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呪いと言わせないaikoの歌詞30選

去年の春頃、「aikoの歌詞は呪い」という内容がトレンド入りした。そして先日のライブでもaiko自身が「歌詞なんて呪いみたいなもんやから」とトークしていた。呪いとはWikipediaを参照すると「人または霊が、物理的手段によらず精神的あるいは霊的な手段で、悪意をもって(以下略)」とある。

aikoってそんなに恐ろしいアーティストだった? 1年越しに怒りがこみ上げてきたため、その検証も兼ねて僕がすきなaikoの歌詞を紹介していく。


aikoの詞を読む事=簡単な事?

切りすぎた前髪右手で押さえて少し背を向けた
嫌われたくないから
/「シャッター」

この歌詞にどれほどの女子が共感したのだろうか。どれほどの男子が心のうちにaikoを発見したのだろうか。
「あなた」によく思われたい一心で向かった鏡。見た目をよくしようとして逆効果になるという甘酸っぱい現象、そこに年齢性別の垣根などない。

aikoが歌詞にしたためる世界観というのは、「あなた」と「あたし」のお話。aikoの歌詞を読むことは、あなたが「あたし」になることを意味する。あなた自身が「あたし」になる瞬間を見逃してはならない。心のシャッターを押す準備はできているだろうか。


落ちぬ取れぬ消えぬあなたへの想いは正に
体中の落書きみたい
/「彼の落書き」

「あなた」に対する想いが体にこびりついてなかなか取れない様子。
<落ちぬ取れぬ消えぬ>と困り果てる「あたし」を横に、<落書き>という響きから「あたし」の体へ自由奔放に書き記した「あなた」の態度がうかがえる。もはや一種のマーキングだろう。

君を失う悲しみに比べれば
思う苦しみなど 幸せなより道
/「より道」

<思う>ことをしっかり<苦しみ>と認識しているのが健気すぎるって。

夢に出てきたんだよってどうして
あたしの胸にインクを落としていくの
/「格好いいな」

<夢>にまで現れてしまう純粋な想いを<インク>という強固な汚れに比喩するのがいい。

喉の痛い朝 頬杖の街 こんな日はすぐあなたに触りたい
/「恋愛」

きっとすぐ触りたいんだよね。でもなにか理由をつけないといけなくて、それが喉が痛かったり退屈な街だったり、ただそれだけなんだろうな。

そのまんまのあなたの 立ってる姿とか
声とか仕草に 鼻の奥がツーンとなる
/「かばん」

この詞をはじめて読んだとき、「鼻奥ツーン現象が起きるのは僕だけじゃないのか! 」と感動したのを覚えている。
他人と共有したことがないからわからないが、僕はaikoのいう<そのまんまのあなたの 立ってる姿とか>に鼻奥ツーンがよく生じる。存在そのものが愛おしい感覚。一個人の感覚と世界をつなげてくれたのはaikoだった。

今日あなたを見かけたよ 前みたいに苦しくなかった
髪型とかゆるいシャツだからとかじゃなくて
なんか…経ったんだな
/「宇宙で息をして」

<なんか…経ったんだな>ていう一言に「あたし」がどこか前を向けるようになった心境が垣間見えるなあ。

あと7kmで出口です 心の方もこんな感じだったら
/「トンネル」

aikoが高速をドライブしているときに浮かんだ曲。<あと7kmで出口です>と書かれた看板があったのだろう。終わりのない、答えが見つからない恋愛をここまで綺麗に書かれちゃうともう。

あなたの側にいる時のあたしを誰も知らない
/「キスが巡る」

恋愛をするときの一番の醍醐味はこれだから。


aikoが描く「あなた」と「あたし」

何億光年向こうの星も 肩に付いた小さなホコリも
すぐに見つけてあげるよ この目は少し自慢なんだ
/「アンドロメダ」

距離がありながら恋愛特有の情景も保たれている綺麗な二項対立だと思う。
aikoは対比表現が本当に巧みだ。<何億光年向こうの星>という大きい視点を持ちつつも、次に来るフレーズ<肩に付いた小さなホコリ>でaikoは「あなた」と「あたし」の世界に一気に引き込む。さっきまで輝く星々を想像していたのに、もう<小さなホコリ>をとってあげる微笑ましい「あたし」しか浮かばないのだ。

