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旅人 ある修士学生の回顧      ~南の国からこんにちは~

Apple Music のリプレイ2022を見て

本日,友達のnoteの存在を知って面白そうだなと思って始めてみました(笑)ということで,初投稿ですね~。
何書こうか悩んでいた時に,ふと,今朝Apple Musicが,今年のリプレイを見せてくれていたことを思い出しました。
そういえば,もう12月かと思いながら,何を聞いてたんだろうと振り返り…
1位 エドシーランのshivers,自炊しながらよく聞いて踊ってた(笑),2位 Tani YuukiのW/X/Y,中毒性があってずっと聞いてた時期あったなぁ(笑),なんて振り返ってたら,5位に…
YOASOBI「群青」
あぁ,やっぱこれは上位に来るかぁ,なんて思っちゃいました。久々に聞いて帰路についたけど,やっぱりいい曲。博士課程進学を決めて,学振申請書を書いていた時にどれだけこれを聞いて泣いたか。歌詞以上に顔面がグンジョグンジョになってた覚えがあります。
後半にある,
「周りを見たって誰と比べたって僕にしかできないことはなんだ,今でも自信なんかないそれでも」
を聞いちゃうと,相変わらずこみ上げるものがありますね。

旅人 ある修士学生の回顧

本題に入ります,生意気にも,湯川秀樹さんの名著のタイトルを拝借しました(笑)。
湯川秀樹さんと言えば,日本人で初めてノーベル賞を受賞した人,博士課程に進学する僕からすると最高到達点。サッカー選手にとってのペレ,野球選手にとってのベイブルースみたいな感じですかね。
初投稿ですが,ちょうど1年を振り返るには良い日ということで,留学生として旅に出た修士学生が,この一年を振り返ります(笑)

群青に泣いた日々(1~5月)

なんで,この時期に群青に泣くのか?答えは簡単で,圧倒的な孤独です。はい,説明になっていませんね(笑)
さて,修士1年から2年になるとき,ほとんどの学生が就職活動を終えます。それに対して,博士進学をする人は,この時期に様々な奨学金に応募し,最終難関の学術振興特別研究員(DC1)というものに,5月末に書類提出をするのです。DC1は,国が,優秀(と見込まれる)な博士課程に所属する研究者に,月20万円の生活費と年間最大150万円の研究資金を与える制度です。倍率は分野によりますが,およそ5倍。これに落ちれば資金援助なしで博士課程の研究者をやることになるので,みんな死ぬ気で応募します。
さて,当然僕もこの流れに乗るのですが,僕の学年で僕以外に博士課程に進学する人がおらず,皆就職活動を終え,なぜか「○○に受かったで~」という一報が送られてくる日々。飲みの場でも,トピックは就職の話ばかりで,僕の悩みを共有できる場所ありませんでした。そして追い打ちをかけるように,当時付き合っていた彼女に「まあ,一緒にいるならお金がある人がいいな」と言われる始末。
そんな時に,聞き始めた群青。ブーム的にはちょっとおせえよというツッコミが聞こえますが,本当に心の底から共感して嗚咽してしまいました(笑)
ま,そしてDC1申請の一週間前,追い込まれている中,彼女に別れを告げられ,翌日に彼女と同じ苗字の名誉教授にDC1の研究計画をぼこぼこに言われ,本当に苦しみぬいた1~5月でしたねぇ。

留学開始~DC1合格まで(6~9月)

そんなボロボロなコンディションの中,ついに延期しまくっていた留学が叶うことになりました。本来なら大喜びするべきでしょうが,全然嬉しくなかったです(笑)。留学先は東南アジアのとある国で,現地の修士号を獲得することが最終ゴール(よくダブルディグリーと呼ばれますが)。
まあ,留学開始して絶望したのは,現地語しか通じないこと。そして,遠慮なく現地語で話しかけられること。到着直後にタクシーぼったくられるは,運転怖すぎるは,飯全部汚いわで,寝れず食べれずを繰り返して,食中毒をくらって発熱。本当に日本に帰りたくなりました(笑)。
そもそも,受け入れ先の先生がなぜか出張で10日間おらず,異国の地で頼る当てもなくマジなソロプレー。初期装備もうちょいどうにかできなかったかと今でも思いますね(笑)。
そんなこんなで,3ヶ月もたつと,ドキドキのDC1の結果発表!Twitterを見て,発表はまだまだかとスクロールを繰り返しますが,この時期に湧いて出てくる過去の学振合格者の自慢話が延々と更新されるだけ。もうTwitter見るのやめよう。最後にHPだけ確認しようと思ってHPに飛ぶと,結果を見る項目が更新されていました。結果は…
「合格」
ゼミ中でしたが大喜びしましたね(ゼミ中にTwitterみるなよ)。僕はDC1一択ではなく,他の奨学金を含め,お金をもらいながら博士課程を獲得するために駆け回ってました。しかし結果は,全部ダメ。特に,8人中6人受かる奨学金(吉田育英会ドクター21)の二次試験に落ちた時は,本当にへこみました。だから当然,DC1に自信なんてなく,「まあ,あの名誉教授の時みたいに酷評されてるんだろうな」と思っていた矢先でした。
実は,その一週間前に祖父が他界しており,無条件で僕が研究者になることを応援していてくれた唯一の人だったので,彼が最後生きるすべての力を遠くの国にいる僕に注いでくれたんじゃないかなと思います。ただ,家族の中でも唯一博士課程に行くことを応援していてくれた人だったので,彼の訃報を聞いたときは,涙が止まりませんでしたね…
そんなバックアップを得て,祖父の意思も受け継ぎ,あとやることは修士号を2つ取ることです。もう何も不安なんかないじゃないか。人生そうはいきませんね。

