豊かになっているとも言えるだろう。自分たちが幸せになるナラティブを根源的に欲しているのだ。自分の物語が機能不全なら自分の人生も機能不全にもなる。

最初の話に戻ろう。われわれは仕事においても一定の幸せを得られるようになったと考えられるだろう。一定の問題には一定の方針と解決策を並べることができる。
でももう、それだけでは幸せになることができなくなったのかもしれない。幸せになるためのナラティブが必要なのだ。目の前の仕事に強烈な意義と目的を宿し、チームや仲間を奮い立たせる。そんな力が求められている。仲間を率いる、マネジメントするだけではなく、ナラティブを創れること。これこそがプロジェクトを成功させるために必要なことだと私は考えている。


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