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恋愛はタイミングって言うけれど。

大学時代にひどく好きだった人と会った。

自分が辞めてしまった大学の友人から「大学を辞めたから就活の相談に乗ってほしい」と言われ、1年間もフリーターだった自分に何が言えるのだろうと思いながら頼られるのはうれしくて二つ返事で応じた。

その友人(異性)と僕が好きだった人(以下A)は仲が良い。友人が大学を辞めるという話になり、会話のなかで僕の名前が上がった。
どうせならAにも声をかけたところ、「気が向いたらいくね」と返ってきた。いつだって曖昧さしか持ち合わせてない人だった。

どれくらいAを好きだったかというと、人生で初めて書いた小説のヒロインのモチーフにしたし大好きなaikoの「嘆きのキス」という曲に幾度となく投影させたし、これの他にnoteで恋愛エッセイを5本書くほどだった。読み返したら変な汗が出るというよりは、なにかを吐きそうになった。

ずっと、「答え合わせ」がしたかった。
彼女のことを思い出す度に「あの時どんな心境だったんだろう」で帰着してしまうから。次会えたときはその感情の再発防止に努めようと心に決めていた。

僕も友人も来ないと踏んでいたが、すんなりAは来た。ネタでもなんでもいいから昇華させたかった。僕がAを好きだったことは友人も知っていたため、お酒の勢いも相まって訊いてみた。
「あのとき俺好きだったじゃん?」とぶっきらぼうに言うと、彼女は顔を隠しながら受け答えし始めた。

好きだと気づいてないふりをするのに必死だった、と言う。僕はその態度にすら気づけないほど鈍感だった。
当時の相談相手からはそれ絶対気づいてるよと口酸っぱく言われていたことを思い出した。案の定、手のひらでころころと転がされていた。

Aには恋人がいた。高校からの付き合いで、今も付き合っていた。僕が好きだったときも上手くいっている印象は薄かったが、事態は深刻化していた。
一度別れてよりを戻すという一連の流れや、A自身も大学生らしく男遊びを繰り返していた。

僕がアプローチしていた時期から関係が悪くなっていた。上手くいってないことをAの相談に乗りながら僕自身も感じていたため好機だと思っていた。
Aを想った夜の数だけ姑息なアプローチをしてきたし、同時に最後の一言が言えなかったのも自分だった。

Aが遊んでいることや、僕が当時至らなかったことを互いに指摘しながら談笑した。今の彼女を見て、タイミングがよくなかったんだなと思った。そしてあろうことか、咄嗟にそれを口に出してしまっていた。

あー。だっさ。
核心を突けなかった弱々しい過去の自分をタイミングのせいにして逃げようとした。恋人になれなかった自分とAの関係を旧友というくくりにして甘えた。氷が溶けたウォッカトニックがおいしく感じられなかった。

恋愛はタイミングって言うけれど。

帰ってよく考えたら全然違うじゃんと思った。出会った時期がどうとか、今の恋人と上手くいってないとか、そういう話ではなくて結局自分とあなたのピースが合うかどうかの話だった。

もっと早く出会えてたらって、恋人との倦怠期が長引いてそのまま消滅すればいいのにって、一縷の望みを見出し、相手のピースにぴたりと合うように自分を整えていく。その作業のことを、「タイミングを計る」と呼ぶのだろう。

異性と深く仲良くなるとき、大体いつものポジションになる。恋愛相談を真っ先に受けたり互いに暇をつぶしたりする「異性のなかで二番目」の都合のいいポジション。
言うまでもなく一番が恋人で、二番目以下にそう呼ばれない人がガチャガチャの順番待ちみたいに並んでいる。

だから自分が好きになったら最後、隙あればひとつ上に見えている恋人の座を狙える。狙おうとしてしまう。それを僕は二十数年ほど「タイミングを計る」という強力な武器だと勘違いしていて、その重さによろめきながら振り回していた。

タイミングなどなかった。僕と彼女のピースは最初から決まっていて、それは経年変化で形が変わることもなく、どう足掻いても合うか合わないか、結ばれるか否かの無慈悲な二択しかなかった。

タイミングが良かったと呼ぶ恋愛はその頃合いでなくてもきっと上手く事が進んでいるはずだ。たとえ来世で会えても、彼女は自分ではない男を横に置くし、僕も彼女でない人を連れているんでしょう。

そもそも相手にされていなかったんだ。後ろ髪を引かれる思いには気づきを与えて殺すしかない。そうしないと、いつまでたっても彼女のやわい横顔が脳内のフィルムから消えてくれない。

三人で終電を逃してしまって朝まで話した。始発より早い時間に駅に着き、友人とAが同じホームで僕は1つ隣のホームだった。一番早い始発が友人で、次に来る自分の始発まで15分ほど時間があった。

僕のホームとAのホームは向かい合っていてお互いの姿が見えていた。僕の人生は映画ではないから大声で線路越しに話したりなどしなかった。そのかわり、お互いを見ながら電話をした。

彼女が電話越しに、ホーム越しに、けたけたと笑っている。ずっと友人が居て三人で話していたから忘れていたが、こうやって二人で話しているとたのしそうに笑う人だった。

電車が来て電話を切る。aikoの新曲『青空』の「恋が終わった」というフレーズが頭に巡った。自らの恋愛と曲が結びついたうれしさと、これで本当に終わったという安堵で欠伸が出た。

始発のわりに混んでいる車内に座席を見つけて腰を下ろす。反対側のホームに立っている彼女が窓から見えたが電車は動かない。人の一生のうち、発車までの待ち時間を集めたら砂時計一つ分くらいにはなる気がする。

ようやく発車ベルが鳴って気まずさが一息ついた。緑の車両が揺れ動いたとき、彼女がちいさく手を振って僕もちいさく振り返した光景が映画のワンシーンみたいだ、と一瞬でも思った自分が馬鹿みたいだった。

帰宅して久しぶりに昼まで寝てしまった重い体。アルコールはまだ残っていても、連絡を取り続けようとする悪いくせは親指に残っていなくて清々した。

思い出のエンドレスリピート。騒がしい同級生を見下してふたり並んで受けた講義も、キャンパスから駅までの長い帰り道も、空が明るくなっても続けた長電話も、映画みたいなシーンはもう再生ボタンを押さない。

彼女のことは二度と思い返さないだろうし、僕は二度と恋まがいの思い出をポケットにつっこんで誰かに会いに行ったりなんかしない。

思い出とタイミングは探るものではないと、美化された過去の答え合わせが今更になって教えてくれた。


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