僕は正しい選択をした?(10月~11月)

さて,DC1も取れて晴れて安泰と思いきや,ふと考えてしまったんです。
「僕の同期の友人と比べて,何も安定していなくないか。」
DC1は,3年間で切れますし,社会保険料等や所得税も支給される20万から天引きされます。当然ボーナスもありません。そして,博士卒業しても就職先がなければ28歳で無職に戻ります。対して友人はどうでしょう,大体がいい企業に就職し,中には30歳で年収1000万円を超える企業に勤める人もいます。誰が何と言おうと,博士を持っている30歳の無職と,高収入の30歳を比較したら,社会的ステータスは圧倒的に後者の方が高いです。
「結婚とか考えてたとき,俺に可能性はあるのだろうか?そもそも,社会的に高いステータスを持つ人に囲まれたときに,俺の存在なんて風前の灯火でしかないじゃないか。」
そんなことを永遠に考えながら,研究と向き合う。幸いにも(?),文献調査とシミュレーションモデルの作成がメインとなっていた期間,パソコンに向き合いながら,一人で自問自答する時間は無限にありました。そんな中,同時に留学を開始していた友人たちも,滞在期間がたち,留学の内容をオンラインでシェアしてくれる時間も増えてきました。そうすると,またこんなことを考えてしまうのです。
「みんなヨーロッパとかアメリカとか先進国ですごいことやっていることにくらべたら,俺が東南アジアでやってることなんて評価されないんだろうな(笑)」
ちょっと卑屈ですね。いや,かなり卑屈ですね(笑)。自分でも何でこんな考えが出てくるんだろうと,自分が一生懸命やってるんだから自分が満足してたらいいじゃないかという正論が湧き上がっても来ました。しかし,これにはちゃんと理由があるのです。さっき,「圧倒的な孤独」と言っておきながら,その説明を省いていましたね,こんな卑屈になった自分を正当化するためにも,この「圧倒的な孤独」の正体を明らかにしなければならないようです。

「圧倒的な孤独」とは

さっきの紹介では,この孤独が,「自分が他の人と違うことをしている」ということに起因しているように見えます。しかし,その実態は,「自分の周りの誰にも,僕の選んだ道が評価されない」と感じるようになった産物です。僕はこの孤独が生まれるには三つの要因があったと感じています。
第一は孤立化です。例えば,友人が就職の話を始めると,「でも,お前は就職の苦しさわからないもんな。」という文言をぶつけてきます。そのうちいつか,「いや,俺就職のことわからないから何も言えないんだけどさ」という枕詞を使うようになります。そして,これが進むうちに,「就職の苦しさは,博士行く苦しさなんかより全然上だよね」というムードが発生します(笑)。この空気を察すると,どんどん博士に行く大変さや苦しさを言い出しづらくなり,孤立化が進んでいきます。
第二は無関心です,簡単に言うと,博士課程に進学するという決断はほとんどの人にとってどうでもいいことなのです(笑)。多くの人に博士課程に行くというと,まず最初に聞かれるのが「博士課程って何?」そして次が「何するの?」そして,「へー,なんか難しそうだね。でも,やりたいことあっていいね」で終わります。そんな空気を察したらそれ以上を話せるわけもないですよね(笑)。自分が博士課程に進学するという決断をしても,周りがとる評価は「スゴイ」or「ダサい」ではなく,「興味ない」です。この流れに入ると,もはや博士課程進学について語れるわけもないですよね(笑)。いつの日か,「いや,博士課程に行く決断も大変なんだよ!」という主張をすること自体に,虚しさすら感じるようになります。
第三はあきらめです。これが一番大きいんじゃないかなと思います。上の一と二を永遠に繰り返すと,「もう俺のことなんて話しても誰にも理解されないんだろうな。」というマインドが芽生えます。こうなると,もうただのいじいじしてるめんどくせえ奴です。こんな風になっていると「自分がいいと思っているんだから,それを頑張ればいいじゃないか!」というポジサイコな言葉が,ありがたくも,たたきつけられたりします。ただ,そういう人には一つ考えてみてほしいです。本当の意味で誰からも評価されないような大きな決断をしたことがありますか?と。もし,「あるよ」というなら,僕は「ダウト!」と叫びます。なぜなら,本当にその状況にあった人は,こんなポジサイコなコメントに帰結しないと思うからです。孤立化と無関心のプロセスを繰り返して,最後はあきらめに至ります。そして,そのあきらめた状態に,追い打ちをかけるようにポジサイコな言葉を投げかけられ,結果,この状況を理解してくれる人はいないと感じるようになる。これが圧倒的な孤独の正体です。
ここまで聞くと,ただの絶望ですよね(笑)。ただ,僕は自分の初投稿を絶望で染め上げてバイバイしたいわけではありません。そのため,そんなに苦しいのになぜ潰されきっていないのかを最後にお話したいと思います。

