見出し画像

桜はなぜ美しいのか

桜はなぜ美しいのか

もちろん感じ方はひとそれぞれだが、私は美しいと感じる。
桜が美しいのではなく、私が桜を美しいと認知しているのだ。

きれいではなくて、美しい。
きれいでもあるが、美しいのだ。

桜は日本人にとっては特別な存在であるとも思う。
春に向かってつぼみが膨らみ、花を咲かせる。そして散る。
日本人にとって、桜が咲き、そして散る春は人生にとっての節目となる。
様々なことが終わり、そして始まる。
そこに重なるから大きく心が動くのだろう。
これは、私が、この土地の文化・背景・文脈に依存して、桜は美しいと感じているということに他ならない。
私がこれまで生きてきたことが、桜を美しいと感じさせている。

美しさとは何か。
美しさとは佇まいなのではないか。
高次元で調和をもたらす佇まい。
これが美しさではないだろうか。
そしてその判断は個人の経験による。

そしてそれは、視覚的な作用だけではない。
あらゆる知覚が関与しており、そこには経験も含意しているように思う。
つまり、見た目の瞬間的なものではなく、静止画のように切り取れるものではない。
そこには時間も大きく関係しているのではないか。
物理的な時間というよりは、根源的な時間。
感じ、認知する際にも時間の流れがあるのだと思う。
認知には、経験がそのように作用するのだろう。
認知は常に動いている。我々は生きている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?