時が過ぎる音を忘れるまで 寄り添って過ごした日々
/「指先」

「アンドロメダ」の<星>と<ホコリ>のように、ミクロとマクロの視点を切りかえることをaikoは得意としている。
この「指先」も同様で、<時が過ぎる音>というミクロな視点から<過ごした日々>というマクロな視点へとなめらかにフォーカスを移している。

例えば、<時が過ぎる音を忘れるまで 寄り添って過ごした>まではひと時の描写としておかしくないが、その語尾に<日々>と一言加えることでひと時の積み重ねがしあわせな日々へと一瞬にして生まれ変わる。その変身があまりにも一瞬で、この緩急に心を掴まれる。


あの子の前を上手に通る癖覚えたのは
もうずいぶん前の事長いなぁ
あなたの視線追うと必ずいるあの子の前を
通り過ぎてる事であたしに気付いて欲しくて
/「アスパラ」

例えば学生時代。人は息をするように好きな人の机の前をわざと通る。もしくは好きな人がロッカーに物を取りに行けば自分もすかさず立ち上がって取りに行く。取りに行く物はないのに。

もちろんaikoも人であり、「あなた」に「あたし」を意識ほしいがゆえに前を通る。ここが一筋縄ではいかないのがaikoだが、実際に通るのは「あなた」の前ではなく<あの子の前>なんである。どういうことか。
<あの子の前を上手に通る>前に、まずaikoは<あなたの視線>を追っている。その視線の先には必ず<あの子>がいる。そこで「あなた」に気付いてほしいaikoがとる行動とは、<あの子の前を通る>ことなのだ。<あの子>を追う「あなた」の世界にこちらから出向いてやるのがaikoだ。これほど報われない行為があるだろうか。


出の悪い水道 直し方も解らない
今は些細な事すらも軽く拭えない
/「明日もいつも通りに」

これが世に言うaikoの水道事件である。aikoの視線は日常のありとあらゆるものに向けられる。その顕著な例がこの<出の悪い水道>なんである。
<出の悪い水道>の直し方が解らず自暴自棄になる「あたし」。それが意味するのは<些細な事すらも軽く拭えない>、すなわち一人では生活を送れない惨めな自分である。しんどい。

少し雑にだけど綺麗に並べられた歯ブラシにあたしはなれなかった
/「間違い探し」

歯ブラシとは毎日使うもの。「あなた」と「あたし」が生活を共にするのであれば、必然的に二人が使う二本の歯ブラシは洗面所で<少し雑にだけど綺麗に>並ぶことになる。

例えばコップに立てられる二本の歯ブラシというのは、垂直に乱れなく並ぶ姿より、コップの底から上部に向かって対角線上に置かれるイメージを想像すると思う。
そんな<少し雑にだけど綺麗に並べられた>歯ブラシのように、「あなた」と「あたし」は忙しない日々のなかで家事が<少し雑に>なったり些細なことでストレスが溜まったりしながらも、自分をごまかして二人<綺麗に>並んで愛の同棲をする。
しかしながらそんな歯ブラシのように<あたしはなれなかった>と。つまり、もう「あなた」とは一緒に過ごせない心情をaikoは歯ブラシで表現したってわけ。天才。


突然かけてくる電話 こんな時間にどうかした?
いつもふりまわしてくれて どうもさようなら
/「こんぺいとう」

普通、<どうも>に続く言葉は「ありがとう」だ。
aikoは「どうもありがとう」と感謝の意を述べるくらいなら、<どうもさようなら>というコロケーションの違和感によってありったけの潔さを示す。

あなたがここに生きてるからあたしこんなに愛してしまった
後戻りは決してない だから全部奪ってしまいたい
貪欲であたしの大きな脱出
/「脱出」

言いがかりから純愛へのふり幅がすごい。
まず<あなたがここに生きてる>せいで「あたし」が<こんなに愛してしまった>と言い放ち、次に叫ぶのは好きにならなきゃよかったのような言葉かと思いきや、「あなた」を<全部奪ってしまいたい>という<貪欲>な愛である。それが「あたし」に残された、唯一の「脱出」方法なのだろう。


運命には逆らえないね
きっとどう転んだって きっとどうあがいたって
あなたとあたしは恋人なのよ
/「ロージー」

これは解説すると、<逆らえないね>と語尾をやわらかくすることで<あなたとあたしは恋人>であるという事実をどうにかして認めさせるaiko特有の手法である。aikoの「ね」にかかれば暴論という概念は消滅する。