君は正しい選択をした by エドワード・オズボーン・ウィルソン

”何よりも先に言っておくことがある。
自分の選んだ道に踏みとどまり,できる限り先に進めということだ。
世界はきみを必要としている,―それも非常に,だ。”
「若き科学者への手紙~情熱こそ成功の鍵~ (プロローグより)」

心が疲弊しきっていた中で渡航した飛行機の中で,この言葉に出会いました。こんなにやさしい言葉があっていいんだろうかと,なんと勇気づけられる言葉なんだとこみ上げるものがあったのを今でも覚えています。
まあ,当然この本はその後手厳しいこともいっぱい書いていて,「いや,それはハーバード大学だからできるんでしょ(笑)」というツッコミもいっぱい登場しますが(^^;
僕は,今も自分の選択にたまらなく苦しく感じる時があります。上の孤独感は過去のことではなく現在進行形なのです。そのたびに,僕はこの節に戻ります。そしてその次の,「一通目 まずは情熱それから勉強」というところにかけて読み通します。
それを見返すたびにハッとさせられます。おそらくこの世で一番難しいことは,情熱を注げることに出会い,情熱を注ぎ続けるこること。なぜなら,情熱を抱くよりも多くの誘惑がこの世にはあり,情熱を抱くことは大半に理解されないものだからです。そのため,情熱を持つのも難しいし,情熱を注ぎ続けるのも難しい。そんな世の中なんじゃないかなと思います。
だからこそ,今僕と同じように社会的に評価もされなければ,理解してもらうことも少ない,そんな中で抱える情熱に葛藤している人に僕は言いたいです。
「その情熱を持ち続けることは,圧倒的な孤独を経験するし,とても苦しいことだと思う。でも,それは一度しかない人生の中で何よりも貴重なことだよ」
と。書いていて,これは自分から自分へのメッセージだなと思い,目頭が熱くなってきてしまいました。
未だに僕は苦しんでばっかりです。もちろん,DC1を取れているため,博士の研究にはかなり前のめりになれます。しかし,自分の進む道に輝かしい未来が待っているなんて確信はありません。それだけ,日本の博士課程の境遇も,就職も苦しいものなのです。それに加えて,「結婚できるのかなぁ?」とか,など情熱が報われる未来以外にも,人生設計において悩んでばっかりの日々です。
こんなことを綴っていると,昔振られた女の子に,「ネガティブな男はモテないよ」と言われたのを思い出します。まあ,そうかもしれませんね(笑)。
ただ,だからと言って僕はこの思考回路を止められない気もします。考えているのではなくて考えちゃうからです。「ポジティプになりなよ」というコメントは,禿げ行く頭に,「髪生やしなよ」というようなものです。生え際が後退するのと同じように,悩みを減らしてポジティブシンキングを増やすことはできません。ただ,Apple創始者のようにかっこよく禿げることはできる。なので,僕はかっこよく禿げるように自分の悩みに折り合いをつけていきたいなと思っています。そして,そこで得た痛みや考え方を忘れずに,僕が第二のエドワード先生として,「暖かくも厳しい手紙」を次へと渡していきたいなと思います。あ,もちろんおすすめの曲として群青も添えてね(笑)

おわりに

長々と語ってしまいました。いやぁ,noteいいですね。ここに書くことは何よりも自分への整理になりますので,一番ターゲットにしたい読者は自分かもしれません(笑)。
そして,かっこつけて湯川秀樹さんを引用しているのに,参考にしてるのはエドワード・オズボーン・ウィルソンさんかよという,湯川秀樹さんを完全にかませ犬状態にしてしまい申し訳ありませんでした。バチが当たらないことを祈ります。
今回は初めてて長文になりましたが,小出しのネタや留学中の日常の一コマをストーリー仕立てでお送りしたりする予定です。
次回以降もお楽しみにしていただけるとうれしいです!
ではまた!

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