たまにあたしを思い出してね
そして小さな溜息と肩を落とし切なくなってね
/「赤いランプ」

またしても「ね」の手法である。
「赤いランプ」は至高の失恋ソングであるが、aikoは「あたし」を思い出させた上で溜息と肩の落としを要求する。そこに「ね」という終助詞を駆使して愛の重さを軽減する。この「ね」こそが、aikoなのだ。

お願いあたしの真っ直ぐなこの愛を見捨てりしないで
「あと15分!」の口癖を今夜だけは大目に見て
愛しい人よ くるくると表情を変えながら
あたしの手のひらの上にいてね
/「恋人同士」

「ね」の手法もここまで磨きがかかると逆に習得したくなる。aikoのどんでん返しはいつも唐突で、そこに「あたし」の想いが見え隠れする。結局は<あたしの手のひらの上>にいないとaikoは気が済まないのである。


遠く空が続いていようが 逢えなければ想像するしかない
元気でいることを 笑っていることを 隣に誰かいることを
/「あなたは」

aikoは常に唐突だ。<笑っていることを>まではよくありそうな曲なのに。
この歌詞は曲の歌い出しであり、aikoには歌い出しが唐突であるがゆえにぐっと引き込む曲が多い。

あなたが飼い主ならば あたしは忠義尽くす物に変わる
こんなに好きなんだから 手をひく権利をあたしに下さい
/「私生活」

aikoは容赦なく見返りを求める。その見返りさえも唐突なのだ。
<忠義尽くす物>にすら変わる「あたし」は、次の瞬間<手を引く権利>を要求する。びっくりしてしまう。先ほどまで忠犬のはずだったのにリードを握るのは実は「あたし」の方なんである。

集まった星くずの様な想いが チリとなって
消えゆくのならまだ気が楽だろう

あられ」という曲から。「あなた」に対して増幅した<星くずの様な>片想いが<チリとなって>消えくてれたらいいのにと、よくある片想いの道をたどっている世界観だ。

あたしの中に生まれたもの 目を反らしてはいけない
同じように同じように あなたに降り注げばいい

だが、大サビ。<あたしの中に生まれたもの>に危険信号が灯る。aikoは緊迫した様子で<目を反らしてはいけない>という。この先にぞっとするどんでん返しがある。

<同じように>と2回繰り返したあと、aikoは<あなたに降り注げばいい>と明言するのである。儚い<星くずの様な想い>は唐突に「あなた」へ降り注ぐことになった。ゆえに「あられ」という曲名になっている。塵も積もれば山となるとはいうが、aikoの<チリ>が溜まれば最後、純真な想いの実態は隕石レベルの<星くず>であることだと気づかされる。


「あなた」と「あたし」の終着点

ここまで読んでいただけたらあなたはいくつもの「あなた」を追体験してきたはずだ。<星>と<ホコリ>による視点の切り替え、<水道>や<歯ブラシ>といった日常からのアプローチ、そしてパワーワード的な告白をときに<ね>をぶら下げて寄り添いながら、大胆かつ唐突にやってのける。それをかわいくポップに歌い上げるからaikoの曲は「せつないのに明るい」と評される。恐ろしくて愛おしい、それがaikoだ。

そんな「あなた」と「あたし」の世界を20年以上描いてきたaikoだが、一昨年のアルバムである境地に達した。それが「だから」という曲だ。

全部吐き出して涙も鼻水も
少し眠ればいい 起きていてもいいよ
あたしはあなたになれない
だからずっと楽しいんだよ
苦しくてもどんなに悲しくても

涙も鼻水も出して<眠ればいい>と言っておきながら<起きていてもいい>という急な翻しに口角が上がってしまうが、それも束の間<あたしはあなたになれない>と、aiko特有の剛速球をこの度も飛ばしてくるのである。
しかしaikoはいう。<だからずっと楽しい>と。それがどんな悲劇であっても<あたしはあなたになれない>事実をaikoは噛みしめる。

痛みを分けあえるメーターがあったら
目を見る事を忘れ目盛りみて

もしも「あなた」の痛みを可視化できたら、aikoは自分にもその痛みを分け与えようとする。<目を見る>と<目盛り>の語呂のよさに思わずその痛みすら忘れてしまいそうになるが、「あなた」のまなざしを忘れるほど「目盛り」に夢中になる「あたし」である。
しかしaikoは、そんな便利な<メーター>より大切なことに気づいている。

それはそれでうまくいかないさ
だからあなたの肌を触らせてよ
わからないから触らせてよ

そのような計量器があったとしても、aikoにとっては<うまくいかない>のだ。それは前述の通り、たとえ<痛み>の量を知れて分け合えたとて、<あたしはあなたになれない>からである。
なによりaikoが最も主張したいのは最後の二行だろう。「あなた」の苦しみや悲しみは分かち合えないからこそ、<触らせてよ>という至極真っ当な恋愛の欲求につながるのである。その思考の経緯をつなぐのは<だから>という接続詞であり、その一言からすべてを汲んでほしいとaikoが考えたのは曲名を「だから」にしたことからも容易にわかるだろう。

二人も一人も同じなんだと
思える日もあれば 孤独な日もあって
わがままにこれからも生きていこう
だらしないねと笑っていたいの
わからないからそばにいたいの

一緒に居れば重なる日もあって、同時に独りになりたい日もある。もちろんaikoはそれでいいという。<わがまま>に生きていいのである。大粒の涙を流して泣きわめいていい。その様を見て<だらしないねと>笑うaikoがそばにいるのである。この選択がaikoのやさしさであり、この「だから」こそ、「あなた」と「あたし」の世界に対するaikoなりのひとつの答えだと思う。切りすぎた前髪を右手で押さえる初々しいaikoはもういないかもしれない。


あなたが「あたし」になるとき

「だから」に<だからあなたの肌を触らせてよ わからないから触らせてよ>という歌詞があった。そもそもaikoにとって「触れる」とはなんだろうか。

片想い真っ最中な「横顔」の<次は触れたいといつからか願ってた>を始め、「ストロー」では<初めて手が触れたこの部屋で 何でもないいつもの朝食を>と、初めて「あなた」に触れた瞬間の思い出を場所に宿している。そんなaikoの「触れる」に対する価値観をよく表しているのが次の歌詞だ。

もっと心躍る世界が すぐ隣にあったとしても
乱れたあなたの髪に触れられるこの世界がいい
/「milk」

今見ている世界よりも素敵な世界がすぐ近くに広がっているとしても、aikoは「あなた」に触れられる世界を求めるのだ。それが乱れた髪でも、どんなにだらしなくとも、aikoにとって「触れる」とはそういうことだ。


最後に言いたい。僕がすきなaikoの感性のひとつに、「形ないものをとらえる」というのがある。先ほどの「だから」が収録されたアルバムにある「愛は勝手」を紹介したい。

愛の深さは勝手
まだ大したことはないんじゃない
/「愛は勝手」

aikoは愛に形をもたせ、それを大きい小さいではなく深度としてとらえた。俗に言う「沼」だろうか。ありったけの愛が存在してもいいのだ。きっとそれは<まだ大したことはない>だろうし、深さの底は更新されていい。文字通り底なし沼で、それは許される。だって、「愛は勝手」なのだから。

「形あるもの」みたい 感じてるあなたへの想いに
体が震える程あたしぐっときてるから
/「ボーイフレンド」

「あなた」と「あたし」の間にある形ないものを<「形あるもの」みたい>と、初期の頃から実直にaikoは感じ取っていた。aikoが描いているものはずっと変わっていないのだ。<体が震える程>感じていたものが「触れたい」という欲求に変わり、愛の深さに限度はないことに至った。aikoにとってこの20年間で変化したのはそれくらいで、常に愛を纏っているのである。


「あなた」がいて、「あたし」がいる。aikoがいる。
「あなた」と「あたし」の間には常になにかがあって、aikoはそれとひたむきに向き合ってきた。aikoはそれらをじっと見つめ、耳を傾け、においを嗅ぎ、愛の味を感じる。そしてそれに輪郭を与え、手に取り、その感触を歌詞に落とし込む。その大体が、真っ黒で歪でどろどろしたそれであることが「aikoの歌詞は呪い」と言われてしまう所以かもしれない。しかし「呪い」と呼ばれてしまう歌詞であればあるほど、「あたし」の想いが強いことの裏返しなのだ。あなたはaikoが恐ろしいだろうか、愛おしいだろうか。
ここで紹介した歌詞はaikoの一部にすぎない。逆にこんな30程度の歌詞でaikoのことをわかったような気でいられても困る。僕にしかなれない「あたし」がいて、あなたにしかなれない「あたし」がaikoの作品には眠っている。まだaikoのことがわからない、だからもっとaikoに触れてみたいとあなたが思えたとき、あなたは既にひとりの「あたし」になっているだろう。


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